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県指定(考古資料の部)12

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佐賀県重要文化財(考古資料)の部 

 

佐賀県重要文化財 藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡(ふじのきいせきしゅつどしようざれんこもんきょう)

平成20年3月14日指定

鳥栖市宿町1118 鳥栖市教育委員会

考古資料


藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡

 藤木遺跡は鳥栖市藤木町に所在する。平成6年度から11年度に発掘調査が行われ、弥生時代の集落跡と墳墓、中世の集落跡などが確認されている。この鏡は、弥生時代後期の墳墓である石蓋土壙墓から2つに割られた状態で出土し、被葬者の頭部付近に副葬されていたものと考えられている。

 中国の後漢時代(紀元1世紀後半頃)に製作された「四葉座連弧文鏡」とよばれる青銅鏡で、面径は13.2cmである。鏡背の外側(外区)には平坦な縁があり、内側(内区)には櫛歯文帯、8個の連弧文などを組み合わせた文様帯があり、中央には宝珠形の四葉文の鈕座となる。

 本資料からは、完形鏡を意図的に割り、副葬するという弥生時代の埋葬儀礼を知ることができる。また、大陸との交流を通じて中国鏡を入手できた首長層の存在が推定され、当時の社会構造を解明する資料としても重要である。

  

佐賀県重要文化財 平原遺跡出土並木式土器(ひらばるいせきしゅつどなみきしきどき)

平成20年3月14日指定

佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館
考古資料


 平原遺跡は鳥栖市柚比町字平原・大久保と今町字岸田に所在する。遺跡の主体は標高30~54mの丘陵上に展開する弥生から古墳時代の集落跡であるが、標高20~25mの丘陵下の扇状地部分からは、縄文時代中期(約4500年前)の集石遺構とともに並木式土器と呼ばれる土器がまとまって出土している。

 この並木式土器は器形が深鉢形で、胎土に滑石粉を多く混入し、上部に指による凹線文とその間に半裁した竹などの工具による押引文や連続刺突文が施されるのが特徴である。

 並木式土器は九州を中心に約120遺跡から出土しており、このうち佐賀県内の出土例は11遺跡である。平原遺跡の3点は、全体の器形がわかるものとしては県内初例であり、また、他の遺跡においても本資料ほど良好な資料は出土しておらず、並木式土器の研究や九州地域の縄文中期土器の系統・編年を考える上で重要である。

平原遺跡出土並木式土器平原遺跡出土並木式土器平原遺跡出土並木式土器

 

佐賀県重要文化財 戦場ヶ谷遺跡出土青銅製鋤先(せんばがたにいせきしゅつどせいどうせいすきさき)

平成21年4月1日指定
佐賀市城内一丁目1-59 (佐賀県教育委員会)
考古資料


戦場ヶ谷遺跡出土青銅製鋤先 戦場ヶ谷遺跡は、神埼郡吉野ヶ里町大字三津に所在し、脊振山地から佐賀平野に伸びる高位段丘の基部とその周辺の谷部、標高45~80m付近に立地する。

 戦場ヶ谷遺跡を含む一帯は、工業団地造成に伴い発掘調査が実施され、古墳の墳丘下などから縄文時代早期~中期の包含層・集石遺構、弥生時代前期の墓地、後期の土器群などが検出された。

 この青銅製鋤先はほぼ完形であるが、鋳造時の湯回りの不足による細長い欠損が袋部に見られる。全長6.5cm、刃部幅8.7cm、袋基部幅9.1cm、袋基部厚1.9cmで、袋部の内法は長さ4.1cm、幅8.1cmを測る。

 本例は弥生時代後期の集落や墓地から離れた山麓の谷奥部において、意図的な埋納を窺わせる状況で出土した点が特に注目される。

  

佐賀県重要文化財 戦場古墳群出土銀象嵌刀装具(せんばこふんぐんしゅつどぎんぞうがんとうそうぐ)

平成21年4月1日指定
佐賀市城内一丁目1-59 (佐賀県教育委員会)
考古資料


戦場古墳群出土銀象嵌刀装具 戦場古墳群は、神埼郡吉野ヶ里町大字三津に所在し、脊振山系から南方の佐賀平野へと派生する丘陵部に立地する。

 本資料は刀装具と思われる鉄製品で、表面全体の約1/3が錆により失われているものの、旧状を残す部分には銀による象嵌が良く残る。大きさは高さ2.9cm、幅は最大2.9cmで、形態は円筒形で袋状をなし、端部はやや厚みをもって段をなす。

 象嵌技法は朝鮮半島から伝えられたものだが、象嵌を施す古墳時代の鉄製品としては、佐賀県で初めての出土である。6世紀後半~7世紀初頭のものと推定される。

 象嵌大刀は、ヤマト政権から地方豪族や有力者層への下賜品と考えられていることなどから、古墳時代後期におけるヤマト政権と佐賀平野の政治的関係を考える上で重要である。

 

佐賀県重要文化財 名護屋城跡出土天正十八年銘文字瓦(なごやじょうあとしゅつどてんしょうじゅうはちねんめいもじかわら)

平成21年4月1日指定
唐津市鎮西町名護屋1931番地3 佐賀県立名護屋城博物館

考古資料


名護屋城跡出土天正十八年銘文字瓦 名護屋城跡の保存整備事業に伴う発掘調査(平成6年度)の際、水手曲輪西側の塀跡付近で、廃城時に破却された石垣の崩落石材と土砂に混じった状態で出土した。

 瓦の種類は丸瓦で、一部欠損している。瓦の大きさは、残存長26.8cm、幅15.6cm、厚さ約2.4cmである。

 瓦の表面に「天正十八年/四天王侍住人藤原朝臣美濃? /住村与介 /五月吉日 吉? 」の銘文が施されている。銘文については、年号・住所・人名しか記されていないが、その出土状況から考えると、水手曲輪内の建物建立にかかわるものと思われる。

 この天正十八年銘文字瓦は、従来から考えられていた築城の時期(天正19年)を1年余り遡ることになり、名護屋城の築城開始時期の問題にまで波及するものである。また、築城に際しての瓦工人の関わり方を検討する上でも貴重な資料となる。

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 「背振山」銘銅製経筒(「せふりさん」めいどうせいきょうづつ

経筒 4口

平成22年3月12日指定
佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館 
考古資料


 脊振山は福岡・佐賀両県の県境にある脊振山系の最高峰(標高1,055m)で、古くから天台宗の霊場であった。

 「背振山」銘銅製経筒4口は、側面に線刻されている銘文から、脊振山中腹に所在する霊仙寺跡(りょうせんじあと)に埋納されたものの一部と考えられている。いずれも鋳銅製の円筒式であり、極めて類似した形態・法量であるが、蓋のつまみや底部形態・銘文に小異がある。

   1号経筒は総高35.6cm。蓋(ふた)は相輪形(そうりんがた)のつまみの付いた笠形である。

   2号経筒は総高36.0cm。蓋は相輪形のつまみの付いた笠形である。

   3号経筒は総高27.5cm。蓋は宝珠形(ほうじゅがた)のつまみの付いた笠形である。

   4号経筒は総高27.5cm。蓋は宝珠形のつまみのある笠形である。

 銘文は1号経筒が最も明瞭であり、康治元年(1142年)11月16日、「□西□前洲背振山」において僧「増忍(ぞうにん)」によって「勸進(かんじん)」され、供養・埋納された法華経(妙法蓮華経)12部の一部であることがわかる。

「背振山」銘銅製経筒背振山銘銅製経筒背振山銘銅製経筒背振山銘銅製経筒

左から、1号経筒、2号経筒、3号経筒、4号経筒

 

佐賀県重要文化財 久里双水古墳主体部出土品(くりそうずいこふんしゅたいぶしゅつどひん) 

4点

平縁盤龍鏡(ひらぶちばんりゅうきょう) 1面

碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま) 2点

鉄製刀子(てつせいとうす) 1口

平成23年3月25日指定
唐津市西城内1-1 (唐津市)
考古資料


平縁盤龍鏡

 古墳時代形成期の北部九州において屈指の規模を有する未盗掘の大型前方後円墳から出土したもので、当時の最高首長層の威信財(いしんざい)所持のひとつの典型を示すものとして重要な意義を有する。また県内唯一の出土例である中国製盤龍鏡の入手経路を含め、弥生時代の末盧国が、ヤマト政権を中心とする倭国社会の一構成員として発展していく過程を、大陸との交渉を含め多角的に分析していく上でも極めて高い学術的価値を有する。

 平縁盤龍鏡主要寸法 直径12.85cm、縁の厚さ0.8cm、重さ498.6g

 

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 吉野ヶ里遺跡出土銅鐸
(よしのがりいせきしゅつどどうたく) 

1口

平成23年3月25日告示
所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 県立博物館

所有者 佐賀県
考古資料


吉野ヶ里遺跡出土銅鐸

 九州で初めて出土した銅鐸であり、出雲木幡(いずもこわた)家伝世資料と同笵(どうはん)関係にある福田型銅鐸である。銅鐸分布圏外とされてきた九州での使用や埋納を示す資料であるとともに、県下で出土した福田型銅鐸の鋳型と関連して、銅鐸の生産と流通を明らかにし、弥生時代社会の広域交流を分析する上で、極めて重要な資料である。

 総高 28cm、紐高8.7cm、鐸身高19.3cm、舞幅9.4cm

 

 

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 牟田寄遺跡出土銅印
(むたよりいせきしゅつどどういん) 

1顆

平成24年4月27日告示
所有者 佐賀市
考古資料


牟田寄遺跡出土銅印

 

 県内で初例となる古代の印章で、完存の鋳銅製品である。印文は、一字を陽刻で鋳出すが、判読できない。形態的な特徴や規格等から平安時代前半の私印と考えられる。

 本印は、大和古印とも称される古代銅印の希少な遺存例であり、平安・奈良時代における地域社会の様相を考える上で重要な資料である。

 高さ43mm、印面縦横34mm

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 牟田寄遺跡出土卜骨
(むたよりいせきしゅつどぼっこつ) 

8点

平成24年4月27日告示
所有者 佐賀市
考古資料


牟田寄遺跡出土卜骨

 

 獣骨や亀甲を灼き、焼けひびの形状で吉凶を占う卜占(ぼくせん)のうち、獣骨を灼く骨卜(こつぼく)に用いた卜骨である。

 本資料は、県内で初めて出土した卜骨であり、弥生時代後期から古墳時代初頭の北部九州における精神文化の一端をうかがうことのできる例として重要である。

(写真は8点のうち2点)

左 残存長15.0cm、残存幅6.8cm 右 残存長15.0cm、残存幅8.3cm

 

 

佐賀県重要文化財 地蔵平遺跡出土石器(じぞうだいらいせきしゅつどせっき)47点
(ナイフ形石器23点・台形石器4点・角錐状石器5点・剥片尖頭器6点・台形様石器9点) 

平成25年4月30日指定
所在地 佐賀市城内一丁目1番59号 佐賀県教育委員会
所有者 佐賀県

考古資料


地蔵平遺跡出土石器 地蔵平遺跡は、佐賀市富士町大字大野に所在し、嘉瀬川水系上流域を流れる河川の合流部に臨む河岸段丘上に立地する後期旧石器時代~縄文時代早期の遺跡である。

 平成18~22年度に実施された発掘調査により、AT(姶良丹沢火山灰:約28,000~30,000年前に降灰)の一次堆積層が検出され、遺物約47,000点が層位的に出土した。ATを挟む上下の複数の層からは、後期旧石器時代のナイフ形石器・台形様石器・台形石器・剥片尖頭器・角錐状石器・掻器・削器・彫器・ドリル等が多数出土し、その他にも原石・石核・素材剥片等、石器製作に関わる多くの遺物が出土した。

 指定する石器は、これらのうち、石器の編年に有意であると考えられる層位から出土したもので、典型的形態を示すものや状態が良好なもので、北部九州における後期旧石器時代の石器の編年を考察する際の基準資料となり、特に重要である。

 

 

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