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県指定(考古資料の部)09

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佐賀県重要文化財(考古資料)の部 

 

佐賀県重要文化財 六の幡遺跡出土連弧文昭明鏡(ろくのはたいせきしゅつどれんこもんしょうめいきょう)

平成4年5月27日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)ほか
考古資料 


六の幡遺跡出土連弧文昭明鏡
 脊振山系南麓から伸びる丘陵の南東部付近に位置する遺跡で、平成2年に北茂安町教育委員会によって調査が行われた。この遺跡からは、甕棺墓43基、石棺墓5基、石蓋土壙墓2基、土壙墓3基が発見されている。
 昭明鏡は、29号甕棺墓から2つに割れた状態で出土したが欠損はなく完形品である。径は11.9cmあり、外区には楔形書体で「内清之以昭明光而象夫日月心忽壅而不泄」と読める銘文がある。
 本鏡が出土した甕棺墓形式から、弥生時代後期初頭のものと思われる。

 

 

佐賀県重要文化財 霊仙寺跡出土遺物(りょうせんじあとしゅつどいぶつ)

平成5年3月31日指定
神埼郡吉野ヶ里町吉田(吉野ヶ里町教育委員会)
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
有田町戸杓乙3100-1(九州陶磁文化館)
考古資料 


霊仙寺跡出土遺物
 霊仙寺跡は脊振山中腹の標高約500mの地点に位置する。古代末から近世にかけて脊振山を一山とする山岳仏教活動の拠点として栄え、「脊振千坊」と称された。これらの遺物は昭和52~53年の調査で出土したものである。
 経塚関係では、乙護法堂裏手の経塚から13世紀のものと推定される陶製経筒4本と和鏡3面、合子・刀子、12世紀にさかのぼる瓦経片1点、その他石像、土製灯籠などが出土した。
 墓地関係では、当山住僧の墓地の一つと考えられる東谷の中世墓地から蔵骨器44点が出土した。土師器1点以外はすべて13世紀を中心とする陶磁器である。陶製経筒も含め、出土した陶磁器の大部分は中国陶磁で、他に備前焼、瀬戸焼が若干混じる。
 その他、寺坊跡の調査で出土した多量の陶磁器、土師器、石鍋片等がある。
 霊仙寺跡は九州における代表的な山岳仏教遺跡であり、これらの遺物は、未だ不明な点が多い山岳仏教の歴史とその活動の実態を研究する上で貴重である。

 

 

 

佐賀県重要文化財 本村籠遺跡出土遺物(ほんそんごもりいせきしゅつどいぶつ)

平成5年3月31日指定
佐賀市栄町1-1(佐賀市教育委員会)
考古資料


本村籠遺跡出土遺物
 本村籠遺跡は嘉瀬川西岸にあたる佐賀市大和町大字池ノ上の低段丘上に位置する。平成2年の発掘調査で、SJ58号甕棺墓から多鈕細文鏡、青銅製ヤリガンナ、及び碧玉製管玉18個、SJ2号甕棺墓から青銅製斧が出土した。時期はそれぞれ弥生時代中期初頭、前期末である。
 多鈕細文鏡は面径10.5cm、青銅製ヤリガンナは幅2.1cm、長さ3.4cmで使用による研ぎ減りがある。碧玉製管玉は長さ4~7mm、径約3mmと小形である。青銅製斧は刃部が欠損し、長方形板状をなし、幅4.2cm、長さ2.6cmまで残存する。この種の青銅斧としては我が国唯一の出土例である。

 

 

 

佐賀県重要文化財 詫田西分遺跡出土木製品(たくたにしぶんいせきしゅつどもくせいひん)

平成6年3月31日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料



 詫田西分遺跡は、神埼市千代田町詫田に所在する。佐賀平野の中央部、城原川と田手川に挟まれた標高3~4mの沖積平野上に立地する弥生時代中期を主とする遺跡である。昭和57年に発掘調査を実施し、井戸・土壙から多くの木製品が出土した。
 出土した木製品としては、農具(鍬・鋤・竪杵など)、工具(火きり臼・手斧・ソケット状木製品)、狩猟具(弓)、祭祀用具(鳥形木製品・木剣・木戈)、食膳具(杓子・把手付容器など)があり、弥生時代の代表的な器種がそろっている。特に鳥形木製品は一木作りの完形品で、鳥が水面に浮かぶ姿を優美に彫り出すなど高い工芸技術を示している。
 弥生時代にはいると金属器が普及したことから、加工しやすい木製品の使用が多くなるが、木製品は腐蝕しやすいことから、発掘調査でまとまって出土することは少なく、貴重な資料である。

(写真はありません)

 

 

 

佐賀県重要文化財 黒井遺跡出土梯子(くろいいせきしゅつどはしご)

平成6年3月31日指定
神埼市神埼町神埼(神埼市教育委員会)
考古資料



 黒井遺跡は、神埼市千代田町黒井字一本松に所在する。佐賀平野の中央部、城原川右岸の標高3~4mの沖積平野上に立地する弥生時代から中世にかけての遺跡である。
 梯子は昭和59年の発掘調査で弥生時代中期の溝から出土したものである。
 この梯子は、全長3.86m、幅0.27~0.25m、厚さ0.28~0.16mで、クスノキの丸太材を面取りし、7段の足掛け部を削り出している。また両端と中央に幅10cm前後の方形の穴を開けている。
 この梯子は、全国の出土梯子の中でも最も大きい部類であり、弥生時代の高床式建物の構造及び建築技術を考える上で貴重な資料である。

黒井遺跡出土梯子

 

 

 

佐賀県重要文化財 夏崎古墳出土遺物(なつざきこふんしゅつどいぶつ) 

平成7年5月26日指定
伊万里市松島町(伊万里市歴史民俗資料館)
考古資料


夏崎古墳出土遺物
 夏崎古墳は、国見山系烏帽子岳から伊万里湾にのびる標高7mの丘陵先端部に築かれた、横穴式石室を内部主体とする円墳である。昭和46年に保存を目的とした発掘調査が行われた。墳丘は江戸時代の干拓事業によって削平を受けているが、復元径約24m、復元高約5mと推定される。
 出土した遺物は、甲冑、鉄剣、鉄刀、鉄鏃、性格不明鉄片、砥石があり、このうち小札鋲留眉庇付冑1、鋲留短甲1、鉄剣1、性格不明鉄片1は宝暦6(1756)年の干拓事業の開墾の際に発見されたもので、以後山代郷大庄屋であった多久島家の家宝として今日まで伝えられ、平成6年に伊万里市教育委員会に寄贈されたものである。
 本古墳の出土品は、武器・武具・工具からなる豊富な鉄器に特色があり、被葬者の武人的性格を良く表すものである。特に甲冑は断片的とはいえ甲と冑が1領分揃っている貴重な資料である。
 これらの遺物の時期は、石室の形態等から5世紀後半から6世紀初頭のものと考えられる。

 

 

 

佐賀県重要文化財 石塚一号墳出土遺物(いしづか1ごうふんしゅつどいぶつ) 

平成8年5月29日指定
佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


石塚一号墳出土遺物
 石塚古墳群は筑後川河口西岸に位置する佐賀市諸富町の南部、標高3~4mの低平な水田部に立地する。佐賀平野南部では、これまでのところ確認できた唯一の古墳である。古墳は現在までに2基を確認している。このうち1号墳は昭和63年に調査が実施され、横穴式石室から挂甲や金銅製装飾金具等の優秀な遺物が多数出土した。1・2号墳とも墳丘の大部分が削られ、石室も一部が残存するのみである。
 挂甲は胴甲1領分がほぼ完存し、他に付属品が一部分残存する。銅製飾金具は3点以上が出土している。表面にはタガネにより文様を打ち出している。全体が復元できるもののうち1点は中房が盛り上がり周囲に17弁の蓮華文を配したもので径6.6cm。他の1点は7弁を配して中央に火炎文を表したもので径7.0cm。馬具のうち杏葉は鉄地金銅張のもので7点出土している。
 これらの遺物は、同時に出土した須恵器の形式等から6世紀後半~末のものと推定できる。

 

 

 

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