松原神社国宝焼失届 国宝保管並ニ監守者別置願 (大正12年11月16日) (大正8年5月16日) 明治元年に政府が布告した神仏分離令をきっかけに、廃仏毀釈運動が全国に広がり、寺院等が所蔵する仏教関係の文化財が破壊・流失の危機にありました。国は全国の古社寺にある古文書、美術工芸品、書跡、建造物等を調査し、明治30年に古社寺保存法を制定、日本初の文化財指定が行われました。同法では、指定された宝物類を所有する社寺に対し私権の制限を行ない、管理責任を負わせることとし、これにより文化財の散逸防止が法的に制度化されました。 左の画像は、松原神社(佐賀市)所有の国宝3点が焼失したとの届出の控です。同神社は、社内に国宝を保管する適当な場所がないという理由で、寄進元である鍋島家の東京の邸宅への移管申請を文部大臣に提出し(画像右)、許可されました。しかし大正12年9月の関東大震災で鍋島家邸宅が火災に遭い、同時に国宝も焼失となったことを国に報告しました。 |