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県指定(美術工芸品の部)13

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佐賀県重要文化財(美術工芸品)の部

佐賀県重要文化財 木造神像(もくぞうしんぞう)

平成20年3月14日指定

佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館

彫刻


 彦嶋神社(杵島郡白石町深浦)に伝わる男神像、女神像(唐装)、僧形像は、いずれも正統な彫技やこめかみをしぼった面長な顔立ちから、鎌倉末期から南北朝時代にかけての制作と考えられる。墨書銘に名前のみえる藤原通村は、当地の領主の白石氏が代々使用した「通」の系字を用いていることから同氏の一族であると思われる。

 14世紀にさかのぼる神像は県内では希少であり、出来映えも優れている。当地を領有していた白石氏にかかわる遺品であることも重要である。
  男神像 51.0cm  女神像(唐装) 47.3cm  僧形像 41.1cm
  (附) 女神像(和装) 29.5cm

木造神像木造神像木造神像

 

 

佐賀県重要文化財 青漆塗萌黄糸威二枚胴具足(せいしつぬりもえぎいとおどしにまいどうぐそく) 

平成22年3月12日指定
佐賀市松原二丁目5番22号 公益財団法人鍋島報效会
工芸品


青漆塗萌黄糸威二枚胴具足

  初代佐賀藩主鍋島勝茂(1580-1657)が着用した総体青漆塗の当世具足。 兜高 29.0cm   胴高 45.0cm

 青漆とは漆に石黄(せきおう)等を混ぜて青緑色に発色させたもので、桃山時代以降の甲冑にまれに見られる。

 兜は桃の実を象った桃形兜で、古様な杏葉紋の前立をつける。桃形兜は西洋の兜の影響を受けて作られた変り兜の一形式で、桃山から近世初頭にかけて佐賀藩をはじめ福岡藩、柳川藩など九州各地で特に多く用いられた。胴は鉄板に漆で小札(こざね)の刻みを盛上げて本小札のように見せた切付盛上小札の板を上下に連ねて固定し、左脇の蝶番で開閉して着用する二枚胴である。

 寛永14年(1637)島原の乱の折に勝茂が着用し、その5年後に末男直長(明暦元年に神代家の家督を相続)に与えられた。その後は直長の息子茂真に始まる鍋島内記家に幕末期まで伝来。

(附) 輪金 一点、 鍋島内記茂生書付 一通、 鎧櫃 一合

 

 

 

佐賀県重要文化財 鉄絵緑彩松樹文大皿(てつえりょくさいしょうじゅもんおおざら) 

平成22年3月12日指定
個人蔵
工芸品


鉄絵緑彩松樹文大皿 小さな高台(こうだい)から大きく開く器形であり、口縁部はやや幅広の鐔縁(つばぶち)に作る。白化粧土を施し、見込みに大きく松樹を描き、口縁部にも唐草文を配している。

 高台は二箇所に凹形の切り込みを入れた割り高台となっている。絵付技法は、鉄絵で幹や大枝などの輪郭線を描き、そして銅緑釉(どうりょくゆう)で葉や幹の芯の部分などを彩色する「二彩手(にさいで)」で、近年ではこの技法を「鉄絵緑彩」と呼んでいる。

 本品は、唐津焼が武雄地域を中心に新たな展開をみせた1620~40年代を代表する作例である。器形は同時期の肥前磁器との類似性が高く、朝鮮半島を起源とする肥前陶器が、肥前磁器の登場に影響されつつ新たな展開を見せたことを示す作例でもある。

  口径47.3cm、高さ17.0cm、底径14.2cm

佐賀県重要文化財
木造<男神像、女神像>(もくぞう だんしんぞう、じょしんぞう) 

平成23年3月25日指定
所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 県立博物館
所有者 幸津天満神社(鳥栖市幸津町)

彫刻


木造男神像、女神像

 冠と袍(ほう)を着けた男神と和装の女神。

 男神像の顔立ちは、重要文化財の大将軍神像(京都・大将軍八神社)など平安時代後期の神像や四天王像などに類するもので、11~12世紀の制作と考えられる。

 仏の姿の神像ではなく貴人の姿にあらわす神像としては県内最古のもの。一木作りの簡素な構造や衣文を表現しない点には、技巧や装飾を重視せずに抽象化する傾向のある神像彫刻の特色をよくあらわしている。平安時代後期における県内の神道文化の水準の高さをしめすものとして価値が高い。

 男神像55.7cm、女神像42.8cm

 

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財
黒漆花鳥文螺鈿琵琶 銘「孝鳥絃」(くろうるしかちょうもんらでんびわめいこうちょうげん)1面 附黒漆内箱・白木外箱 2点 

平成25年4月30日指定
所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館
所有者 佐賀県

工芸品 


螺鈿琵琶本品は、江戸時代に佐賀の豪商であった白山町武富家のうち大財武富家に伝世した中国の明時代の螺鈿琵琶である。寸法は全長92.8cm、胴幅38.1cmである。

本品の装飾は、貝片を貼って漆で塗りこめた後その貝を剥ぎ出す「螺鈿剥出法」で、元~清時代の中国や琉球などに見られる技法であるが、花鳥による吉祥的画題、画面の構図、夜光貝の薄さ、貝片の細部の丁寧な毛彫り、模様の輪郭の金箔での隈取り、絵画的な螺鈿表現、奥行きある空間のとらえ方など中国螺鈿の特徴が随所に見られることなどから、中国の明時代の制作と判断できる。構造、装飾ともに細部まで意を尽くした丁寧な作りであり、後世の大幅な修復も見られず、制作当初の姿をよく留めている。

また、本品を収納する檜製とみられる黒漆内箱は、本品の大きさと適合しており、本品に合わせて日本で作成されたものと判断できる。この内箱には、蓋部の外側に「孝鳥絃」と墨書された紙片が貼付されており、本品が「孝鳥絃」と称されていたことを示している。また、桐製の白木外箱は、黒漆内箱に適合する形で作成されており、内箱の保護用として日本で作成されたものと判断できる。蓋部分の内側には、「大寳聖林宝物」と墨書されており、この外箱まで含めた形で、大財聖堂に保管されていたものと考えられる。

 

 

佐賀県重要文化財 裸婦 岡田三郎助筆(らふ おかださぶろうすけひつ) 1面 

平成26年4月22日指定
所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立博物館
所有者 佐賀県

絵画 


裸婦 岡田三郎助筆 岡田三郎助は、佐賀市に生まれた明治から昭和初期における日本洋画界の中心的存在であり、日本近代洋画壇の頂点に位置する一人である。
 《裸婦》は、岡田三郎助が、昭和10年(1935)10月、66歳の時に制作した油彩画である。寸法は縦99.8cm、横65.5cm(40号M)で、室内に赤、青、緑の鮮やかな色彩の、さまざまな質感の織物、裂に囲まれ、半眼で正面を向き椅子にもたれて座る裸婦が描かれる。
 本作の表現上の白眉は裸婦の肌の描写で、油絵具の透明感を十分生かしつつ、多数の色彩を折り重ねるように賦すことで、肌理の繊細な色調が表現されるとともに、女性の肌の張り、あるいは柔らかさを含んだ量感が描写されるなど、さまざまな技法が用いられ、「色彩の画家」と評された岡田の真骨頂が発揮された作である。

 平成25年7月、佐賀県が所蔵者より購入、現在佐賀県立美術館が保管する。

 

 

 

 

 

 

 

佐賀県重要文化財(絵画)
花野 岡田三郎助筆(はなの おかださぶろうすけひつ)  1面

   平成28年4月28日告示
   所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立美術館
   所有者 佐賀県


 

hanano
 日本近代洋画史におけるアカデミズムを代表する画家であり、明治から昭和期における日本洋画界の中心的存在であった本県出身の岡田三郎助が、大正6(1917)年に描いた作品で、フランスから帰国後、様々な場所で活躍していた時期の末期に、フランス留学時代に師事したラファエル・コランの明るい色彩を受け継ぎながら、裸婦という伝統的な西洋絵画の主題に日本女性を題材として描いたものである。

本作は、日本近代洋画史における裸体画受容の歴史をみる上で重要な位置付けをもつ作例であり、また日本における明治~大正期のコラン受容を示す上で極めて貴重な作例である。

 

 

 

佐賀県重要文化財(工芸品)
銹瑠璃青磁釉蓮鷺文輪花三足皿(さびるりせいじゆうはすさぎもんりんかみつあしざら)  1件  

   平成30年4月13日告示
   所在地 佐賀県立九州陶磁文化館/西松浦郡有田町戸杓乙3100番地1
   所有者 佐賀県

 

三足皿横向き

三足皿縦向き

本作品は、初期伊万里後半段階の三足皿で、褐色の銹釉・藍色の瑠璃釉・緑色の青磁釉に白色の透明釉・黄褐色の黄釉を加えた5種類もの異なる釉薬を組み合わせて多彩に表現し、一つの器の中にさまざまな技法を駆使したもので、肥前磁器が色絵を初めとする中国系技術の本格導入により急激な技術革新を遂げる直前に、当時の最高の技術を注ぎ込んだ極めて特殊で上質の作品で、有田の山小屋窯で制作された可能性が高く、制作年代は1640年代頃と考えられる。

 主文である蓮と鷺を組み合わせた蓮鷺文は、元々は中国の吉祥文様として「一路連科」(=立身出世)を意味するもので、外側面の丁子(香料のクローブ)文は宝尽くしの文様に用いられる吉祥文であることと併せ、特別な器であることを示唆している。伝来については未詳のため、具体的にどのような階層に受容されたか特定できないものの、海外輸出が始まる以前の国内向け製品の中でも類例が極めて少なく、一点ものとして作られた特別な器と考えられる。

 本作品は、初期伊万里のなかでも数種の釉薬を使い分けて多色とした作例で、文様構成や造形に優れ、表現豊かな格調高い優品であり、美術的価値が高く、陶磁史的にも重要である。

 

 

佐賀県重要文化財(工芸品)
小袖地ドレス(こそでじどれす)  1着  

   平成31年4月26日告示
   所在地 佐賀市松原2丁目5-22 公益財団法人鍋島報效会
   所有者 公益財団法人鍋島報效会

 

doresu2

doresu1

本作品は、江戸時代後期の武家階級の女性が着用した小袖地を転用して、後ろ腰を膨らませる着装で、19世紀後半に欧米で流行した”バッスル・スタイル”(bustle style)のドレスに仕立てたもので、白紗(しろさ)綾形(やがた)(もん)綸子地(りんずじ)に菊、桜、牡丹、(とう)団扇(うちわ)柄の文様を紫、朱、緑、若草色などの絹糸と金糸の刺繍(ししゅう)と型しぼりで全面に装飾された小袖地を用い、裾や袖口に多色の絹糸と(もく)ビーズによるタッセル飾りで加飾したものである。

明治という西洋の文化導入期に「鹿鳴館の華」と称され文明開化の一翼を担った鍋島(なべしま)栄子(ながこ)夫人(1855~1941)が着装したと考えられるもので、日本の伝統美を優雅さの中に華やかさを表出した和洋折衷のドレスとして創成した特異な存在である。意匠性にも優れた模様の小袖を巧者の手慣れた技術と凝った手法を用いて巧みに仕立て上げ、ドレスデザインの観点からも優美な感性に裏付けられた優品である。また、小袖地を仕立てたドレスの現存例が極めて少ない中、侯爵家である鍋島家に代々伝えられてきた本作品は、所用者と伝来が判明するものとして希少性が高い。

さらに、伝統的な和装の小袖形状や模様を生かしながら欧米で流行のスタイルと巧みに融合させている点で優れた作品であり、美術的にはもちろん、服飾史上、また侯爵鍋島家あるいは華族の役割を考える上で歴史的にも注目されるもので、価値が高い。

 

佐賀県重要文化財(絵画)
朝日 青木繁筆(あさひ あおきしげるひつ)  1面

   平成31年4月26日告示
   所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立美術館
   所有者 佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会


 

asahi

本作品は、青木繁が佐賀滞在中(明治41年末~43年11月)の明治43年(1910)、一時静養のために訪れた唐津で描いたもので、青木の油彩画の絶筆と目されているものである。青木は、《黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)》《海の幸》《わだつみのいろこの宮》等、日本の古代神話を題材とし、それらを大胆かつ奔放な筆致で描いたことで画壇に鮮烈な印象を与え、高い評価を受けたが、本作ではそうした特徴が影を潜め、ゆっくりと静かにうねる波涛(はとう)と、水平線上の雲海の彼方から昇る朝日が描かれ、より写生的で穏健な画風であり、青と紫を多用した光と陰影の描写は、印象派風の華やかさと繊細さを併せもち、青木の優れた色彩感覚と描写力の片鱗を認めることができる。

青木の佐賀滞在については、しばしば「放浪」と称されるが、それは決して無為な時間ではなく、佐賀での地縁を頼りに、東京画壇への再起を念頭に置いた、充実した創作活動を展開した時期とみなすことができ、本作は青木と佐賀の地縁、人脈の基盤があってこそ生まれた作品である。さらに、明治30年代末~40年代初頭は、県内洋画壇はいまだ形成されていなかった時期で、本作は油彩によって近代的な眼差しで佐賀の風景を描いた最初期の作品と位置づけることができる。佐賀の洋画壇発祥の契機として捉えられる作品であり、佐賀県の近代美術史を考察するうえで意義深いもので、価値が高い。

 

 

 

 

 

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