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佐賀県文化財調査報告書 平成22年度(2010年度)

最終更新日:
      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
186  小ヶ倉遺跡・入道遺跡・九郎遺跡 小ヶ倉遺跡・入道遺跡・九郎遺跡 所在地 佐賀市富士町大字大野・栗並
遺跡の時代と種類 縄文時代~近世の集落跡

事業の原因 嘉瀬川ダム建設事業 

調査面積 65,350 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成18年4月17日~平成22年1月16日

 
嘉瀬川ダム建設に伴う

埋蔵文化財調査報告書5

 本書は、嘉瀬川ダム建設事業に伴い佐賀県教育委員会が平成18・19年度に実施した佐賀市富士町所在の小ヶ倉遺跡・入道遺跡1区・九郎遺跡1~3区の発掘調査報告書である。小ヶ倉遺跡では、縄文時代早期前葉~前期の集落跡が検出された。出土した早期前葉の円筒形刺突文(しとつもん)土器は、底部を欠くものの、器形がほぼ判明し、石槍や平面Y字形の異形石器などと合わせて、貴重な発見例となった。この他、古墳時代の土師器・近世の陶磁器なども出土した。入道遺跡では、縄文時代早期前葉~中葉の集落跡を確認し、残存状況が良好な集石炉が検出された。九郎遺跡では、縄文時代早期中葉~中期前葉、中世~近世の集落跡を調査し、集石遺構や土器・石器が数多く出土した。また、鎌倉時代と考えられる鍛冶関連遺構が検出された。出土遺物などから、この3遺跡で確認された縄文時代の集落跡は、いずれも狩猟のために一時的に居住したキャンプ地であった可能性が高い。
      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
187 中原遺跡(5) 中原遺跡5
(11区~13区の弥生時代・古墳時代墳墓の調査)
所在地 唐津市原字溜ノ内・西ノ畑
遺跡の時代と種類 弥生時代、古墳時代の墳墓

事業の原因 西九州自動車道建設事業 

調査面積 10,200 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成13年5月28日~平成17年9月30日

西九州自動車道建設に係る

文化財調査報告書(9)

 本書は、西九州自動車道唐津-浜玉道路建設に伴い平成13~17年度に実施した唐津市原所在の中原遺跡11区・13区に所在する弥生・古墳時代の墳墓の発掘調査報告書である。弥生時代の甕棺墓群の中に分布する土坑墓と土坑を検出した。土坑墓の時期は弥生時代中期で、磨製石鏃、磨製石剣の鋒、銅矛あるいは銅剣の鋒、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉などが副葬されていた。土坑からは、赤色顔料で塗彩された広口壺が出土しており、これらは墳墓に伴う祭祀遺構と考えられる。 古墳時代には、5・6世紀を中心に比較的小規模な帆立貝形前方後円墳、円墳、前方後円墳が確認されていることから、これらは、中・後期の中小首長墓と考えられる。この他、円墳の周溝からは、鑣轡(はみえだ)、環状鏡板付轡が出土しており、殉葬馬坑と思われる。また、周溝内から人形土製品や水晶原石も出土しており、これらを用いた祭祀行為が想定できる。さらに、朝鮮半島南部の陶質土器や、馬具も出土していることから被葬者は渡来系集団の可能性がある。 
      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
 188  仁田古墳群(2) 仁田古墳群2
(仁田古墳群4区、仁田埴輪窯、矢作遺跡跡3区) 
所在地 唐津市浜玉町谷口・渕上
遺跡の時代と種類 縄文~中世の墳墓、生産遺跡

事業の原因 西九州自動車道建設事業 

調査面積 3,250 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成19年7月17日~平成20年3月22日

西九州自動車道建設に係る

文化財調査報告書(10)

 本書は、西九州自動車道唐津-浜玉道路建設に伴い平成19年度に実施した唐津市浜玉町渕上と谷口所在の仁田古墳群4区・仁田埴輪窯・矢作遺跡3区の発掘調査報告書である。仁田古墳群4区では、丘陵の斜面から古墳時代の埴輪窯跡や埴輪集積遺構、古代~中世の溝跡、土坑、炭窯、鍛冶炉が検出された。埴輪窯跡は、標高16~20mの斜面に位置する地下式構造で、砂床などの、防湿構造を整えており、類例が少ない。埴輪は、円筒形、朝顔形、家形、犬形が確認されている。矢作遺跡3区では、標高15~17mの丘陵部で縄文時代の包含層と、古墳時代中期~後期の石棺系竪穴式石室と横穴式石室を埋葬施設とする古墳が検出された。縄文早期、晩期の包含層からは、撚糸文土器、黒川式土器、古墳からは須恵器、鉄刀等が出土した。谷部では古墳時代~古代の遺物包含層と自然流路を検出し、土師器、須恵器、鉄滓が出土している。 

      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
 189  小川内遺跡(1) 小川内遺跡1 所在地 神埼郡吉野ヶ里町松隈
遺跡の時代と種類 近世、近代の集落跡

事業の原因 県道改良工事 

調査面積 4,100 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成21年10月26日~平成22年9月30日

一般県道早良中原停車場線改良工事に伴う

埋蔵文化財調査報告書

 本書は、一般県道早良中原停車場線改良工事に伴い、平成21・22年度に実施した神埼郡吉野ヶ里町松隈字小川内(おがわち)に所在する小川内遺跡の発掘調査報告書である。遺跡は、江戸時代前半代から幕末・近代へ続く集落跡で、主な遺構としては、住居域として造成した平坦面、石垣、掘立柱建物跡、石組遺構、集石遺構、井戸跡、土坑等が検出された。
 遺跡内では、12世紀後半代のものとみられる龍泉窯系青磁碗が採集されており、鎌倉期の集落関連遺構が確認された那珂川対岸の東小川内遺跡群と同様、中世村落が展開していた可能性を示唆するものとして注目される。
 当該地は、現代に至るまで連綿と生活が営まれてきたことから、地形の改変が大きく、必ずしも遺構の残存状態は良好とはいえないが、調査では、これまで不明であった小川内集落の成立と変遷を考える上で重要な資料が得られている。
      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
 190 東畑瀬遺跡(3) 東畑瀬遺跡3 所在地 佐賀市富士町大字関屋
遺跡の時代と種類 中世~近世の集落跡、近世の寺院跡、墓地

事業の原因 嘉瀬川ダム建設事業 

調査面積 19,600 m2  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成16年7月26日~平成21年5月20日

嘉瀬川ダム建設に伴う

埋蔵文化財発掘調査報告書6

 本書は、嘉瀬川ダム建設事業に伴い佐賀県教育委員会が平成16・17・20・21 年度に実施した佐賀市富士町所在の東畑瀬遺跡6G・7・9区に位置する近世の寺院跡(宗源院跡)とそれに付随する墓地の発掘調査報告書である。宗源院は、戦国時代に脊振山間部(山内)を支配していた神代勝利の菩提寺で、勝利の墓と伝えられる宝篋印塔が墓地に所在していた。寺院跡の調査では、重複する4面の遺構面が確認され、多量の在地系土器や陶磁器などが出土しており、その成果から宗源院は、17世紀前半に本格的な寺院として整備されたことが明らかとなった。付随する墓地(宗源院墓地)の調査では、明確に神代勝利の墓と認められる遺構は確認できなかった。この墓地には、小城鍋島家に仕えた神代氏一族が葬られているが、一部は外表施設と下部遺構が整合性を保っていることが判明している。この他、宗源院跡周辺で近世の集落の調査が行われ、掘立柱建物跡などとともに、陶磁器などが出土している。 
      番号  表紙  報告書名  調査概要
副題
 191 県内遺跡確認調査報告書28 

佐賀県内遺跡確認調査報告書28

所在地 佐賀県一円

遺跡の時代と種類  

事業の原因 国・県所管の公共事業 

調査面積 167.34ha  

調査主体 佐賀県教育委員会

調査期間 平成20年4月1日~平成21年3月31日

 本書は、平成20年度に実施した農林業基盤整備事業(佐城地区・藤津地区)、嘉瀬川ダム建設事業(嘉瀬川ダム水没地)、西九州自動車道建設事業、有明海沿岸道路整備事業、九州新幹線西九州ルート建設事業に係る文化財確認調査の報告書である。調査された主な遺跡・地区は、榎木遺跡、金立遺跡、来迎寺遺跡、藤附遺跡、金立開拓遺跡、大野二本松地区、下古賀地区(佐賀市)、高瀬登山地区(伊万里市)、大野地区、大殿分山下遺跡、大石遺跡、筒口山下の中世石塔、龍宿浦・嘉瀬ノ浦地区(鹿島市)、戊遺跡(小城市)、宮ノ前遺跡、構口遺跡(嬉野市)である。このうち、金立遺跡では、土坑から縄文土器片、榎木遺跡では弥生土器片が確認されたが、遺構は確認されなかった。大殿分山下遺跡では、古代末~中世の集落跡と考えられる遺構と遺物が確認された。 

 

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