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シーズン2「藩主・直正語録」

最終更新日:

(2017年1月11日~3月15日 放送分 全10回)

 

第1回 押し返し候ても相願い候よう(2017年1月11日放送)



富田さん:やぁ、お久しぶり!マスター!お店の名前がすっかり変わってしまっているから、通り過ぎるところでしたよ。

 

マスター:あぁ、富田さん。もう来てくれないかと思いましたよ。

 

富田さん

そんなことありませんよ!それより、さっきからマスター、花びらを一枚一枚ちぎって・・・。
まさか!?「恋占い」?

 

マスター:

あはは…いやぁ、お恥ずかしい。去年のクリスマスに偶然出会ったヒトに一目ぼれしてしまって。で、告白すべきかどうか、花占いをやっていたんです。

 

富田さん:いつも貪欲なマスターらしくないですね!

 

マスター:あははは、お恥ずかしい。

 

富田さん:そうだ!幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公のこんな言葉を知っていますか?

 

マスター:聞きたいですねぇ。

 

富田さん:「押し返し候ても相願い候よう」

 

マスター:全く入ってこないですねぇ…。

 

富田さん:じゃあ、そんなマスターのために説明しましょう。

 

マスター:あぁ~、ありがとうございます。

 

富田さん:話は江戸時代、幕末、佐賀藩は西洋の船が唯一来航する長崎の港の警備を担ってました。

 

マスター:ええ。

 

富田さん

大型の外国船の来航に備えて、海防を強化するため、佐賀藩は藩の単独事業として西洋国並みの大型の大砲を造ったり、長崎に新しい砲台も築くんですね。

 

マスター:ええ。

 

富田さん:その大砲をつくる工場が反射炉と呼ばれる施設ですね。

 

マスター:ええ。

 

富田さん

この時、直正公は、どうしても蒸気船が必要だと考えてました。
なぜかと言うと、陸地につくった砲台というのは、射程距離の範囲を超える外国船に対しては砲撃を加えることができませんよね。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:もし外国船が長崎港で勝手な上陸や、海や陸地の測量など、不法な働きをして沖の方に逃げて行ったら、その船を追跡しないといけないからなんです。

 

マスター:なるほど。私の想う人も、射程距離から外れているのかもしれないなぁ・・・。

 

富田さん:マスター、じっとしているだけではダメですよ。思いが届くまで距離を縮めなきゃいけませんよ。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:直正公も、逃げていく敵に対して、どうしても蒸気船が必要だと考えたんですから!

 

マスター:う~ん。

 

富田さん

そして、佐賀藩最初の蒸気船を、直正公はオランダから購入します。
ただ店先に並んでいるような商品ではありませんから、オランダ側との交渉や、幕府に対しては事前の購入に対する許可申請が必要になるなど、大変な買い物だったんですね。この時直正公が、徳永傳之助という側近に宛てた直筆の指示書にはこうあります。
 「先日私は長崎でオランダ人と面会し、来年、佐賀藩のために蒸気船を長崎に持って来て欲しいとの約束を取り付けようとしたところ、思いのほかすぐにいい返事をもらえたぞ。実はすでに幕府が一艘持っている蒸気船よりも、もっと性能の良いヤツを持ってきてあげますよ、と即答だったぞ」と。

 

マスター:はい。


富田さん

一方で直正公は、幕府に提出する申請書についてはこう言ってます。
 「万一、願書御差返しに相成り候共、押し返し候ても相願い候よう取り計いたく候」
つまり、幕府が受理してくれなかったとしても、押し返してでもゴリ押ししなさいという指示を出しているんですね。

 

マスター:ゴリ押しか~…。

 

富田さん:やがて明治維新の10年前にあたる1858年、念願の初めての蒸気船が長崎に到着します。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん

この年にオープンしたのが、西洋式の船乗りの訓練所にあたる御船手稽古所(おふなてけいこしょ)。
やがてこれが発展して、2015年、世界遺産に登録された「三重津海軍所」になるんです。

 

マスター:あ~。

 

富田さん

どうしても蒸気船が欲しいというこの直正公の熱い意志が、藩主自ら直接オランダ人と交渉する行為につながり、一方で藩士たちにも強い対応を求める明確な指示になったんですね。
やがて、こうした蒸気船を中核として海軍を新しくつくって、三重津海軍所の整備や、初めての実用蒸気船の建造の成功まで発展していったんです。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:マスターも、強い意志を持って、ぶつかって行かなきゃですよね。

 

マスター:

時にはゴリ押しかぁ。いやぁ、富田さんのお話と直正公の名言で、何だか勇気が湧いてきましたよ。
 明日にでも、思い切って彼女にLINEしてみます!
あ、今、ケータイの待ち受けにしているんですよ。ふふっ、どうですか?これ彼女。

 

富田さん:あっあっ。ご、ごり、ご、ゴリ押ししてみたらどうですか。じゃ、マスターご馳走様!!

 

マスター:

う~ん、富田さんも言葉を失うほどの美人だもんな~。ははははは。
 「押し返し候ても相願い候よう」・・・か。頑張るぞ!

 


 

 

第2回 それはそれは飛び立つように嬉しく(2017年1月18日放送)


 

マスター:あぁ、富田さん、いらっしゃい!

 

富田さん:こんにちは、マスター、きょうは何だか明るいですね。

 

マスター:あはははは。いえね、あの先週お話していた彼女なんですけれども。

 

富田さん:あぁ、あの待ち受けにしている・・・。

 

マスター:あぁーそうそうそう・・・。あ、見ます? 

 

富田さん:え?うん、結構です!

 

マスター:

まぁ、その彼女に「付き合って下さい」ってLINEしたら「ちょっと考えさせて下さい」って返事が返ってきたんですよ!これって「脈あり」ってことですよね!ね!ね!富田さん!

 

富田さん:うう・・・いきなり断れるよりは、少しだけ、可能性がない事もないかも、ですね…。

 

マスター:うんうんうん、この胸のトキメキをどう表現したらいいか…んっふふふ。

 

富田さん:じゃあマスター、幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公のこんな言葉がぴったりなんじゃないですか?

 

マスター:あぁー、教えてください。

 

富田さん:「それはそれは飛び立つように嬉しく」

 

マスター:ぬぉ~…今回は私でも理解できそうですね。

 

富田さん:

時は1858年幕末、初めての蒸気船・オランダの「電流丸」が長崎に来航します。
ちょうど視察のために長崎に出張中だった直正公はすぐに乗船します。
そして長崎から佐賀城に帰り着いた翌日、早速、蒸気船の様子について、江戸に住んでいた長女の貢姫に直筆で書き送った手紙が今も残されているんです。

 

マスター:ほぉほぉ・・・。

 

富田さん:

“このたび、私がオランダ人に注文していた蒸気船が長崎に到着しました。
 「それはそれは飛び立つように嬉しく」思いました。”

 

マスター:あぁ~・・・。

 

富田さん:

“ひとまず乗船して船内を見廻ったところ、誠に奇麗な船でした。
この船にはオランダ人キャプテンのみならず、その奥さんも乗船していたんです。”

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:

“西洋の女性が長崎に来航するとはきわめて珍しいことです。
この奥さん、年齢は24歳。妊娠7ヵ月だそうだ。目は猫の目のようにて、鼻は高く、
 髪の毛は赤毛にて候えども、色は白くよほどの美人と申すことにて候。よほど私に惚れ込んだと見えて、通訳の方ばかりにいて私の方には一向に近づこうとしなかったぞ。
 背丈は私よりも15cm程高かったが、性格は優しくて「笑い声などは、日本人女性と同様で、かわゆらしきことにて候」。”

 

マスター:その時の直正公の気持ち、分かるなぁ。

 

富田さん:

さらに手紙は続きます。
“この女性もよほど自慢と見えて、自分の髪の毛を見せてきたので、髪の毛をひっぱったり、頭をぐるぐるなでまわしたところ、よほど嬉しがり候様子にて、髪をほどいて見せてあげようかとしてきたので、結んでいる髪をわざわざとかなくてもよいと手真似(ジェスチャー)をしたところ、髪をおろしてみせてきてくれた。
 「何べん髪をひねり候ても、手よごれ申さず候。誠に珍しきことにて御座候」「油は少しも付け申さず候」。”

 

マスター:おぉ~・・・まぁ日本人とは何もかもが違う異国の女性に、かなり興味津々だったようですねぇ。

 

富田さん:

そうなんです。この時、直正公は45歳。手紙を書き送った長女が20歳ちょうどですから、娘とほぼ同世代の初対面の人妻を、まずは注意深くジロジロ見て観察、そして触れる、髪の毛をなでまわす。けっこう密着して触れあっていますけれども。これが直正流の異文化交流の現場なんですね。

 

マスター:あぁ~、まだそれが許されるというのが直正公なのかもしれませんね。

 

富田さん:

そうなんですよねぇ、異文化や外国人に対する好奇心、無邪気と言えるほど自ら接していっていますし、全く遠慮も感じさせませんよね。
 髪の毛が赤いとか鼻が高い、何度髪を触っても手が汚れないのは珍しい、油をつけていないなんて、といったようにやはりよくよく観察して日本人との違いに純粋に驚く。知的な好奇心の持ち主だったんですね。

 

マスター:なるほど。スキンシップとそれを上回る好奇心。う~ん、今後の参考にします。

 

富田さん:

マスター、あくまで「ほどほど」にしといた方がいいですよ。
じゃあ、ご、ご馳走様!!

 

マスター:

う~ん、当時の直正公と、今の私は同い年・・・。
この積極性は見習うべきものがありますねぇ。えっへっへっへ・・・。

 

 


 

第3回 江戸は遠からず異人ばかりになるだろう。イヤなることに御座候(2017年1月25日放送)


 

富田さん:こんばんは!マスター。(返事がない)マスター?

 

マスター:あぁ~富田さん、いらっしゃい。

 

富田さん:どうしたんですか?頭抱え込んじゃって。

 

マスター:

いやね、この前の彼女からLINEの返信が来たんですが「マスターのこと、キライではないけれど」って書いてあるんですよ。
これって、「好き」ってことですよね!?

 

富田さん:

う、う~ん・・・あ、そうだ。
きょうも幕末日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した手紙をマスターに紹介しましょう。

 

マスター:お!うんうん、うんうん。

 

富田さん:

「江戸は遠からず異人ばかりになるだろう。イヤなることに御座候」。話はアメリカ人、ペリーの要求などによって日本が開国して間もない頃。
 直正公は、オランダ人を長崎の自宅に招いて宴会を開いたり、佐賀藩が築いた砲台をオランダ人に見せるという約束をしたりしまして、かなり親密な関係を深めています。

 

マスター:ほうほうほう。

 

富田さん:しかし長崎から佐賀城に帰ったその日、江戸にいる娘さんからの手紙が届いていまして、直正公はその内容に目を疑うんです。

 

マスター:ほう。

 

富田さん:「江戸では最近、城下町の中をアメリカ人や、オランダ人たちが馬に乗って徘徊しているらしい。しかも佐賀藩邸のすぐ近くの場所を」
この手紙に対する直正公直筆の返信には、「江戸は遠からず異人ばかりになるだろう。イヤなることに御座候」とありまして。

 

マスター:うん。

 

富田さん:外国人が溢れかえることへの不安と嫌悪感を漏らしているんですね。

 

マスター:なるほど。

 

富田さん:開国したことによって、江戸の町中に外国人が溢れる。そういう状況は直正公にとってはすごくイヤなことだったんですね。

 

マスター:はぁはぁはぁはぁ。

 

富田さん:

でも一方で、同じ手紙の中で直正公は、「今日佐賀に帰ってきたばかりなのだが、長崎では毎日のようにオランダ人と面会する機会に恵まれて、誠に面白い刺激的な毎日だったぞ」と伝えているんですね。

 

マスター:そうそう。彼女も一体、どっちなのか分からないんですよねぇ。

 

富田さん:

マスターの想ってる人が、どう考えてるかは分かりませんけれども。
この時の直正公には、実は一貫した考えがあったんです。

 

マスター:ほう。

 

富田さん:

外国人の窓口として決められた場所、つまり長崎で、オランダ人と友好的なお付き合いをすることには、すでに江戸の初め以来、200年以上の伝統が蓄積されています。

 

マスター:うんうん。

 

富田さん:

しかし、開国したことによって新しく開かれた港の周辺のみならず、将軍様の御膝元の町である、江戸の町なかにまで外国人が溢れて、しかも我が物顔で馬に乗って闊歩しているという状況は今までなかったことなんです。
つまり直正公の一貫した考えというのは、伝統や秩序が保たれているかという点にあるんですね。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

だから長崎での友好的な交流は、伝統的な形なのでOK。江戸の秩序を乱す恐れがある形はNGなんです。当時の外交問題は、開国したいとか、拒否したほうがいいといった単純な二択問題というわけじゃないんですよね。 わが国の暮らしの安全が脅かされる場合とか、日本の伝統が軽く見られるような場合に、特に直正公は外国人を拒否しているんです。

 

マスター:はい。

 

富田さん:

むしろ、西洋文化の導入や西洋人の来日、これを全面的に歓迎していた殿様ではなかったんですね。

 

マスター:そういうことなんですねぇ~。

 

富田さん:外国人に対する、直正公の複雑な心理を読み解くことのできる貴重な直筆の手紙です。

 

マスター:なるほど~。ってことは彼女の「嫌いじゃないけれど・・・」これも、直正公と同じでいい意味で悩んでると解釈できますよねぇ~。

 

富田さん:

う~ん。そうかもしれませんね。直正公の心配をよそに、いまの日本は、東京はもとより全国各地に、世界中のいろんな国の人々が平和に暮らしていますから。
 「案ずるよりも産むがやすし」じゃないですか?マスター。
じゃ、ご馳走様でした。

 

マスター:

あぁ~、ありがとうございました。
なるほど…ん、次のLINEの内容は「開国して、私という新しい文化に触れてみませんか」
んーっ!よし、これで決まりだな!

 

 

第4回 41年前の赤子、ぴんぴんと致し候(2017年2月1日放送)



 

マスター:あぁ富田さん、いらっしゃい。

 

富田さん:どうしたんですか?マスター!またまた頭を抱え込んじゃって。

 

マスター:いやね、例の彼女と、LINEのやりとりが続いているんですが・・・。

 

富田さん:おお、いいことじゃないですか!

 

マスター:

それが「私には年老いた母がいます・・・」と来たんですよ。
 彼女とはともかく、お義母さんと仲良くやっていけるか心配で・・・。

 

富田さん:(心の声)いや、彼女もそんな深い意味で送ったんじゃないと思うけどな~。

 

マスター:どうしましょう!?富田さん(半泣き)

 

富田さん:

う~ん…じゃそうだ、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残したこんな言葉を紹介しましょう。

 

マスター:待ってました お願いいたします。

 

富田さん:「41年前の赤子、ぴんぴんと致し候」

 

マスター:ん!?赤子がピンピン!?

 

富田さん:話は、直正公の生い立ち。直正公は生まれも育ちも江戸の方です。江戸の佐賀藩の御屋敷で成長して、17歳で藩主となって生まれて初めて佐賀の地を踏みました。

 

マスター:ほう。

 

富田さん:「貞丸様」と名乗っていた幼少期の直正公は、江戸でじっくりと将来の藩主に相応しい人格や学力を身につけていたんです。

 

マスター:ええ。

 

富田さん:

儒学や武術などを学ぶ学齢にあたる10歳頃までは、江戸の佐賀藩の御屋敷の中にいるお姉さま方から生活面などを厳しく育てられます。
その育ての親と言われる女性が、直正公より34歳年上の磯濱さん、という女性なんですね。

 

マスター:ほほう。

 

富田さん:

彼女の教育スタイルは、自由主義ですが放任主義ではない。
 例えば、御屋敷では年齢の近い佐賀藩士の子供たちが貞丸様のお遊び相手に選ばれて、一緒にお庭で木登りをしたり、取っ組み合いをして遊ぶんです。

 

マスター:ってことは、わざとギリギリで負けるとか接待ゴルフ的な配慮を子供たちにさせていたってことですよねぇ。

 

富田さん:それが違うんです。

 

マスター:ほう?

 

富田さん:

幼い子供同士ですから、遊ぶのも本気なんです。
 直正公は、いつも腕っ節の強い男の子に投げられて泥だらけ。
そんな時、磯濱さんはケガをしないよう見守りつつも、子供たちなりの社会性を重んじて一言も口出しはしません。一言いうのは遊びが終わったあと。
 「貞丸様、あなたはいつもお弱いですね」とグサリ。

 

マスター:うわぁ…確かにその一言はちょっと残酷ですけども、心に響きますよねぇ。

 

富田さん:こういう言葉をあえてかけることによって、貞丸様の健全な反発心や活力を養ったと伝えられているんですね。

 

マスター:なるほど~。

 

富田さん:

こうして厳しく育てられて、やがて、藩主となった直正公が最も力を注いだ仕事が、長崎の港の警備です。 

 

マスター:ええ。

 

富田さん:

その熱心な警備ぶりが幕府のお褒めに預かりまして、ご褒美の印として徳川将軍家に伝わった刀を直正公が拝領するという栄誉を受けるんです。武家である大名家が将軍様から刀を拝領するのは最上級のご褒美。 

 

マスター:うん。

 

富田さん:もちろん初めてのことです。色々な祝賀行事が佐賀城で行われたんですが、そんな時、直正公の元に江戸から一通の手紙が届きます。 

 

マスター:ほう?

 

富田さん:

「この度は大変おめでとうございます」という文面。差出人は磯濱さんでした。この時、直正公41歳。磯濱さんへの返事の手紙が、きょうの言葉。「41年前の赤子、この通り、稀なるご褒美など蒙(こうむ)り候まで、ぴんぴんと致し候。婆さんなおさらめでたく存ずことに候」あの時の幼い子供が、お蔭様でこんなにまで成長したという感謝の言葉なんですね。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:

藩主となってもう25年も経っていたんですけれども、感謝を忘れない、感謝を伝えるというのが直正流。この時、磯濱さん75歳でした。

 

マスター:はぁ~。いい話ですねぇ~。

 

富田さん:

ただ、やはりこの頃体調を崩しがちな磯濱さんを気遣って、直正公は佐賀のお菓子やウナギ、貴重品である西洋のお薬なんかを佐賀から江戸まで贈っていたという記録も残ってるんですよね。

 

マスター:うう~ん・・・。

 

富田さん:

というわけでマスター。何ごとも「感謝」ですよ。マスターの気になっている女性を、そんなにステキに育ててくれたお母さんに、マスターも感謝しなきゃですね。


マスター:

いやぁ、確かにそうですねぇ。あぁ、そうそう、彼女のお母さんの写メもゲットしたんですけれども。見て下さいよ、これ。ね?ほら彼女にそっくりでしょう?

 

富田さん:

う・・・ご、ごご、ゴリ二つ・・・。いや、う、瓜二つですね。
じゃ、ご馳走様、マスター。

 

マスター:

あれっ、となるとお母さんでもいいってことなのかな?

 


 

 

 

第5回 民を思えば美食も喉を通らずに候(2017年2月8日放送)


 

マスター:あぁ富田さん、いらっしゃい(悩)。

 

富田さん:

どうしたんですか?マスター。こんなにいっぱい雑誌を広げて。
なになに、「決定版佐賀んグルメ」、「三ツ星レストランガイド」・・・。
グルメ本ばっかりじゃないですか!?

 

マスター:

いやぁですねぇ…。
例の彼女と、実は来週、バレンタインデートをすることになったんですが…。

 

富田さん:おお、すごい進歩じゃないですか!

 

マスター:

う~ん、それが、焼肉、中華か、フランスか、はたまた寿司屋か割烹か…。
どこに行けばいいのか、悩んでいるんですよ。

 

富田さん:う~ん、ただ、豪勢な食事に連れて行きさえすれば、彼女が必ずしも喜んでくれるとは限りませんよ。

 

マスター:でもせっかくの「初デート」ですし…。

 

富田さん:そうだ!そんなマスターにきょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残したこんな言葉を紹介しましょう。

 

マスター:待ってました、お願いいたします。

 

富田さん:「民を思えば美食も喉を通らずに候」

 

マスター:ん!?美食が喉を通らない!?

 

富田さん:話は直正公が17歳で藩主に就任した頃、佐賀藩は台風被害や凶作が続き、藩の財政も傾いて、民衆の生活も困窮をきわめていました。

 

マスター:うん。

 

富田さん:そこで直正公が初めに着手した改革が「質素倹約」。

 

マスター:ええ?ただでさえ民は食べ物に困っている時に、質素倹約とはまた酷なことを・・・。

 

富田さん:ただ、この命令は、贅沢な暮らしぶりが当たり前になっていた一部の武士たちを主な対象者にしていたようで。

 

マスター:ああ~。

 

富田さん:その気風を刷新することが目的の一つでした。

 

マスター:なるほど。

 

富田さん:

そして、その対象者には、実は直正公自身も含まれていたんです。
 直正公は「国を治める要は、身を以て先んずることに尽きる。何よりまず自分自身が一番に実践することこそが藩内を治める上で大切だ」という考えを持っていたからなんですね。

 

マスター:う~ん、具体的にはどういうことをされたんですか?

 

富田さん:

例えば身に着ける衣服。現在の私たちの暮らしでは、同じ服を何度も洗濯して着続けるのは当たり前ですよね。お正月くらいは新しい無垢な下着で迎えたりしますが。
 当時のお殿様の場合、無垢な御召し物は1度汚れたら終わりなんです。

 

マスター:うん。

 

富田さん:常にお正月みたいなもので、ただ捨てるわけではなく、藩士達に与えるというのが通例でした。 

 

マスター:なるほど。

 

富田さん:

確かにお殿様ですから、参勤交代で江戸に滞在している時は、パリッとしたフォーマルな服装が求められる場面があるんですけれども、さすがに直正公はこう思います。
 「もったいないな。」 

 

マスター:うん。

 

富田さん:

そこで直正公の時代、すでに名君として呼び声の高かった山形県米沢藩の藩主・上杉鷹山(ようざん)などのやり方に学んで、上杉様ですら同じ服を3回も洗って着ていたらしいぞ、と。 ということは、私など何回洗っても構わないと言って、自由のきく佐賀に居る時などは質素な木綿の服ばかりを着るようにしていたと言われてるんですよね。

 

マスター:へぇ~。

 

富田さん:周りに求めるばかりではなく、自らの日々の暮らしから見つめ直して、質素を心懸けたのが直正公だったんですね。

 

マスター:う~ん、本当に素晴らしいお殿様ですねぇ。それが「美食が喉を通らない」という話にどう繋がっていくんですか?

 

富田さん:

はい、実は直正公。自らの服装の他にも食事内容についても部下たちにこう宣言してるんです。
 「私は飲食については、幼少の頃より贅沢をしてきたが、今後はこうする。 朝ご飯はお汁と漬物の2品だけ。 昼食はおかずと漬物の2品だけ。 晩飯は味噌や塩さえあればそれでよい。こういうことは、あなたたち部下の立場からは遠慮して私に提案しづらいことだろうから、私から言うことにした。 たとえ、どんなに美味しくて、どんなに珍しい食品があったとしても佐賀の民の苦労を想えば、喉を通り申さざることに候」。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

藩主就任3年目、当時19歳の青年直正公の決意なんですね。

19歳と言えば、まだまだ食べ盛り。厳しい決断をされたんですね~。

でも、この決断も民衆のことを思う気持ちがあればこそですよ。
マスターも、彼女さんとのデートは、豪華さよりも「気持ち」とか「一緒にいる時間」を大切にしてみたらどうですか?
じゃあ、ご馳走様でした。

 

マスター:

ありがとうございました~。確かに富田さんのおっしゃるとおりだなぁ。
うん。バレンタインデートは、彼女が大好きなバナナだけにしよう!!

 

 


 

 

第6回 ロシア船も畏縮致し居り候(2017年2月15日放送)


 

田さん:こんばんは。マスター。いま、お店の前で、泣きながら走って行く男性とすれ違いましたけど・・・どなたですか?

 

マスター:ああ…いえね、最近、例の彼女とのデートが忙しくて、バイトでも雇おうかと思ったんですが、これが、中々要領の悪いヤツでしてねぇ・・・。

 

富田さん:

う~ん、マスターは昭和の頑固オヤジが蝶ネクタイをつけてるような人だから、怒鳴りたくなる気持ちも分かりますけど、やっぱり部下との信頼関係は重要ですよ。

 

マスター:分かっちゃいるんですが・・・お恥ずかしい。

 

富田さん:

じゃぁ、そんなマスターに、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉を紹介しましょう。

 

マスター:待っていました、お願いいたします。

 

富田さん:「ロシア船も畏縮致し居り候」

 

マスター:ん?ロシア人も怖がるぐらい怒れ!ってことですか?

 

富田さん:いえいえ、この言葉、直正公の「リーダーとしての優れた資質」のお話です。

 

マスター:ほう。

 

富田さん:時は、明治維新の15年前にあたる1853年。この年号は、歴史の教科書で必ず登場します。誰かが日本の扉をノックしに来た年です。

 

マスター:ああ、「黒船」ですね。

 

富田さん:そうです!あのペリーです。ご存じのように佐賀藩は、長崎港の警備を任されていました。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

ペリーが来航したのは江戸湾の浦賀という場所ですから、長崎とは関係なさそうに思われがちなんですけれども、実は鎖国していた当時、欧米の船を受け入れる正式な窓口は、唯一長崎だけという決まりでしたから、幕府がアメリカ船に対して、浦賀から長崎に廻って下さいと伝える可能性があったんです。

 

マスター:そうですよねぇ。

 

富田さん:

そのため、ペリーの浦賀来航の速報を受けた直正公は、すぐに長崎の港に警備態勢をしくよう指示を出しています。結果的にペリーは長崎には来なかったんですけれども、その翌月に開国を求めて長崎に来航したのがロシアの船。長崎の海は再び厳戒態勢となります。

 

マスター:ほう。

 

富田さん:この時長崎港内の島々には佐賀藩が独自に築造した砲台がありましたから、長崎に停泊するロシアにとっても緊張した状況が続いたんです。

 

マスター:う~ん、藩主としても、一人の男としても大変な現場だったんですね。

 

富田さん:

そうなんですよ。その直正公が佐賀城を出発したのがこの年末、12月27日。
 長崎に到着した直正公は、まず幕府のお役人と面談します。そこで直正公はお役人から「佐賀藩が築いた砲台によって、ロシア船が緊張しているらしいぞ」と、お褒めの言葉に預かります。そして翌日、警備の現場の視察に出た直正公は、警備主任の藩士を呼び出して直々にこう伝えます。

 

マスター:ほう?

 

富田さん:

「私がきのう面談したお役人様の話によると、ロシア船も畏縮致し居り候。そのことをお役人様もお褒めになっておられたぞ。よいかおぬし。今からすぐに砲台へと赴いて、島々で警備にあたっている現場の藩士たちにこの話をいち早く伝達せよ」

 

マスター:なるほど、あの言葉はそんな状況の中で、だったんですねぇ。

 

富田さん:

しかも、この数日前に直正公は、武士はもちろん、それよりも身分の低い、船の漕ぎ手たちまで、身分に関わらず現場の全員を対象にお酒を特別にふるまっています。

 

マスター:へぇ~。

 

富田さん:

真冬の島々はとにかく寒い。お酒とお褒めの言葉を一部の人間たちだけで共有せずに、全員で共有してモチベーションアップを図る。これが直正流の人心掌握術なんですね。

 

マスター:いやぁ素晴らしい。だって、直正公的には、あまり好ましい状況ではなかったんですよね?

 

富田さん:

実はそのとおりなんです。長崎港の警備は、お隣りの福岡藩と我が佐賀藩と一年交代の任務でした。非番の年には原則、現地への出張なしなんですけれども、この時は、非番の年にもかかわらず、年に2回も出張しています。

 

マスター:う~ん、今でいう会社の本社のような、江戸城からの命令は絶対でしょうから、大名稼業も大変だったんですね~。

 

富田さん:

そうなんですよね。お殿様とはいえ、大変な仕事です。そんなこともあって直正公は、58年の人生でたった1度だけ、この年は長崎で年越しをすることになったんです。色々と複雑な思いもあったかもしれませんが、自分のことはさておき、藩と部下、そして日本の将来を案じた直正公らしい、行動的で部下思いの言葉ですよね。

 

マスター:う~ん、確かに・・・。

 

富田さん:

マスターもこのお店が大事なら、バイトさんのモチベーションを上げて一緒に成長していくように頑張ってみてはどうですか?じゃ、ご馳走様でした。

 

マスター:

ありがとうございました~。「ロシア船も畏縮致し居り候」か・・・。ゆとり世代のバイト君にも分かりやすく言うなら・・・、そうだ!
 「一緒にピロシキを食べてみないか?」うん、これだな。

 


 

 

第7回 必ず腹などお立てなされぬよう(2017年2月22日放送)


 

富田さん:こんばんは~。マスター。あれ!?ケータイの待ち受けなんか見つめて、どうしたんです?

 

マスター:いえね、例の彼女から、今度はお父様の写メが送られてきたんですよ。あ、見ます?これがまた娘さんソックリでしてねぇ・・・。

 

富田さん:ん、大丈夫です、何となく想像はつきます・・・。で、今回はどんなお悩みなんですか?

 

マスター:あぁ、いやぁ、父親にとって娘って、特別な存在じゃないですか。娘を想う親の気持ちってどんなんだろうと思いましてねぇ・・・。

 

富田さん:

なるほど!じゃあ、そんなマスターに、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残したこんな言葉を紹介しましょう。

 

マスター:待ってました、お願いします。

 

富田さん:「必ず腹などお立てなされぬよう」

 

マスター:ずいぶん、へりくだった言葉ですね!?

 

富田さん:

そうなんです。当時、種痘(しゅとう)に代表されるような西洋の進んだ医療をいち早く導入した佐賀藩。
その背景には、実は人や命に対する直正公の深い愛情があったんです。

 

マスター:医学と愛情…?

 

富田さん:はい、直正公が結婚したのは12歳の時。藩主に就任したのが17歳ですからずいぶん早いご結婚だったんですよね。 

 

マスター:うん。

 

富田さん:

そのお相手のお名前は盛姫さん。徳川将軍様の娘さんでした。正室・盛姫さんとは、残念ながら子宝には恵まれませんでしたが、直正公は、側室さんたちとの間に18人のお子さんができます。
 最初のお子さんが産まれたのは直正公が26歳の時。貢姫(みつひめ)さんという長女の誕生です。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

待望のお子さんでしたから、幼少期には天然痘を予防するための種痘を接種させたりして、それはそれは大切に育てます。そんなかわいい娘・貢姫が嫁いだのは17歳の時。埼玉県川越藩主・松平家の正室になったんです。
 直正公はその少し前頃から明治維新を迎える頃までの約15年間、この貢姫さんと文通を続けます。大体、月1に1回のペース。父親としての直正公の愛情あふれる直筆の手紙が200通も残されてるんですね。

 

マスター:200通!!まぁ、私が一日で彼女に送るLINEの半分くらいですかね。

 

富田さん:そんなたくさんの手紙の中から、江戸在住の貢姫さんに直正公が送った1通の手紙がこんな内容です。

 

マスター:ほう?

 

富田さん:

「いらざることなれども、ちょっと申し遣わし候」という書き始め。
 「いらんこと」と自分で分かっているけれども、どうしても直正公が伝えたかったことというのはどんなことなのか…? 

 

マスター:うん。

 

富田さん:

「最近江戸の町なかでは天然痘が流行していると聞いています。 あなたは幼少期に種痘を接種していますから、もう大丈夫とは思いますが、よかったら是非もう一度だけ、種痘を受けてくれませんか? 『誠に誠に爺(ちち)が要らぬこと』と思われるでしょうけれど、遠く離れているためどうしても心配なのです。だからちょっと一言だけいわせてもらいました。 必ず必ず腹など御立てなされぬようにお願いします」

 

マスター:お殿様でもあり、父親だから威厳をもって命令口調でもいいのかもしれませんが、逆にへりくだっているところに、親の愛情を感じますねぇ。

 

富田さん:

この頃貢姫さんは27歳。直正公は52歳でした。実はこの時すでにご主人を病で亡くして、人生の波を何度も越えてきた27歳の大人の女性に対して、直正公はいつまでも「親」として心配なんですね。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

直正公が医者の学校「好生館」を創設したり、先進的な医療体制づくりに力を入れた業績面はよく知られています。西洋医学に絶対的な信頼を持っている直正公だからこそ、愛する人にはここまで姿勢を低くしてでも言葉をかけているんですね。

 

マスター:なるほど・・・。

 

富田さん:

直正公の大きな魅力の一つは、周囲の人々に対する愛情の豊かさなんですね。
ちなみに、私がここのお店に来る前に、日中勤めている徴古館では、いま佐賀城下ひなまつりと連動して「鍋島家の雛祭り展」を開催してるんですよ。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

鍋島家のお屋敷で実際に飾られていた雛人形や雛道具、約500点を展示してるんですね。
マスターも、これを観れば、少しは「娘を大切に想う親ゴコロ」が理解できるかも知れませんよ。じゃ、ご馳走様でした。

 

マスター:

ありがとうございました~。「娘を想う雛かざり」か・・・。・・・ん?
 確か、彼女の家では、代々「モンチッチ」を飾ってるって言ってたな・・・。

 

 


 

 

第8回 古風押し立て候よう心に懸くべく候(2017年3月1日放送)


 

富田さん:こんばんは~。マスター。

 

マスター:「チョベリバ~」。激怒(げきおこ)プンプンま・・あ、富田さんいらっしゃい。

 

富田さん:なんですかマスター!?一昔前のギャル語なんか練習しちゃって・・・。

 

マスター:あははは、いえね。例の彼女から「LINEの文章が古くさい」って言われちゃいまして、それで、最近の若者言葉を勉強していたんですよ。

 

富田さん:

(心の声)「チョベリバ」も十分古くさいと思うけどな~。
そうだ!そんなマスターに、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉を紹介しましょう。

 

マスター:ナウでヤングな言葉をお願いしますよ~。

 

富田さん:「古風押し立て候よう心に懸くべく候」

 

マスター:おぉ…、大砲や蒸気船、医療など、西洋的なものを積極的に導入した直正公のイメージからすると、ちょっと意外な言葉ですね。

 

富田さん:

えぇ。西洋的なものというのは、直正公にとっては手段の一つに過ぎなかったんです。
 西洋的なものを導入する目的というのは、古風な考えや、日本らしいものを維持することでした。

 

マスター:そういうことなんですねえ~。

 

富田さん:

幼少期の直正公は、養育係の磯濱さんから厳しく育てられて、家庭教師役の古賀穀堂先生という学者さんからは藩主として必要な知識や考え方の指導を受けました。

 

マスター:うん。

 

富田さん:その頃、直正公が毎朝くり返し頭に叩き込んでいたのが、藩祖・鍋島直茂公の残した教訓書です。

 

マスター:ほーぅ・・・。

 

富田さん:鍋島家が佐賀藩主になるまでの苦労や、リーダーとしての心構えなどのエッセンスが詰まった、素晴らしいテキストでした。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

さて、直正公は藩主生活を30年間で引退して、長男の直大(なおひろ)公にバトンタッチします。
 自分の跡継ぎですから、直大公に対してはけっこう厳しく、将来の佐賀藩主としての心得を教えています。その象徴的なエピソードがこれです。

 

マスター:ほぅ。

 

富田さん:佐賀藩は独立した中小企業ではありませんから、トップの交代時には、必ず徳川幕府への許可申請が必要なんです。江戸城までお願いにあがるために、佐賀で生まれ育った15歳の直大公が初めて佐賀を出発するその直前、直正公は直筆の心得書を息子に手渡します。

 

マスター:ほーぅ、どんなことが書いてあったんでしょう?

 

富田さん:「我が鍋島家には、他の大名家とは違う特別な家風がある。江戸に到着したら様々な大名たちと交流をもつだろうがその時には、『古風押し立て候よう、心に懸くべく候』」最も大切な心懸けというのは、藩祖・直茂公から250年以上続く鍋島家の歴史の中で培われた、独特の質実剛健な家風だと言うんですね。

 

マスター:それを伝えるための言葉だったんですねぇ。

 

富田さん:そうなんです。そこで「得(篤)と拝見、熟読致され候ように」と言って手渡した1冊の書物が、直茂公の教訓書。

 

マスター:うん。

 

富田さん:これは、直正公が30年前、自分が学習した時に使った、我が家の歴史が詰まったものだったんです。

 

マスター:へぇ~。

 

富田さん:反射炉での大砲造りや、三重津海軍所での蒸気船の運用、そして先進医療など西洋的なものを導入したことだけが素晴らしいのではなくて、新しい武器を備えた西洋の国々から無秩序に脅かされそうになった時代だからこそ、直正公は西洋並みの武器を揃えたんです。直正公の真の目的は、決して西洋を目指すことではなくて、日本の暮らし、秩序ある人と人の関係を守ることだったんですね。

 

マスター:そういうことなんですねぇ。

 

富田さん:だからマスターも、今風の流行(はやり)を追いかけるだけではなくて、日本の美しい言葉を使って彼女さんとやりとりしてみてはどうですか?じゃあ、ご馳走様でした。

 

マスター:ありがとうございました~。確かに富田さんの言うとおりだな。よし、今度の土曜のデートのお誘いの文章は「4日 佐賀城二の丸跡。再建されし直正公の銅像の前にて、逢引き致したく候」これでいってみよう!

 


 

 

第9回 領中の者は皆、子の如し(2017年3月8日放送)


 

富田さん:

こんばんは~。マスター。
 (たくさんの子犬の鳴き声)うわ!どうしたんですか?かわいいワンちゃんがこんなにいっぱいで…。

 

マスター:あっはははは、いやぁ、近所でたくさん生まれまして・・・。つい引き取ってしまったんですよ。

 

富田さん:マスターって、意外に博愛主義者なんですね。

 

マスター:いえいえいえ…(苦笑)ところが困ったことに、例の彼女がイヌが大の苦手だそうで・・・。

 

富田さん:(心の声)「犬猿の仲」って、本当にあるんだ…。

 

マスター:それで、どうやったら彼女を説得できますかね?

 

富田さん:

うーん、地域に住む犬や猫も、立派な「隣人」「パートナー」ですからね~。
そうだ!そんな彼女さんには、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉を紹介しましょう。

 

マスター:お、待ってました、お願いいたします。

 

富田さん:「領中の者は皆、子の如し」

 

マスター:きょうは私でも理解できそうですね。

 

富田さん:これは、直正公18歳の時、藩主就任2年目のお話です。

 

マスター:はい。

 

富田さん:

ある罪人への死刑執行が行われる前の日、直正公は側近にこう漏らします。
 「明日のことだが、罪人とは申しながら、死刑に処せられることはやはり不憫である。結局のところは、私の政治が行き届いていないことが原因で、治安も悪く、罪人も出てしまうのである。そこで明日、私はいつも口にしているようなお酒や、魚・肉などを食べるのは忍びないので一日精進したいと思う。なぜなら私は『藩内の者は皆、子の如く』思っているからである」

 

マスター:はぁ。

 

富田さん:こういう考え方は、直正公が藩主になる前から学んでいた、中国の儒教の教えの影響によるものと思われます。しかし直正公は、学んだことを単なる知識の世界やスローガンで終わらせずに、現実の目の前にいる佐賀の人々の暮らしの向上のために、学びを適応してるんですね。これが、名君たる所以の一つです。

 

マスター:ですねぇ・・・。

 

富田さん:さらにまた同じ頃、藩内の貧困問題が深刻化します。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

農業が盛んになることが何よりも藩の基盤を支えることにつながると考えていた直正公は、生活困窮者約2000世帯ほどを対象に、藩主自らの生活費を切り崩して、応急的に支援金を出したんです。

 

マスター:素晴らしい取り組みですね。

 

富田さん:ところが後日、鹿島近くの村々を統括する代官が、支援金の対象となる96世帯を見落としていたことが発覚します。

 

マスター:ほぅ・・・。

 

富田さん:

この時直正公は、「そもそも代官という役職は担当する村々の様子をよくよく気を付けて地域の人たちの生活ぶりを普段から心得ておかねばならぬところ。こんな程度の仕事ぶりということは、常日頃の心懸けが薄いからだろう」といって、激しく怒っているんですね。

 

マスター:う~ん・・・。

 

富田さん:さて、直正公が西洋医学をいち早く導入したことは有名ですよね。

 

マスター:ええ。

 

富田さん:

特に種痘という、天然痘の予防接種を広めたことはその代表的な業績です。佐賀の民たちにも、くまなく実施するため、医者の研修もやって、医者を藩内の各地区に派遣して広めるという事業も、藩の費用で実現してます。マスター、あの貢姫(みつひめ)さんって覚えていますか?

 

マスター:あぁ~、あのかわいがっておられた長女の方ですよね。

 

富田さん:

そうです、直正公が「種痘をもう1度だけでいいから、是非接種してくれ」と懇願していた手紙がありましたよね。 

 

マスター:ええ。

 

富田さん:種痘をキーワードに見てみれば、かわいい我が娘に漏らした親心と、領民たちを救いたいという藩主としての気持ちは同じなんです。なぜなら直正公にとって「領中の者は皆、子の如し」なんですからね。

 

マスター:う~ん。

 

富田さん:彼女さんには「ヒトも動物も植物も、生きとし生けるものすべて同じ」と諭してみてはどうですか?じゃあ、ご馳走様でした。

 

マスター:

ありがとうございました~。「領中の者は皆、子の如し」。よし、この言葉を彼女に伝えてみよう。それにしても、何で彼女は犬が苦手なんだろうなぁ。「犬猿の仲」でもあるまいし・・・。

 

 

 

第10回 憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しむ(2017年3月15日放送)

 


 

マスター:
「俺の苗字になってくれ」「私のために、毎朝味噌汁を作ってくれませんか?」
・・・なんか違うな~。

 

富田さん:(遠慮がちに)こんばんは~。マスター。

 

マスター:ああ、富田さん…。

 

富田さん:何をブツブツ言っているんですか?

 

マスター:いえね、例の彼女に、いよいよポロポーズをしようかと思うんですが、なかなか良いセリフが出て来なくて。

 

富田さん:それはおめでとうございます!それでは、幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉の中から今回は「とっておき」を紹介しましょう。

 

マスター:おお、待ってました。ぜひお願いいたします!

 

富田さん:「憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しむ」

 

マスター:何だか結婚式で聞くような言葉ですね。

 

富田さん:

うん、幕末から維新期の佐賀藩は、反射炉や三重津海軍所といった大事業に成功しますが、それらを成し遂げる下支えとなったのが、直正公による「藩内の結束力の強化」だったんです。

 

マスター:「求心力」は問われますもんねぇ。

 

富田さん:

直正公は藩主就任直後から質素倹約をはじめとする改革に取り組みますけれども、それまでは江戸に暮らしていて、17歳で生まれて初めて佐賀にやって来た若いお殿様の改革が、初めからスムーズに行くわけがないんです。

 

マスター:ですよねぇ。

 

富田さん:抵抗勢力も多く、直正公は壁にぶち当たります。就任の翌年、儒学者の古賀穀堂先生は、直正公にこう提言しました。

 

マスター:ああ、あの直正公が大リスペクトする先生ですよね。何と仰ったんですか?

 

富田さん:

うん、「佐賀には3つの病があります。妬(ねた)み甚だしく、決断乏しく、負け惜しみ大いに行わる。他人の意見に耳を傾け、己れの非を改め、そしてお互いに討論する、そういう慣習が、佐賀人にはありません。この3つの病を除去しない限りは、大事業を成し遂げることはできません」と。

 

マスター:(苦笑)私たち現代人にとっても、ちょっと耳が痛い話ですなぁ。で、その「三つの病」の治療法とは・・・?

 

富田さん:

うん、具体的な政策を推し進めるよりも、まずは役人たちの人間関係を密にすること、チーム佐賀を作り上げることが必要ですよと、穀堂先生は提言したんです。これを受けて直正公は、腹を割って話をする環境作りを何度も役人たちに命じて、藩主である自分の考えと違う意見だからといって遠慮はいらぬ、一緒に議論しようと語りかけ続けます。

 

マスター:うん。

 

富田さん:

そして藩主就任から10年余りを経た頃。藩政改革が思うように進まなかった直正公は役人たちにこう語りかけます。「藩内は重臣たちがそれぞれの家々に分かれているけれども、身分の上下とか、立場の違いを超えて、藩内すべてが一体となって、『憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しみ』一丸となって藩が永続するための基盤を築き上げていこう」と。

 

マスター:若いお殿様ならではの、当時としてはかなり先進的な考えですよねぇ。

 

富田さん:

(相槌)長崎での砲台築造とか、反射炉での大砲造りといった大事業に向かって取り組んでいくのは、それからさらに10年ほど後のことです。確かに三重津海軍所で苦難を乗り越えて蒸気船を造ったことも、今を生きる私たち佐賀人にとっての誇りではありますけども、それよりも立場を超えてみんなが乗船できる、佐賀藩という一つの大きな船を造って、そして大事業に向かって船出をして、幕末という荒波を乗り越えていった、その底力の方が何より佐賀藩の魅力じゃないかと、思うんですよね。

 

マスター:仰るとおりですよねぇ。

 

富田さん:

だからマスターも、彼女さんとは生まれも育った環境も違いますから、色々とぶつかることもあるとは思いますけれど、ぜひ一丸となって、幸せという海に漕ぎ出して行ってください。

 

マスター:いやぁ、いいお言葉を頂きました。あぁ、その彼女、もうすぐここに来るんですが、よかったら会っていきませんか?

 

富田さん:い、いえ、お二人の時間をお邪魔しちゃ悪いですから、私は早々に退散します。ご馳走様でした。そしてお幸せに!

 

マスター:

あはは、ありがとうございました~。いやぁ、これまで毎週毎週、直正公と富田さんの言葉で、ずいぶん勇気づけられたな~。よし!プロポーズの言葉は「毎朝一緒にバナナスムージーを食べないか」・・・。これで決まりだな。


 

 

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