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国登録(建造物の部)05

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登録有形文化財(建造物) 天吹酒造(あまぶきしゅぞう) 

主屋・離れ座敷・貯蔵庫(旧麹室)・仕込蔵・地下貯蔵庫・貯蔵庫(旧白米倉庫)・瓶詰工場(旧仕込蔵)・旧蔵人用炊事場煙突・旧酒造蔵煙突 9件

   平成25年12月24日指定
   三養基郡みやき町大字東尾字東尾2894
   建造物


天吹酒造仕込蔵 江戸中期創業と伝わる造酒屋で、現当主は、木下家十代目に当たる。当初は木下酒造場と称したが、昭和27年に現在の天吹酒造合資会社に改称した。当地の敷地は旧道を挟み南北に分かれ、当初は北側敷地のみで酒造を行っていたが、大正期に南側敷地を取り込んで事業拡大を図った。

 今回登録される建造物群は、酒造にかかる一連の流れを良好に残すものであり、もとは、「貯蔵庫(白米倉庫)」に貯蔵した白米を蒸して、「貯蔵庫(旧麹室)」で麹をつくり、「仕込蔵」「瓶詰工場(旧仕込蔵)」で仕込み、完成した清酒を「地下貯蔵庫」で貯蔵していた。敷地内には酒造蔵に附属していたイギリス積煉瓦造の「旧酒造蔵煙突」も残る。

また、伝統的な住宅形式を伝える「主屋」や、開放的な室内構成で、造作も瀟洒な「離れ座敷」といった居住部分や、従業員の賄い用に使われた「蔵人用炊事場煙突」など、酒造関連施設も良好に残り、田園風景の中にある老舗酒造場における生業や生活の様相を伝え、地域の歴史的景観に寄与するものとして重要な建造物群である。

 

登録有形文化財(建造物) 旧村上歯科医院(中町カーサ)(きゅうむらかみしかいいん(なかまちかーさ))

1件

   平成26年4月25日指定
   唐津市中町1863
   建造物


旧村上歯科医院(中町カーサ)

 唐津市の中町通りに正面を西に向けて建ち、下見板張りにモスグリーンのペンキ塗洋風の外観は、町家が連続する商店街の中で特色ある存在として親しまれている。
 建築年代は、登記簿によると昭和8年(1933年)で、建物は木造2階建て、寄棟造り桟瓦葺きで、歯科医院兼住宅として建てられたものである。
 歯科医院は昭和後期まで営業され、平成11年までは住宅として使用されていたが、その後唐津市に寄贈され、平成24年から25年度にかけて半解体修理が行われて、現在は喫茶店やコミュニティスペースとして活用されている。
 建築時の建物は、1階を和風の住宅、2階を洋風の歯科診療所として使用されており、2階に診療所が設けられたのは、診療のための明るい陽光を確保するためであった。外観は下見板張りで2階に欄間付の縦長窓を並べた洋風意匠と、1階庭側に和風の縁を併せ持った外観となっている。
 この建物は、唐津中町通りの象徴的な存在として長く親しまれ、景観上も重要な存在であるなど高い価値を有している。

 

登録有形文化財(建造物) 町家カフェぜん(まちやかふぇぜん) 

1件

   平成26年4月25日指定
   唐津市坊主町552-5
   建造物


 町屋カフェぜん国道204号(唐津街道)と県道33号が交差する坊主町交差点から、一本西側の通り筋に正面を東に向けて建つ。
 建築年代は、土地・建物・名寄帳によると大正14年(1925年)で、建物は木造2階建て、入母屋造り桟瓦葺きで、質屋店舗兼住宅として建てられたものである。近年になり、建物存続が危ぶまれる状態となったところを現在の所有者が取得し、町家を活かしたカフェとして平成24年11月にオープンしている。
 建築時の建物は、南半を質屋の店舗、北半を住宅として使用されており、2階南半は質蔵で、防火防犯を考慮して開口部を小さくし、外観もモルタル塗込めとして、銅板で建具や桁木口(こぐち)等を覆っている。これらの意匠は、堅牢で重量感のある堂々たる印象を与え、質屋に相応した外観を演出している。
 当該建物は、建設後の改変がほとんど無く、当時の質店の建築的特徴をよく伝えるものとして、高く評価できるものである。

 

登録有形文化財(建造物) 旅館綿屋本館(りょかんわたやほんかん) 

1件

   平成26年4月25日指定
   唐津市大名小路150他
   建造物


 綿屋旅館本館唐津市大名小路と松浦川に挟まれた細長い敷地に所在する。
 本館は木造3階建て、寄棟造り桟瓦葺きで、綿屋5代目の現当主によると、もとは伊万里の立川に自宅を構えていた炭鉱主田代政平氏の別荘として、明治38年(1905年)頃に建築され、綿屋3代目の川添次郎氏がこれを譲り受けて、昭和8年頃に旅館として改装し使われてきたものである。昭和11年に、3階の増改築を行って現在の外観が、そして昭和55年に、大広間を小部屋に区切り、全室に浴室便所をつける改装を行って現在の内観ができ上がっている。
 入母屋造りで庇を廻らす車寄せ(玄関)は、亀甲状の天井を張り、二軒の垂木を千鳥に配り、全体に手の込んだ、堂々たる構えとなっている。また、客室の銘木による座敷飾りや透彫欄間、各種建具などの意匠も洗練されたものとなっている。
 この建物は木造3階建てと大規模で、和風の書院造りを基本としつつ、かつての炭鉱主の別荘建築及び木造旅館の風情を活かして活用している好例である。

 

登録有形文化財(建造物) 旅館綿屋洋館(りょかんわたやようかん) 

1件

   平成26年4月25日指定
   唐津市大名小路153
   建造物


 旅館綿屋洋館本館の南西隅に接続する木造平屋建て、寄棟造り桟瓦葺きで、建築年代は本館と同じ明治38年頃と伝わっている。
 御影石の布基礎を巡らし、外壁は羽目板張りで白ペンキが塗られている。本館の玄関に向く北面に二重扉の出入口を開き、御影石2段の石段が置かれており、室内は、絨毯敷きの床に、白漆喰の壁、天井はモールディングで折上げ、木製の中心飾りを付けている。天井が高く、漆喰装飾、建具の細工など、重厚な雰囲気を醸し出している。
 現在は、客室となっているが、当初は本館から独立して建てられた洋風意匠の応接間で、明治期の洋館と並立した別邸建築の好例である。

 

 

登録有形文化財(建造物) JR 唐津線小城駅本屋(じぇいあーるからつせんおぎえきほんや) 

1件

   平成28年2月25日告示
   小城市三日月町久米字甘木二本八2076-1
   建造物


JR 唐津線小城駅本屋

 小城駅は、北側に広がる小城市街地に向かって北面して建つJR唐津線の中間駅である。JR唐津線は、唐津炭田の開発に伴う唐津港までの石炭輸送を要因として、唐津から牛津停車場間の鉄道施設を目的に敷設されたものである。

 小城駅は、唐津線の全線開通に伴い明治36年(1903)12月14日に開業したもので、本屋入口上部には大正6年(1917)3月27日の建物財産標を掲げるが、明治45年(1912)1月の印のある小城駅庭園落成記念の古写真にはすでに現在の本屋建物が確認される。

 建物は、木造平屋建てで外壁を真壁造白漆喰仕上げ、腰部を縦羽目板張とする。上屋の四周には下屋を廻し、屋根は寄棟造桟瓦葺。東西棟で中央の出入口を挟んで東側に待合室、西側に駅務室を配置する。

 昭和中期には、本屋の西側に休憩室と給湯室からなる附属屋が増築されていたが、平成26年12月から平成27年3月にかけて駅舎の改修工事が行われ、当初の規模に戻されるとともに周囲の環境整備が施され利活用が進められている。

 JR唐津線小城駅本屋は、日本の近代化に貢献した石炭産業を支え、小城市街の顔である現役の駅舎として開業当初の様相を良く留める重要な建物である。

 

 

登録有形文化財(建造物)
旧百﨑家住宅主屋(きゅうももさきけじゅうたくしゅおく)  1件

   平成29年5月2日告示
   所在地 佐賀市水ヶ江三丁目231番地
   所有者 服部八重


 

旧百﨑家

旧百﨑家住宅は、佐賀市の中央部、佐賀城南堀端から東西に延びる水ヶ江横小路の南側に北面して建つ。敷地の西側と南側は佐賀平野特有のクリークに面し、佐賀城下図によると藩政期には佐賀鍋島藩の御典医を務めた石井家が居住する武家屋敷地であったことがわかる。所有者は、石井家から続く家系で代々医者を務めており、主屋では以前診察も行われていたという。また、祖先の石井如自は、佐賀近世文壇の先駆的作家と称される俳人として有名で、後に所有者となった明治期の百﨑欽一も医者として医院を経営する傍ら俳人として活躍した人物である。

屋敷は、明治前期の建築と考えられる寄棟造茅葺の主屋とその南西側に昭和6年に増築された二階建ての離れが附属する構成をとる。茅葺屋根は棟を三方に鉤の手状に折り曲げた複雑な外観を持ち、四方に桟瓦葺の下屋を廻らして全体的に立ちの低い造りとする。主屋の座敷は南側にある庭園に向けて開放的な造りで、内部造作は簡明ながら質が高い。

 旧百﨑家住宅は、佐賀城下において来歴の判明する武家屋敷地に建ち、御典医と俳人の流れを有する所有者によって代々受け継がれてきたもので、茅葺の主屋は複雑な屋根形状からなる地方的特色と質の高い武家屋敷の様相を有し、佐賀城下における往時の景観を今に伝えるものとして価値を有している。
 
   
 

登録有形文化財(建造物)
中野家住宅主屋等(なかのけじゅうたくしゅおくとう)  計6件  

   平成29年5月2日告示
   所在地 藤津郡太良町大字伊福字椎ノ木坂甲1978番地
   所有者 中野高治

 

中野家

中野家は地元の名家で、本住宅を建築した中野権六は県議会議員や佐賀毎日新聞社社長を務め、萬亀夫人は婦人の地位向上や地元の教育活動に努めるなど、地域の振興発展に尽力した家柄である。当初、屋敷には主屋の他に寮や土蔵、作業場等もあり、これらの建物において教育活動やそこで学ぶ生徒達との共同生活、集会等が行われた。

現存する主屋は明治42年(1909)の上棟で、主屋棟と座敷棟、納戸棟から構成されており、これらを中央にある一間幅の廊下で結ぶなど、賓客や生徒の往来を考慮した平面構成となっている。主屋棟は虹梁や蟇股など意匠を凝らした式台玄関を有し、座敷棟は椅子座に合わせて床を腰高に設けた座敷と床、棚、付書院を備える伝統的な座敷の両者を配し、接客や教育活動の使用のため工夫された平面構成に近代的展開を示す。

主屋の正面には隅を几帳面取し、頂部に切石を一段と蛇腹の装飾をもつ笠石を載せた石柱二本を立てて重厚な表構えを成す。また、敷地背後には、山から浸透する水を崖に溜める貯水槽を設け、この内、上と下の取水口は煉瓦積アーチ門を開くなど、地の利を活かした近代的な自家用給水設備の様相を今に伝えるものである。

中野家住宅は、地域振興や教育に尽力した名士の住宅で、主屋棟、座敷棟、納戸棟を廊下で結び、接客や教育活動の使用のために工夫された平面構成に近代的展開を示すもので、煉瓦造の水槽や取水口からなる近代的な自家用給水施設を備え、屋敷地を構成する石造の門柱や石垣とともに価値を有するものである。

 

 

 

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