令和元年9月10日告示
所在地 唐津市北波多徳須恵字前田1030番3他
所有者 個人
 |
草伝社(旧井手家住宅)は、佐賀県北部の唐津市北波多徳須恵に位置する。江戸時代には、唐津から長崎へ向かう塚崎往還と伊万里へ向かう伊万里往還の分岐点であり、宿駅が整備された。付近を流れる徳須恵川には船着き場が設けられ、河川舟運の要所でもあった。明治から昭和中期にかけ多くの炭鉱が開鉱し、北波多の中心地であった徳須恵には商店や劇場、旅館などが軒を連ねた。
旧井手家住宅は、北波多村の初代村長や佐賀県会議員を務めた井出豊助が質屋兼住宅と倉庫を建造し居住したのが始まりと伝わる。その後、借家の期間を経て、子の金次郎が結婚後に移住。増築であるハナレでは、「青い山脈」の脚本執筆で知られる孫の俊郎が中学時代を過ごした。平成19年以降は原氏所有となり、草伝社という屋号で唐津焼の展示販売や茶道教室を開き活用している。
店舗兼主屋は私道に西面して建ち、東側に庭を配置する。建物は木造2階建、桟瓦葺、平入の切妻造で、北部の台所周り、中央部の座敷・店舗、南部のハナレからなり、それぞれ梁行四間と桁行二間、梁行四間と桁行七間、梁行一間半と桁行五間の規模をもつ。このうち中央部1階は、私道に面するゲンカン・ワキザシキ・ミセと、庭側のホンザシキ・ブツマ・チャノマ等からなる二列型平面で構成される。ホンザシキは近代的な意匠的特徴を有し、タガヤサン等の良材を用いた床や付書院・床脇、繊細な筬欄等を設える。座敷部分西面に取り付くゲンカンを踏まえれば、接客に特化した空間といえる。質倉として利用された北・中央部の2階は板間で天井は無く、小屋は京呂組の二重梁で、妻壁には小屋梁上から棟上にかけて斜めの貫が入る。2階の外装は現状縦板張だが、建造当初の外観を示すと考えられる大正11年(1922)の古写真では北部が板張、中央部が白漆喰の大壁である。棟札等、建物の建設年代を示す資料は確認できないものの、井手家三代の来歴と井手家に伝聞される明治38年(1905)の建造年代から、北部・中央部は明治後期、大正11年の古写真にない南部は大正後期の建造と考えられる。
倉庫は、主屋兼店舗北側に隣接して建つ。伝聞では同様の倉庫2棟がさらに北側に並び、倉庫3棟、店舗兼主屋、井手家本家が2階部の渡廊下で繋がっていたという。倉庫は、木造2階建、桟瓦葺、平入の切妻造で、梁行二間半、桁行五間の規模をもち、1階は土間の二間、2階は厚板張の一間で構成される。小屋は京呂組で、二重梁と登梁を用いる。店舗兼主屋と倉庫の2階壁面には伝聞の裏付けとなる渡廊下の痕跡を確認し、倉庫は店舗兼主屋と同じ明治後期の建造と考えられる。
草伝社(旧井手家住宅)の店舗兼主屋と倉庫は、良材を用い意匠を凝らした座敷が、建物構成とともに良好に残る等、近代における北波多徳須恵の盛栄を示す重要な町家建築であり、国土の歴史的景観に寄与するものである。