佐賀県立美術館は開館以来、明治から昭和初期にかけて活躍した佐賀県出身の日本近代洋画の巨匠 岡田三郎助(1869~1939 )の画業と人物を 顕彰 してきました。
今回、OKADA ROOM Vol.2 7 では、「 岡田三郎助名品選―その美の歩み― 」と題し、 制作年が明記された岡田三郎助の作品を中心に、当 館のコレクションから選りすぐった名品を、下記のとおり展示 します。
展示作品の中には、暗い色調 を用い、 優れた写実表現 によって人物を描いた《 矢調べ》(明治 26 年) をはじめ、 雄大な山の描写に繊細な色の変化を見て取ることが 出来る 《富士山 (三保にて 》(大正 9 年)、 人体の質感と背景の鮮やかな色彩の調和が見事な《裸婦》(昭和10 年)などがあり 、 最初期から円熟期に至る17点の作品を通して、岡田が画家として追い求めた表現の変遷を御覧いただけます 。
また、開催期間中には、平成30年に佐賀県立博物館東隣に移築・復原された岡田三郎助アトリエが 、今年で 、5周年を迎えることを記念し、 5周年記念連続講座「日本近代洋画の栄華 岡田三郎助」 を開催します。 佐賀偉人伝3『岡田三郎助』の著者松本誠一(当館名誉顧問)が岡田の魅力を多角的にお話します。
岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ、1869~1939)
1869年(明治2年)、佐賀県佐賀町(現佐賀市)に旧佐賀藩士石尾孝基(いしお・たかもと)の三男として生まれる。幼時に油絵に関心を持ち、のち洋画を学ぶ。黒田清輝(くろだ・せいき)、久米桂一郎(くめ・けいいちろう)らとともに洋画団体「白馬会」を創立、東京美術学校の西洋画科の助教授に就任する。また文部省の留学生としてフランスに渡り、画家ラファエル・コランから穏やかで明るい色調の作風を学んだ。帰国後は東京美術学校教授として、官展の指導者として、後進の育成に力を注ぎ、1937年(昭和12年)、第1回文化勲章を受章した。
繊細優美な婦人像を多く描き「美人画の岡田」と呼ばれた。
岡田三郎助は、1908 年 (明治41年) から 1939 年(昭和14年) まで、現在の東京都渋谷区恵比寿で暮らし、制作に打ち込みまし た。自宅に隣接したアトリエは木造の洋風建築で、岡田の没後は 洋画家 の 辻永が譲り受けました。 辻家の人々により 長年守られた後、佐賀県立博物館東隣に移築・復原され 、 2018 年(平成30 年 )度から一般公開されています 。 2022 年(令和4 年)には、国の登録有形文化財に登録されました。
このアトリエで岡田の名作の数々が誕生し、またその一室は、彼が主宰した画塾「女子洋画研究所」の教室として使用され 、数多の女性画家たちが巣立ちました。
御来館の際は、ぜひアトリエもあわせて 御見学ください。