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新しく指定された文化財の紹介

最終更新日:
        このコーナーでは、新しく指定された文化財を紹介します。(国指定、国登録、国選定、国選択、県指定)

 

令和 5年 4月 25日告示 

 県重要文化財(建造物)   1件

 県重要文化財(絵画)    1件

 県重要文化財(考古資料)  1件

 県名勝           1件

令和 4年 10月 31日告示

 登録有形文化財(建造物)  2箇所3件


  • 令和 4年 6月 29日告示
  •  登録有形文化財(建造物)  1箇所1件追加

  • 令和 4年 4月 28日告示
  •  県重要文化財(工芸品)   1件
  •  県重要文化財(考古資料)  1件

  • 令和 3年 10月 14日告示
  •  登録有形文化財(建造物)  2箇所7件


  • 令和 5年4月 25日告示  4件 
  • 県重要文化財(建造物)
    旧佐賀城本丸御殿 御座間及び堪忍所(きゅうさがじょうほんまるごてん ござのまおよびかんにんどころ)2棟

  • 令和5年4月25日告示
    所在地 佐賀県立佐賀城本丸歴史館(佐賀県佐賀市城内2丁目18番1号)
    所有者 佐賀県         (佐賀県佐賀市城内1丁目1番59号)

     
    旧佐賀城本丸御殿 御座間及び堪忍所
    〈背景・経緯〉

    佐賀城は慶長13年から16年(1608~1611)にかけて建設されたが、享保11年(1726)の火災で焼失し、天保9年(1838)に10代藩主鍋島直正によって再建された。

    明治7年(1874)の佐賀の乱(佐賀戦争)で滅失を免れた本丸御殿の御座間・堪忍所は、明治42年(1909)から赤松小学校の校舎として利用され、昭和33年には移築されて南水ヶ江地区の公民館(南水会館)として活用されるなど、用途を変えながらも建物の価値を踏まえた適切な維持と活用がなされてきた。

     

    〈特徴〉

    本丸御殿の南西部、藩主の日常生活空間にあたる「内(うち)」と呼ばれる区画の南側奥に位置する。

    御座間は中奥に相当する藩主の居間(執務の機能もあり)にあたり、西面に座敷飾を設ける24帖間で、西廊下と南廊下、中廊下が凹形に取り囲む。

    警護詰所にあたる堪忍所は18帖間で、中廊下東側に配置されている。

     

    〈指定の理由〉

    現在確認されるところ、天保9年に再建された佐賀城本丸御殿を構成する唯一の遺構として、多くの情報と歴史性を有するものである。

    また、藩主が日常を過ごした内向きの建物である点も貴重であり、天保年間建設の本丸建物遺構として高い価値を有している。

     

     
  • 県重要文化財(絵画)
    貴賤図(御所車)川村清雄筆(きせんず(ごしょぐるま)かわむらきよおひつ)1面

  • 令和5年4月25日告示
    所在地 唐津市近代図書館(佐賀県唐津市新興町23番地)
    所有者 唐津市     (佐賀県唐津市西城内1番1号)

      
    貴賤図(御所車)川村清雄筆 唐津市蔵
    背景・経緯〉

    明治31年(1898)頃に、小笠原長生(唐津藩主小笠原長国の後継)の依頼を受けて東京の小笠原邸で制作された。

     

    〈特徴〉

    寸法は縦93.8×横159.5cm(100号M)、カンヴァスに油絵具で描かれている。

    画面左下に変体仮名の署名を有す。


    向こう岸をゆっくりと遠ざかる御所車の一行を、手甲・脚絆を着けた近世~近代風のいでたちの庶民の女性(母親あるいは子守か)と子どもが眺めている構図である。この構図は貴族と庶民、過去と現代を対比させつつ、鑑賞者にも平安朝の昔に思いを馳せるよう誘いかけるような効果を生んでいる。

    透明感あふれる水面は川柳の緑や空の色を映し、御所車が目指す彼方の山上には仏塔が建つ。

    垂髪の牛童を先頭とする従者の足元は白く霞み、雲上のようにも見える。

    御所車を見やる女性のかたわらに3人の童が遊ぶ情景は穏やかである。

    湿潤な水辺の風景の描写は、清雄がパリ留学時に訪問したというフランスの画家カミーユ・コローの作風を思わせる。

    明るい部分は厚く、陰影の部分は薄く、絵具を何層も塗り重ねる描き方はヨーロッパの伝統的な油絵技法に則ったものであり、白い絵具を盛り上げて雲の表情や水面のきらめきを表現している。一方、人物等の細かなモチーフの輪郭線には、面相筆のような細い筆が用いられているのが見て取れる。

    日本的な洋画世界の構築を目指した清雄の代表作のひとつといえる。

     

    〈指定の理由〉

    本作品は、油彩で日本的な情緒を表現した洋画家川村清雄の代表作である。

    和魂洋才的作品の事例として重要であるとともに、パリ時代のカミーユ・コローとの交流の影響や、ヴェネツィア時代に培われた大気や水辺の風景などの自然に対する繊細な表現技法が見て取れる。

    さらに、唐津藩の小笠原家と密接に関連付く近代絵画の名品である。

     

  • 県重要文化財(考古資料)
    内畑遺跡甕棺墓出土玉類・刀子(うちはたいせきかめかんぼしゅつどたまるい・とうす) 一括

  • 附 甕棺(かめかん)1点

  • 令和5年4月25日告示
    所在地 鳥栖市教育委員会(佐賀県鳥栖市宿町1118番地)
    所有者 鳥栖市     (佐賀県鳥栖市宿町1118番地)

     
    内畑遺跡甕棺墓出土玉類・刀子
    〈背景・経緯〉

    内畑遺跡は鳥栖市元町に所在し、宝満川支流である轟木川左岸の河岸段丘上に立地する。

     昭和25年(1950)頃、甕棺墓が発見され、内部からガラス製勾玉2点とガラス製小玉多数が採集された。

     平成13年(2001)、隣接した範囲を鳥栖市教育委員会が発掘調査を実施したところ、弥生時代中期前半~後期前半の甕棺墓16基を確認し、後期前半に位置づけられる三津式の甕棺墓から水晶製算盤玉、ガラス製小玉、鉄製刀子が出土した。この調査成果により、昭和25年頃発見の甕棺墓が同時期の後期前半である可能性が高まった。

     

    〈特徴〉

     昭和25年頃発見のガラス製勾玉2点は、ともに鋳型を用いた鋳造品であり、それぞれ頭部に2条の刻みを有する「丁子頭」と刻みがない「素頭」である。色調は緑青色で幾分透明度をもっており、鉛バリウムガラスと考えられる。

     昭和25年頃発見のガラス製小玉は1,969点で、色調は全て淡青色である。引き伸ばし技法により製作され、基礎ガラスはカリガラスと考えられる。

     平成13年出土の水晶製算盤玉2点は、全長5mm程度、直径5~6mmで、側面は研磨されているが、中央ににぶい稜を持つ。端面は平坦気味で中央が一部欠損している。端面のほぼ中央には片側から孔が穿たれており、形状から穿孔には石針を使用したと考えられる。

     平成13年出土のガラス製小玉16点は、全長4~5mm、直径4~5mm。色調は透明度の高い淡青色で、引き伸ばし技法によって製作されたカリガラスと考えられる。水晶製算盤玉とセットとなり、装飾品あるいは首飾り、指輪、耳飾りなどとして用いられたと考えられる。

     平成13年出土の鉄製刀子は全長20.3cm、刃部幅0.8cm。刀身に木質部が付着し、その上面に漆状の黒色物質が部分的に残っている。鞘の残欠の可能性が高い。柄は樹皮で丁寧に巻かれ、柄頭を巻き重ねて肉厚に仕上げられている。

     

    〈指定の理由〉

     多量のガラス製小玉が副葬される例は佐賀県内で数例しかなく、甕棺墓の被葬者が社会的に高い階層に属していたと考えられる。

    弥生時代後期前半の佐賀県域の墳墓における副葬習俗や装飾、装身具の組合せを具体的に示す数少ない例であるとともに、被葬者の社会的位置や玉類の生産と流通の実態を解明するうえで価値が高い資料である。

     

  • 県名勝
    旧高取家住宅 庭園(きゅうたかとりけじゅうたく ていえん)

  • 令和5年4月25日告示
    所在地 唐津市北城内5番40号
    所有者 唐津市西城内1番  1号(唐津市)

     

    旧高取家住宅庭園(奥庭)
    〈背景・経緯〉
     旧高取家住宅庭園は唐津城の本丸西南側の唐津湾に面する海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地にある旧高取家住宅の庭園である。
     旧高取家住宅は、明治30年代より芳谷炭鉱(よしたにたんこう)、相知炭鉱(おうちたんこう)を経て杵島炭鉱(きしまたんこう)などを経営した炭鉱主として「肥前の炭鉱王」と呼ばれるまでの成功を収めた高取伊好(たかとりこれよし)(1850~1927)の邸宅である。石炭の積出港であった唐津に居を構えたことに始まるもので、伝統的な和風住宅の様式と西洋の様式が混在し、明治末から昭和初期にかけて、洋館や能舞台を組み込んだ日本の近代建築である炭鉱主の大邸宅として貴重なものである。各部の意匠等が高く評価され平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けている。

    〈特徴〉
     庭園は大きく4つの庭から構成されるもので、大広間棟と居住棟に囲まれた「中庭(茶庭)」大広間棟に面する「奥庭(池泉式庭園(ちせんしきていえん)」居住棟の仏間に面する「北側の庭」東側には、大正9年(1920)の朝香宮殿下御来臨(あさかのみやでんかごらいりん)の際につくられたとされる「朝香宮お手植えの松の庭」からなる。
     庭園内には随所に唐津焼の作品が庭園の景物(けいぶつ)としてみられる。
     正確な作庭時期、作庭者については不明であるが、建築の増改築に伴い庭園も整えられていったものと考えられる。
     
    〈指定の理由〉

    明治時代から近代日本を石炭業でけん引し「肥前の石炭王」と呼ばれた佐賀県を代表する資産家高取伊好の財力を背景に建築した近代和風住宅を構成する近代庭園であり、庭園内は松が多く特別名勝虹の松原との連続性をみることができるという点において学術上価値が高い。

    性質の異なる複数の庭園を同一の敷地内に擁し、「奥庭(池泉式庭園)」は松を借景として唐津湾をのぞむ景観、庭園内随所にみられる唐津焼の作品や石灯篭など特質のある景物も見事であり、芸術上及び観賞上の価値は高い。



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    令和 4年 10月 31日告示  2箇所3件

    登録有形文化財(建造物)
    庄野家住宅金蔵(旧佐賀城本丸御蔵)(しょうのけじゅうたくかねぐら(きゅうさがじょうほんまるおくら)) 庄野家住宅隠居所(いんきょじょ) 2棟

       令和4年10月31日告示
       所在地 佐賀県佐賀市本庄町大字本庄字一本黒木七角五他
       所有者 一般財団法人庄野歴史資料館

     

     金蔵は、佐賀城南西、国道に南面した敷地東に建つ佐賀城の蔵を移築した土蔵。

     土蔵造二階建南北棟の本瓦葺で、一階北面に下屋を付し西面北寄りに庇付の出入口を設ける。

     外周部は腰高の竪板張とし上部は漆喰塗で軒裏は曲線状の揚塗とする。

     佐賀城の遺構として貴重。

     隠居所は、水路に囲まれた敷地の北、金蔵の西に建つ。

     入母屋造桟瓦葺、四周に庇を廻らす。

     東に床棚付の座敷八畳と次の間六畳を東西に並べ、南北に縁を付しガラス戸を建て込む。

     部屋縁境の額入障子や欄間、付書院障子に用いた精緻な組子が目を引く近代和風の書院。


     金蔵隠居所
     


    登録有形文化財(建造物)
    脊振小学校石門(せふりしょうがっこういしもん) 1基

       令和4年10月31日告示
       所在地 佐賀県神埼市脊振町広滝井ノ上574-1
       所有者 神埼市


     神埼市北部の山間に所在する小学校の門。

     高さ4.3m、1.09m角の花崗岩江戸切り仕上の石柱を、間口7.1mに立てる。

     石材は裏山の石切り場で切り出し、大正天皇即位記念で村民有志が建設した。

     学校のシンボルで、稀に見る大きさの石門。


     背振小石門





    令和 4年 6月 29日告示  1箇所1件追加

    登録有形文化財(建造物)
    岡田三郎助アトリエ(おかださぶろうすけアトリエ) 1棟

       令和4年6月29日告示
       所在地 佐賀県佐賀市城内1丁目15-23 
       所有者 佐賀県

     

     東京都渋谷区にあった岡田三郎助の木造アトリエで、郷里佐賀に移築したもの(佐賀県立博物館・美術館に附属)。

     アトリエと女子洋画研究所からなる洋風建築で、内部は安定した採光を確保するため、随所に窓を設ける。

     画壇の中心的サロンとなった明治期のアトリエで、初期女性洋画家教育施設としても貴重。


     岡田アトリエ





    令和 4年 4月 28日告示  2件

    県重要文化財(工芸品)
    色絵花鳥紋六角壺(いろえかちょうもんろっかくつぼ) 2口

       令和4年4月28日告示
       所在地 佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100番地1 佐賀県立九州陶磁文化館
       所有者 佐賀県

    柿右衛門様式は、酒井田家を中心に有田の南川(なんが)原山(わらやま)地区で作られた可能性が極めて高い「典型的柿右衛門様式」と、

    その影響を受けて主に有田内山(うちやま)地区で作られた「広義の柿右衛門様式」に分けられる。

    「典型的柿右衛門様式」は、染付そめつけを併用しない濁手素地に余白の多い構図で緻密な線描の色絵を施したもので、

    代表的な()(しゅとして型打(かたう)成形(せいけいによる中皿や鉢のほか、精巧な板作(いたづく)りによる壺や瓶なども作られた。


    特に、板作りの壺や瓶はロクロ成形より手間を要する特殊な高級品で、

    これまでに国内では同時代の遺跡での出土例や確実な伝世例は知られていない。

    その一方、イギリスやドイツなど欧州の王侯貴族のコレクションの中には作例が数多く残されていることから、

    主にヨーロッパ輸出向けの高級品だったと考えられる。


    本作品は、難度の高い粘土板(ねんどいた)の張り合わせによって薄い板作りに仕上げられた典型的柿右衛門様式の六角壺2口である。

    いずれも身の胴部6面には交互に鳳凰(ほうおう)文と花卉(かき)文、蓋と肩部けんぶにははな唐草からくさもん地紋じもんに三方の窓と鳳凰文、首周りには(らい)(もんが描かれる。

    これらは東洋的な文様で、純白の余白を生かした構図で色絵が緻密に描かれ、ヨーロッパの王侯貴族に一層好まれるデザインとなっている。


    六角壺の蓋のこうえんつばには金属の飾りが取り付けられ、底部には金属製の六脚の台座を伴う。

    これらは輸出後にヨーロッパで追加されたものと考えられる。

    ヨーロッパでは17世紀中頃からシノワズリの流行によって東洋磁器を室内調度品として飾ることが流行した。

    イギリスのハンプトン・コート宮殿のように、室内でも重要な調度品である暖炉周りのマントルピースの上の装飾効果を高めるために

    左右対称のセットで東洋陶磁を飾ることが多かった。


    本作品は、染付を伴わない濁手素地に余白を生かした構図で繊細な線描きの絵付けが施されており、

    日本独自の色絵磁器を完成させた典型的な柿右衛門様式の特徴をよく表している。

    なかでも精巧な板作り成形の六角壺はヨーロッパ向けに作られた優品であり、年代基準資料である

    メアリー2世(1662-1694年)コレクション(ハンプトン・コート宮殿)の類例であることは学術的な観点からも重要である。

    また、揃いの金属加工が施された2口セットでの伝世は、ヨーロッパの室内装飾品として受容された東洋陶磁の歴史背景を物語るもので、

    海外輸出され王侯貴族を魅了した肥前磁器を象徴する貴重な作例である。


    寸法は、一口(写真右側)が口径11.3×13.0cm(金属部)、高さ32.6(台座付39.2)cm、底径11.4×13.2cmで、

    もう一口(写真左側)が口径11.1×12.9cm(金属部)、高さ31.8(台座付40.0)cm、底径11.6×13.5cm。


     六角壺


    県重要文化財(考古資料)
    中原遺跡墳丘墓出土品(なかばるいせきふんきゅうぼしゅつどひん)

       令和4年4月28日告示
       所在地 佐賀県神埼市神埼町鶴3658-2 佐賀県文化財調査研究資料室
       所有者 佐賀県

    唐津市原に所在する中原遺跡は、現松浦川河口の約4km上流で、右岸の砂丘微高地上(標高約4m)に立地する。

    平成11年から発掘調査を開始し、平成13年~平成17年にかけ、弥生~古墳時代の集落と墳墓の調査を実施した。


    弥生時代終末期の墳墓は砂丘微高地の西側縁辺部に立地し、墳丘墓3基は並んでつくられる。

    このうち、副葬品組成がわかり、出土状態も良好であるST13415墳丘墓副葬品を指定対象とする。

    ST13415墳丘墓は周溝によって区画され、墳丘の南北径10m、東西径11mで、埋葬施設を3箇所に有する。

    1号埋葬施設は墳丘中央に、2号埋葬施設は周溝内に、3号埋葬施設は周溝外面に陸橋に沿ってつくられる。


    1号埋葬施設から出土した内行(ないこう)()(もん)(きょう2面の鏡片、鉄剣、鉄鏃、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉はすべて棺外副葬であり、

    鏡片は足位両側に、鉄剣は足位右側に、玉類は頭位直上に副葬されていた。

    2号埋葬施設では破砕された方格規矩(ほうかくきく)(ちょう)(もん)(きょう1面が棺内外に、鉄剣1口、鉄鏃1点、ガラス製小玉1点が棺外に副葬されていた。

    3号埋葬施設から出土した浮彫式(うきぼりしき)獣帯(じゅうたい)(きょう)の鏡片は棺外頭位右側に、鉄剣は棺外頭位左側に、

    ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉は主に棺外頭位直上に副葬されていた。


    ST13415墳丘墓が築造された時期は、副葬された銅鏡や周溝から出土した土器などから、弥生時代終末期と位置づけられる。

    本墳丘墓は鏡、玉、剣などの副葬品を有するなど福岡県糸島市平原遺跡とならび北部九州の代表的墳墓であり、

    その副葬状況もわかる重要な資料である。

    副葬品のうち最上位に位置づけられる青銅鏡4面は中国後漢代に製作された舶載品で、

    1号埋葬施設出土の碧玉製管玉や2号埋葬施設出土のガラス小玉も舶載品であるなど、鏡・玉・剣などからなる上位階層者の墳墓副葬品である。


    また、青銅鏡は全ての破面に研磨痕はみられず、故意に破砕して棺外に副葬している。

    玉類もすべて棺外の頭位直上に散布する出土状況であり、上位階層の墳墓における副葬品をもちいた葬送儀礼がわかるとともに、

    地域首長間の交渉や後漢鏡や玉類の流通を知るうえでも価値が高い。


     中原遺跡出土品





    令和 3年 10月 14日告示  2箇所7件

    登録有形文化財(建造物)
    願正寺本堂・貴賓室・大広間・大玄関・鐘楼・山門(がんしょうじほんどう・きひんしつ・おおひろま・おおげんかん・しょうろう・さんもん) 6棟

       令和3年10月14日告示
       所在地 佐賀県佐賀市呉服元町182他
       所有者 願正寺

     佐賀城跡北に位置する佐賀の中心的浄土真宗寺院。

     境内中央に西寄りに本堂を建て、東側の中庭を囲うように貴賓室、大広間及び大玄関を配す。

     本堂の南東に鐘楼を建て、境内南辺に山門を開く。

     本堂は正面九間、奥行八間半、入母屋造本瓦葺で九州有数の規模と古さを持つ。

     貴賓室は、切妻造桟瓦葺で簡素ながら上質な藩主御成間(おなりのま)と伝わる書院。

     大広間は、南北に長大な平面を持ち小屋組にキングポストトラスを用い大空間を実現。

     大玄関は、切妻造桟瓦葺で無柱の大空間が特徴。

     鐘楼は、入母屋造本瓦葺で佐賀城下の時鐘として用いられたと伝わる。

     山門は、脚門きゃくもんすかしぼりかざり金具かなぐなど随所に浄土真宗寺院らしい華やかな装飾を見せる。


     願正寺本堂願正寺貴賓室願正寺大広間

     願正寺大玄関願正寺鐘楼願正寺山門


    登録有形文化財(建造物)
    旧枝梅酒造店舗兼主屋(きゅうえだうめしゅぞうてんぽけんおもや) 1棟

       令和3年10月14日告示
       所在地 佐賀県佐賀市八戸1丁目124-2
       所有者 佐賀市

     旧長崎街道に南面する造り酒屋の町家。

     二階建ての寄棟造桟瓦葺の平入で背後に棟を延ばし、全体にコの字の屋根とする。

     正面は一階に下屋を付し、二階は軒まで塗込める。

     内部は東側を土間、西側を二列五室の部屋とする。

     佐賀特有のくど造の様相を伝え、建ちが低く全体に古式を残す。


     旧枝梅酒造


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