竪穴建物は、地面を掘り下げて床面をつくった建物で、日本では縄文時代から一般的となり、弥生時代の建物の基本となるものです。ちなみに、このような建物は「竪穴住居」と呼ばれることが多いのですが、居住用だけに機能が限られるわけではないため、「建物」としています。
吉野ヶ里遺跡でも数多くの竪穴建物跡が確認されています。ここでは、竪穴建物跡を上から見た形、平面形の変化について説明します。弥生時代でも古い時期の竪穴建物は平面が円形のものがほとんどです。これが弥生時代中期前半(紀元前2世紀ごろ)になると、小判形や楕円形に近い平面形のものが出現して、変化が現れます。次の時期の中期後半(紀元前1世紀ごろ)には、ほとんどの建物跡が長方形に近い形となり、これ以降平面形が長方形を基調とする竪穴建物が主流となります。吉野ヶ里歴史公園では弥生時代後期後半~終末期(紀元3世紀ごろ)のありさまを復元していますが、復元された竪穴建物の平面形は長方形になっています。
平面円形の竪穴建物跡
平面長方形の竪穴建物跡