企画展示「公文書から読み解く明治維新と佐賀(3) ―変わるくらし― 」 最終更新日:2021年2月3日 Saga Prefectural Government Archives HOME 館の紹介 利用案内 企画展示 刊行物等 アクセス リンク集 企画展示「公文書から読み解く明治維新と佐賀(3) ―変わるくらし― 」 概要 「明治維新と佐賀」をテーマとした全4回シリーズ展示の3回目。明治時代初期に西洋文化が入ってきたことによって変化した人々のくらしについて紹介しました。(展示数12点) 【会期:平成30年10月3日~12月28日】 主な展示資料紹介 各区へ旧藩札交換方之儀再達(明治8年1月31日) 明治初頭は、江戸時代のお金・藩札と明治政府が発行したお金が入り乱れて流通していました。明治4年(1871年)、政府は新貨条例を定め、円・銭・厘を単位として、信頼できる全国統一の紙幣と貨幣を発行しました。 佐賀県は、期限内に藩札を新貨幣と交換しなければ、期限後は通用できないこととし、隠れて通用した者は処分すると達しています。 郵便局新設置往復度数増加の件(明治8年2月8日) 明治4年(1871年)1月24日、新式郵便制度の開始が布告され、同年3月1日から東京・大阪・京都間において郵便事業が始まりました。郵便路線は広がり、県内においても、同年末までに鳥栖・神埼・小城・嬉野・佐賀の各地に郵便取扱所(のちの郵便局)が設置されました。明治8年(1875年)には新たに23の郵便局が設置され、郵便の往復回数も増加されました。 朝鮮釜山浦へ海底電線架設の件 (明治17年3月19日) 明治4年(1871年)8月、東京~長崎間を結ぶ電信線架設工事が始まり、明治6年(1873年)2月に開通しました。佐賀県では同年10月1日、佐賀郵便取扱所に佐賀電信局が併設され、電報業務を開始しました。また、日本における国際電信は、明治4年、デンマークの大北電信会社によって敷設された長崎~上海間の海底電信から始まりました。同社は、明治16年(1883年)に呼子から壱岐、対馬経由で釜山まで海底電信線を敷設しました。