千歳川仮停車場付近路線図 明治22年(1889)9月
明治15年(1882)に福岡県議会で九州鉄道敷設が議論され、福岡県が政府への働きかけを行うと、佐賀県の初代県令鎌田景弼もこれに賛同。伊丹文右衛門(伊丹弥太郎の父)ら県内の要人も九州鉄道会社設立と鉄道敷設申請の発起人に名を連ねました。
明治21年(1888)6月に許可が下り、県内でも敷設工事が始まると、水運が発達していた佐賀では県議会で反対意見が噴出。県議会議員で実業家の牟田万次郎が事態収拾に尽力しました。また敷設現場では、田の排水に支障が生じ、沿線住民との賠償問題も発生しました。図からは、線路両側の土地から土を取って線路敷を築立し、その下に土管を通して水路を確保する計画が確認できます。
これらの困難を経て、明治22年(1889)12月11日、博多-久留米間で九州初の蒸気機関車が走りました。当初の終着地は久留米の予定でしたが、千歳川(筑後川)の氾濫により橋梁工事が遅れ、開業時は北岸の旭村(現・鳥栖市下野町)に設けられた仮停車場までの開通となりました。
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