
令和8年4月30日
文化課 佐賀復権推進チーム
担当者 江原、松永
内線:1908、1907 直通:0952-25-7253
E-mail:culture_art@pref.saga.lg.jp |
江藤新平と鍋島直正を主人公とした漫画『さがドーン~江藤新平と肥前の妖怪~』が週刊漫画雑誌『モーニング』に掲載されます
佐賀県では、令和6年(2024年)の江藤新平没後150年を契機に、佐賀戦争とともに消されてしまった江藤の功績に光を当てて「真の復権」を図る「江藤新平復権プロジェクト」を展開しています。
このたび、警察女子のリアルを描いた人気漫画『ハコヅメ』の作者・泰 三子(やす みこ)氏が描く超本格幕末譚『だんドーン』の番外編として、江藤新平と鍋島直正を主人公とした『さがドーン~江藤新平と肥前の妖怪~』が週刊漫画雑誌『モーニング』に5月14日発売号から6月11日発売号まで5週連続で掲載されることとなりました。
県では、県内はもとより、全国の皆さんに江藤の功績を知っていただくため、オリジナル漫画の雑誌掲載に合わせて、江藤の功績にゆかりのある最高裁判所や国会議事堂等がある永田町駅、県内書店や県内のコンビニ等にポスターを掲示します。
記
1 週刊漫画雑誌『モーニング』への掲載
(1)発売日:令和8年5月14日(木曜日)※以降5週連続掲載で完結
(2)掲載媒体:週刊漫画雑誌『モーニング』24号~28号/講談社
(3)その他:『モーニング』24号の表紙は『さがドーン』になっています。
2 永田町駅ばりポスター
(1)期間:令和8年5月4日(月曜日・祝日)から5月14日(木曜日)まで
(2)場所:永田町駅構内(有楽町線、半蔵門線、南北線のポスター掲示板 最大63箇所)(東京都千代田区永田町1丁目11-28)
(3)ポスターデザイン:【ポスター】江藤新平と鍋島直正を主人公とした漫画さがドーン~江藤新平と肥前の妖怪~ 
(4)備考:ポスターについて駅係員へのお問い合わせはご遠慮ください
(参考)
○『だんドーン』とは
週刊漫画雑誌『モーニング』にて連載中の本作は、累計発行部数500万部を突破した警察女子のリアルを描いた『ハコヅメ』の著者・泰三子氏が、幕末の日本を舞台に描く超本格幕末歴史コメディ。
後に「日本警察の父」と称される薩摩藩士・川路利良を主人公に、西郷隆盛や大久保利通といった維新の志士たちの交流を、綿密な時代考証と独自のユーモアを交えて描き出す。
激動の時代における情報戦や組織の本質を鋭く突いており、幅広い世代が楽しめる新しい幕末エンターテイメントとして注目を集めている。
○『さがドーン』のあらすじ
欧米列強の脅威が迫りくる幕末の世に「民が安心して暮らせる この国の未来を守ること」を夢見た第10代佐賀藩主・鍋島直正と彼に見いだされた若き稀才・江藤新平。
直正の夢の未来を実現させるために、激動の時代を疾風のように駆け抜けた江藤新平の短くも強烈な人生を、『だんドーン』の作者・泰三子氏が史実を参考にしながらも独自のユーモアを交えて描いた作品。
○『さがドーン』漫画化の経緯
・ 江藤新平の没後150年を契機とした復権プロジェクトの一環として、文化課佐賀復権推進チームでは、様々な媒体へのプロモーション活動を実施。
・ その一環として、講談社の週刊漫画雑誌『モーニング』の人気作品『だんドーン』について、江藤が活躍した幕末から明治の激動の時代であり、主人公・川路利良は、司法卿であった江藤新平の指名によって渡欧し、その成果から警察制度改革の建議を提出するなど、今後作品内で江藤新平との関わりが出てくるのではないかと予想し、講談社の同作品の編集者に、江藤新平に係る資料提供や来佐しての取材案内などを実施。
・ 編集者を通じて作者に情報提供等について連絡してもらったところ、江藤の人物や功績に強い関心をもっていただき、令和7年2月に作者の来佐取材が実現。佐賀城本丸歴史館の学芸員のアテンドによる江藤常設コーナーや図書館での歴史資料閲覧、江藤ゆかりの地の訪問などを実施。
・ 佐賀の取材を通じて、佐賀藩の科学技術力が他藩とは「格が違う」こと、江藤新平や第10代藩主鍋島直正の「凄さ」に感銘を受けた作者は、オリジナルストーリーの漫画化を企画。
・ 追加の取材や講談社内部での検討を経て、取材から1年3か月後の令和8年5月14日、ついに江藤新平と鍋島直正を主人公とした『さがドーン~江藤新平と肥前の妖怪~』が『モーニング』に掲載されることとなった。
○江藤新平と鍋島直正の関係性
直正は、欧米列強の脅威をいち早く察知し、国防のために西洋の学問や科学技術を取り入れるなどした先見性のある名君として知られる。
藩校の弘道館を充実させ、身分や家柄だけに頼らず、実力を重んじる教育を行い、この弘道館で学んだのが江藤新平。
江藤は、貧しい下級武士の家に生まれ、弘道館への入学は遅かったが、猛烈に勉学に励み、鋭い考えを持つ若者として藩の中でも評判となる。
やがて京都で見識を広げるため、藩を離れるという思い切った行動に出た江藤。本来なら脱藩は「死罪」という重い罪だったが、江藤がまとめた京都見聞の内容の的確さに、直正は、江藤を「将来有望な人材」として評価し、厳しい罰ではなく謹慎にとどめたと伝えられている。