杵島炭鉱労働組合から大町町民への返答書 昭和32年(1957)7月31日
石油へのエネルギー転換により石炭需要が落ち込み始めたことから、昭和30年8月、石炭鉱業合理化臨時措置法が公布されました。県内では、非能率鉱の閉山や炭鉱離職者の急増が心配されましたが、神武景気による炭価上昇で一転増産ムードとなり、新鉱が増加。県内炭鉱数は昭和32年度末に最大の63鉱となり、出炭量は287万トンとなりました。しかし、なべ底不況により石炭需要は再び減退したことにより、企業整備や人員整理が進められ、各所でストライキが起こりました。
この返答書は、昭和32年8月から杵島炭鉱で97日間続いたストライキの直前に、組合から町民にあてて出されたものです。大町町からの要望書に対するもので、山への思いが綴られ、ストライキをせざるをえない苦渋の決断への理解を求める内容となっています。杵島炭鉱では、4年後にも県政史上最長となる136日に及ぶストライキが行われました。
県も県内各地でおこるこうした事態の打開に向けて奔走しましたが、状況は好転せず、県内では昭和34年に8鉱、35年13鉱、36年7鉱、37年22鉱と閉山が相次ぎ、昭和47年に全ての炭鉱が閉山することとなりました。 |