企画展示「昭和の学校教育―戦前から終戦までのあゆみ―」

最終更新日:
Saga Prefectural Government Archives

 kobunshokanlogo

 


企画展示「昭和の学校教育―戦前から終戦までのあゆみ―」

概要

第42期所蔵資料展チラシ
 
 2025年が終戦から80年の節目を迎えるにあたり、昭和の戦前~終戦まで学校教育がどのように変化したのかを館所蔵の学校資料や県公報から教育段階や専門分野別に紹介する企画展を開催しました。

【会期:令和7年4月17日~令和7年9月28日】

【展示の構成】
 一.初等教育
 二.中等教育
 三.教員養成
 四.産業教育
   

主な展示資料の紹介


 一.初等教育

 初等教育として尋常小学校と高等小学校があり、尋常小学校を修了後に高等小学校へ進学する形でした。尋常小学校の修業年限は6年、高等小学校の修業年限は2年で、義務制となっていたのは尋常小学校修了のみでした。公民教育が重視されるようになってからは、一部の町村で高等小学校を公民学校とし、普通教育と公民教育の合理化を図ろうとする動きも見られました。
 昭和16年(1941)3月に国民学校令が公布されると、国民学校と改称し、教育内容が一新されました。

高等小学校に関する件
国民学校令
高等小学校に関する件
昭和11年(1936)
勅令第148号 国民学校令
昭和16年(1941)

 大正時代に設立された佐賀盲唖教授所と佐賀盲学院が統合される形で、大正13年(1924)10月から私立盲唖学校が開校しました。初等部は6年、中等部鍼按科4年、別科2年がそれぞれの修業年限で、初等部では国語や算術、修身の授業が行われ、中等部ではこれらの科目に加えてあん摩や鍼などの授業も行われていました。昭和9年(1934)4月1日から、私立盲唖学校が県に移管される形で県立盲唖学校となりました。

私立盲唖学校県立移管に関する件 県会知事演告文
私立佐賀盲啞学校県立移管に関する件 時間割
私立盲唖学校県立移管に関する件(県会知事演告文)
昭和8年(1933)
私立盲唖学校県立移管に関する件(時間割)
昭和8年(1933)


  二.中等教育

 中学校については、昭和6年(1931)1月10日の中学校令施行規則改正により、「生徒教養ノ要旨」(道徳教育・国民教育・普通教育・体育の4つ)を新設しました。また、上級学年に、実業・理科を重視した第1種と、外国語・数学を重視した第2種の課程を設けて選択履修としました。学科内容についても、公民科と作業科を新設し、博物・物理・化学を総合して理科と改称しました。

 
武雄中学校教科用図書採用の件(2)
  



    (資料解説)
     武雄中学校長から県知事宛てに提出された、教科書を変更するための認可申請書類です。
    新年度から使用又は変更予定の教科書について、教科ごとの一覧になっています。
     改訂版が出版される見込みがない、図の大きさが学習のためにちょうど良いなど、様々な
    理由で教科書の変更が申請されました。

 武雄中学校 教科用図書採用の件
   昭和4年(1929)

 昭和12年(1937)3月27日には中学校教授要目、高等女学校及び実科高等女学校教授要目のうち、修身、公民科、国語漢文、歴史及び地理の要目の改正が行われ、教育内容が刷新されました。

HP掲載用1枚合わせ 公立女学校学則変更の件





(資料解説)
  佐賀成美高等女学校の授業時数変更の
 届出です。実業として園芸の時間を毎週
 1時間増やすことを届け出たもので、作業を
 通して勤労精神を養い、実生活に即した
 教育を実施するためでした。
 「蔬菜花弁の園芸作業」の外には文書に記述が残っておらず、実際の授業内容は不明です。

                  公立高等女学校学則変更の件
                   昭和13年(1938)


 昭和18年(1943)に新たに制定された中等学校令で、中学校・高等女学校・実業学校が中等学校と定義されました。この中等学校令では、学生生徒が実務に従事する時期を早めるため、修業年限が4年に短縮されるなど、戦時下の影響がうかがえる内容となっています。

勅令第36号 中等学校令
勅令第36号 中等学校令
昭和18年(1943)



 三.教員養成

 昭和3年(1928)3月20日の佐賀県令第24号で佐賀女子師範学校学則が制定され、佐賀師範学校から女子部が独立して佐賀女子師範学校となりました。
その後、昭和7年(1932)には、佐賀女子師範学校の代用付属校として本庄小学校が決定しました。
パネル(3)写真(本庄小学校を女子師範付属小学校に代用の件)
本庄小学校を女子師範学校付属小学校に代用の件
昭和8年(1933)

  昭和7年(1932)の満州国成立以降、人々の大陸への進出が進むと現地の教育施設が整備され、特に男子教員の需要が高まっていたことから、昭和15年(1940)3月に佐賀師範学校に大陸科の設置が文部省により決定されました。

 その後、昭和16年(1941)からの国民学校制度の実施に対応して師範教育の体系も大幅に見直され、昭和18年(1943)3月に師範教育令が改正されました。師範学校を修業年限3年の専門学校程度に高め、2年の予科を置くことができるとし、さらに官立の学校となって、その中で男子部と女子部に分かれる形となりました。


(図面のみ)男子師範指定修繕施行の件
 



(資料解説)
   男子師範学校の平面図です。赤い書き込みが工事予定の箇所で、洗面所・脱衣所・洗濯場
  の新設が予定されていることが分かります。
   師範学校は基本的に寄宿舎生活でしたが、学校から半径一里(約3.9 km)以内に住む
  生徒と、例外的に通学することが許可された生徒のみが通学生として通っていました。
     男子師範指定修繕施行の件
      昭和10年(1935)



 四.産業教育

 昭和6年(1931)1月20日に「実業学校公民科教授要目」が制定され、毎週2時間をめどに公民科の教授時間が取られるようになりました。
 昭和18年(1943)3月に公布された「実業学校規程」によって、その種類は、農業学校・工業学校・商業学校・水産学校・拓殖学校その他実業教育を施す学校と定義され、各学校の設置科についても詳細が定められました。
 さらにこの「実業学校規程」では、新たに教科と修練を科すことが定められ、教科は国民科・実業科・理数科・体錬科及び芸能科とし、女子についてはこれに家政科が加えられました。

特別備品購入に付き報告神埼農学校(2)
  






  (資料解説)
    学校教練用の備品購入報告書類です。
    教練とは主に官立・公立の中学校以上で行う軍事教育で、大正14 年(1925) から終戦まで
   行われていました。
    品目の「八九型重擲弾筒」は、陸軍の実戦でも使用されていた追撃砲です。

  特別備品購入に付き報告神埼農学校
    昭和12年(1937)



このほかに、「大正の学校」の複製展示、関連展示として「終戦後の佐賀(1)・(2)」の複製展示も開催しました。




このページに関する
お問い合わせは
(ID:120172)
佐賀県庁(法人番号 1000020410004) 〒840-8570  佐賀市城内1丁目1-59   Tel:0952-24-2111(代表)     
Copyright© 2016 Saga Prefecture.All Rights Reserved.

佐賀県庁(法人番号 1000020410004)

〒840-8570
佐賀市城内1丁目1-59
Tel:0952-24-2111(代表)
Copyright© 2016 Saga Prefecture.All Rights Reserved.