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県指定(史跡の部)06

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佐賀県史跡の部  

 

佐賀県史跡 佐賀城跡(さがじょうあと)

平成13年2月28日指定
佐賀市城内一丁目5番の一部他
城跡 



 佐賀城は、天正年間に整備された龍造寺氏の村中城を拡張したもので、鍋島直茂・勝茂親子により、慶長13年(1608)から慶長16年(1611)までの佐賀城総普請により完成した。慶長年間に描かれたとされる「佐嘉城小城内絵図」の本丸では、五層の天守閣と多くの殿舎を見ることができ、本丸が鍋島佐賀藩の象徴であったことが窺える。
 佐賀城は、二度の大きな火災に遭っている。享保11年(1726)の火災では、天守をはじめ本丸・二の丸・三の丸のほとんどが焼失している。そのため、享保13年に二の丸が、宝暦5年(1755)に三の丸が再建されたが、本丸の再建は見送られ、二の丸が永らく藩政の中心であった。ところが、天保6年(1835)の火災で再び二の丸が焼失したため、時の10代藩主鍋島直正は110年ぶりの本丸再建を表明し、「佐賀城御本丸差図」を作成させた。天保9年には直正が新築なった本丸に入り、佐賀藩の雄藩化を推進するとともに、日本の近代化のリーダーとして政務を執った。
 佐賀城跡では、これまでに開発に伴う確認調査が20件以上実施されていることから、石垣や堀などの曲輪を区画する遺構や通路跡が確認されている。また、本丸については、平成5・6年度の佐賀市教育委員会、平成11~15年度の県教育委員会の調査により、建物礎石の他、多くの遺構が発見されている。

佐賀城跡佐賀城跡

左/本丸跡(撮影:佐賀市教育委員会)  右/佐嘉小城内絵図(慶長年間)

 

 

 

佐賀県史跡 瓢塚古墳(ひさごづかこふん)

平成16年3月8日指定
唐津市呼子町加部島字鉢ノ底
古墳


瓢塚古墳


 瓢塚は、加部島の東北部、標高24mの台地の東端に位置する。古墳の東側は傾斜が急となり、高さ20mの急崖を介し玄界灘に面しており、海上からの眺望を意識して築造されたと思われる。
本墳は昭和初期に地元青年団により第1次発掘調査が行われたが、その詳細は明らかでない。昭和47年の佐賀大学による第2次発掘調査では前方後円墳である可能性が指摘され、さらに平成14年度から2か年にわたる呼子町教育委員会の第3次発掘調査により、横穴式石室を持つ前方後円墳であることが追認された。
 墳丘規模は主軸長18.5m、後円部径12.0m、前方部推定幅7.2mで、後円部の残存高は約2m、前方部の残存高は約1mである。墳丘の裾部には、基底部となる列石が全周するが、このうち、後円部の北西側には比較的大きな石が配されている。
 玄室からは、須恵器、鉄器、玉類が出土している。

 

 

 

佐賀県史跡 岸岳古窯跡(道納屋窯跡)(きしだけこようあと(みちなやかまあと)

平成17年11月7日指定
唐津市相知町佐里上
窯跡


岸岳古窯跡(道納屋窯跡)
 岸岳山麓に点在する初期段階の唐津焼を焼成した窯跡群は総称して「岸岳古窯群」と呼ばれている。そのうち道納屋窯跡は、岸岳から南西方向に派生する分岐脈の尾根東側の標高49m~62mに位置し、等高線にほぼ直交するように造られている。窯跡の水平全長は34.5mで、現在確認されている「岸岳古窯群」の中では最大であり、焼成室は14室あったと考えられる。
 出土した製品は全て陶器であり、碗・皿類を中心に、壺・甕・小皿・すり鉢・向付・火入などがある。この中でも天目形碗が多く作られていたことは注目される。また、窯の構造及び出土遺物の形態や歴史的背景などから、1590~1600年代の極めて短期間に操業していたと考えられる。 
 岸岳古窯群のうち、飯洞甕上窯跡・下窯跡、帆柱窯跡、皿屋窯跡、皿屋上窯跡は国指定肥前陶器窯跡に指定されている。

 

 

佐賀県史跡 仁田埴輪窯跡(にたはにわかまあと)

1基

平成24年4月27日指定

所在地 唐津市浜玉町渕上1429-4、1430

窯跡 


仁田埴輪窯跡

 

 県内で初めて確認された埴輪窯跡であり、天井の一部が残存するなど遺存状態も極めて良好である。

 築窯時期は出土埴輪の特徴から5世紀中頃であり、円筒埴輪や朝顔型埴輪に格子目タタキを施すなどの特徴がみられ、古墳時代の窯業生産を知る上で極めて重要な窯跡である。

 面積320平方メートル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐賀県史跡 久里双水古墳(くりそうずいこふん) 1基 

   平成28年4月28日告示
   所在地 唐津市双水字サコ
   所有者 唐津市


  

kuri
   久里双水古墳は、唐津市の中央部を北流する松浦川の東岸、夕日山麓より北西に伸びる丘陵の先端に位置する全長約90mの前方後円墳である。

 後円部の中央に配置された竪穴式石室は、未盗掘のため保存状態が良好で、葬送儀礼や埋葬方法が確認できる貴重な古墳である。

 石室内からは、盤龍鏡1面、碧玉製管玉)2点が、側壁上面と天井石の間から鉄製刀子1口が、墳丘からは、甕・壺・鉢類が出土し、築造時期は古墳時代前期にあたる3世紀後半頃と考えられる。

 また、前方部が直線的に伸びる「柄鏡形」に近い墳丘形態であることや、古墳の規模に対して短小な石室規模であること等から地域的な様相が窺われる。

 久里双水古墳は、本県において最古級の前方後円墳であり、県内の古墳時代前期における最大規模の古墳として、畿内地域を中心とした古墳文化が日本列島内の各地域へと波及する様相を示すなど学術上重要な意味をもつ。

 


 

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