経筒 4口
平成22年3月12日指定
佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館
考古資料
脊振山は福岡・佐賀両県の県境にある脊振山系の最高峰(標高1,055m)で、古くから天台宗の霊場であった。
「背振山」銘銅製経筒4口は、側面に線刻されている銘文から、脊振山中腹に所在する霊仙寺跡(りょうせんじあと)に埋納されたものの一部と考えられている。いずれも鋳銅製の円筒式であり、極めて類似した形態・法量であるが、蓋のつまみや底部形態・銘文に小異がある。
1号経筒は総高35.6cm。蓋(ふた)は相輪形(そうりんがた)のつまみの付いた笠形である。
2号経筒は総高36.0cm。蓋は相輪形のつまみの付いた笠形である。
3号経筒は総高27.5cm。蓋は宝珠形(ほうじゅがた)のつまみの付いた笠形である。
4号経筒は総高27.5cm。蓋は宝珠形のつまみのある笠形である。
銘文は1号経筒が最も明瞭であり、康治元年(1142年)11月16日、「□西□前洲背振山」において僧「増忍(ぞうにん)」によって「勸進(かんじん)」され、供養・埋納された法華経(妙法蓮華経)12部の一部であることがわかる。