大正9年三養基中学校 大正初期、県内には佐賀・唐津・鹿島・小城の県立中学校と私立の龍谷中学校がありました。中学校の配置や増設について、たびたび県会に持ち出されており、また神埼・三養基地区選出議員の熱心な要請もあって佐賀中学校三養基分校を設立する動きが起こります。 この簿冊には、新設に関しての建議案や、分校位置選定に関する関係市町村からの内申などが綴られています。 | 佐賀中学校三養基分校位置選定について上申書 (大正8年6月10日) 三養基郡長から県へ、分校敷地及び整地費の提供に関する上申書。 設置が決定した中原村(現みやき町)以外にもいくつかの候補があり、各町村は分校誘致のために内申書を県へ提出しています。 大正9年2月、文部省告示第39号により、佐賀中学校三養基分校を佐賀県立三養基中学校と改称の上、開校することが認可されました。 |