国指定(建造物の部)01 最終更新日:2020年6月25日 重要文化財 与賀神社楼門(よかじんじゃろうもん) 昭和25年8月29日指定 佐賀市与賀町2-50 建造物 与賀神社は淀姫大神を祭神とする古社である。 楼門は、入母屋造り、銅板葺きの正面3間、側面2間の礎石建物である。創建年代は明らかでないが、宝徳2年(1450)大宰府を追われた少弐教頼が与賀城にはいり、文明14年(1482)その子政資も、与賀城に拠っているので、楼門の構造形式と合わせてそのころの建築と推定される。佐賀県下最古期の建築である。 重要文化財 与賀神社三の鳥居及び石橋(よかじんじゃさんのとりいおよびいしばし) 昭和45年6月17日指定 佐賀市与賀町2-49 建造物 三の鳥居は石造肥前鳥居で、柱に慶長8年(1603)の造立銘があり、佐賀藩祖鍋島直茂の夫人が奉献したものであることを記している。笠木の長さ5.7m、高さ3.9mで、笠木と島木が一体化し、柱を生け込み、肥前鳥居の特色を良く残している。 石橋は、反り橋で、欄干についている青銅製の擬宝珠に慶長11年(1606)の造立銘があり、直茂が寄進したことがわかる。石橋の長さ10.5m、幅3.2mである。 重要文化財 佐賀城鯱の門及続櫓(さがじょうしゃちのもんおよびつづきやぐら) 昭和32年6月18日指定 佐賀市城内2 建造物 佐賀城は、慶長13年(1608)から16年までの佐賀城総普請によって、龍造寺氏の村中城を整備拡張した典型的な平城である。しかし、享保11年(1726)に天守閣を含む城内全てが焼失。本丸一帯は、天保6年(1835)の火災の後、再建されたもので、現存する鯱の門もこのときの再建である。 建物は二重二階の櫓門に一重二階の続櫓がつく。屋根は本瓦葺き入母屋造りで、棟の両端に名称の由来となった青銅製の鯱が載っている。門戸には、明治7年(1874)の「佐賀の役」時の弾痕がのこる。 県史跡「佐賀城跡」については、こちら 重要文化財 山口家住宅(やまぐちけじゅうたく) 昭和49年2月5日指定 佐賀市川副町大字大詫間 建造物 佐賀県と福岡県の県境、筑後川の中州に所在する。建築年代は19世紀初頭と推定している。 建物内部は縦に二分され、土間と座敷に分かれる。この家の屋根は、棟が四方に廻り、その内側はじょうご状となるため、じょうご造りとも呼ばれる。この形式は、佐賀県東南部と福岡県西南部に分布する、極めて地方色の強い民家建築であり、山口家は中でも建築年代が古く旧状を良く留めている。 重要文化財 吉村家住宅(よしむらけじゅうたく) 昭和49年2月5日指定 佐賀市富士町大字上無津呂 建造物 筑紫山地の中心部に所在するこの住宅は、山間部に多く見られる棟を一直線につくる直屋の代表例で、建物に残された墨書銘から、天明9年(1789)に建築されたことがわかる。年代が確実な民家の、佐賀県下最古例である。 建物内部は、土間、居室、座敷及び寝室に3分割される。昭和57~58年度に半解体修理を行い、現在一般に公開されている。 重要文化財 川打家住宅(かわうちけじゅうたく) 昭和49年2月5日指定 多久市西多久町大字板屋 建造物 伊万里と多久を結ぶ旧街道に面した住宅で、屋根の形が「くど」(かまど)に似ていることから、一般にくど造りといわれ、佐賀県南部に広く分布する典型的な民家である。川打家住宅は、この形式の民家の中では建築年代が古く、18世紀前半の建築と推定している。 建物内部は、土間と板の間及び座敷からなる。前面の道路拡幅のため、平成10年~11年度に解体移築され、平成12年度から一般公開されている。 重要文化財 土井家住宅(どいけじゅうたく) 昭和49年2月5日指定 杵島郡大町町大字大町 建造物 旧長崎街道に面した住宅で、以前は酒造業を営んでいた。建築年代は、構造形式・彫刻などの模様から19世紀初頭と推定される。土間が広く、街道筋の町家でありながら農家風のところもあり、この地方の大型町家の一形態であると推定される。 昭和50~51年度に解体修理が行われた。 重要文化財 西岡家住宅(にしおかけじゅうたく) 昭和49年2月5日指定 嬉野市塩田町大字馬場下甲720 建造物 塩田川を利用した船運の集散地として栄えた白壁造りの町並みに建つ、この地域屈指の豪商の屋敷である。19世紀中頃の建築と推定され、佐賀県内における本格的町屋の一つである。欄間等の内部意匠にも優れ、軒を支える大きな持送りには、地方色が強い。 西岡家住宅を含む「嬉野市塩田津重要伝統的建造物群保存地区」については、こちら 重要文化財 田嶋神社本殿(たじまじんじゃほんでん) 昭和62年6月3日指定 伊万里市波多津町畑津 建造物 宗像三女神を主神とし、9神を祀る神社である。 本殿は三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)と呼ぶ建築形式で、覆屋の中にある。元は朱塗りの彩色社殿で、建立年代は建武年間と伝わるが、少なくとも15世紀以前と考えられる。 県内最古の神社建築で、簡素ながら優れた建築である。 重要文化財 多久聖廟(たくせいびよう) 昭和25年8月29日指定 多久市多久町東の原1642 建造物 江戸時代の学校内に、儒学の先哲たちを祀る施設として建築された。中国風の外観で、桁行、梁間とも3間、入母屋造瓦葺き、内部はタタキの土間で、ここに建物とともに重要文化財に指定された「元禄13年5月鋳成」銘の孔子像を納めた聖龕(せいがん)がある。 明治の修理後、長く銅板葺きであったが、平成2年に完成した修理で、旧来の瓦葺きとなり、創建当時の姿に還った。 県重要無形民俗文化財「多久聖廟釈菜」については、こちら 重要文化財 旧高取家住宅(きゅうたかとりけじゅうたく) 平成10年12月25日指定 唐津市北城内5-40 建造物 炭坑主として成功した高取伊好(これよし)の旧宅で、唐津城西南の海岸沿いに建つ。建築年は明治37年で、和風を基調にし居室棟に洋室を持つなど近代和風建築の特色を持つ一方、大広間棟に能舞台を設けるなど他に類例を見ない特色を持つ。また、杉戸や欄間などの内部意匠にも優れる。 明治期の和風木造住宅としては規模が大きく、特に佐賀県内においては最大級で、良質な材料をふんだんに使用し意匠も優れた住宅建築として貴重である。 クイックメニュー