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新しく指定された文化財の紹介

最終更新日:
        このコーナーでは、新しく指定された文化財を紹介します。(国指定、国登録、国選定、国選択、県指定)

 

  • 平成31年  4月26日告示 佐賀県重要文化財(絵画)  1件
  • 平成31年  4月26日告示 佐賀県重要文化財(工芸品) 1件
  • 平成31年  4月26日告示 佐賀県重要文化財(考古資料)1件
  • 平成31年  4月26日告示 佐賀県名勝         1件
  • 平成30年12月25日告示 国重要文化財(建造物)   1件
  • 平成30年11月  2日告示 登録有形文化財(建造物)  1件
    • 平成30年10月31日告示 国重要文化財(工芸品)   1件

    佐賀県重要文化財(絵画)
    朝日 青木繁筆(あさひ あおきしげるひつ) 1面  

       平成31年4月26日告示
       所在地 佐賀市城内一丁目15番23号 佐賀県立美術館
       所有者 佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会

     

    朝日

    本作品は、青木繁が佐賀滞在中(明治41年末~43年11月)の明治43年(1910)、一時静養のために訪れた唐津で描いたもので、青木の油彩画の絶筆と目されているものである。青木は、《黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)》《海の幸》《わだつみのいろこの宮》等、日本の古代神話を題材とし、それらを大胆かつ奔放な筆致で描いたことで画壇に鮮烈な印象を与え、高い評価を受けたが、本作ではそうした特徴が影を潜め、ゆっくりと静かにうねる波涛(はとう)と、水平線上の雲海の彼方から昇る朝日が描かれ、より写生的で穏健な画風であり、青と紫を多用した光と陰影の描写は、印象派風の華やかさと繊細さを併せもち、青木の優れた色彩感覚と描写力の片鱗を認めることができる。

    青木の佐賀滞在については、しばしば「放浪」と称されるが、それは決して無為な時間ではなく、佐賀での地縁を頼りに、東京画壇への再起を念頭に置いた、充実した創作活動を展開した時期とみなすことができ、本作は青木と佐賀の地縁、人脈の基盤があってこそ生まれた作品である。さらに、明治30年代末~40年代初頭は、県内洋画壇はいまだ形成されていなかった時期で、本作は油彩によって近代的な眼差しで佐賀の風景を描いた最初期の作品と位置づけることができる。佐賀の洋画壇発祥の契機として捉えられる作品であり、佐賀県の近代美術史を考察するうえで意義深いもので、価値が高い。

     

     

     

     

    佐賀県重要文化財(工芸品)
    小袖地ドレス(こそでじどれす)  1着  

       平成31年4月26日告示
       所在地  佐賀市松原2丁目5-22  公益財団法人鍋島報效会

       所有者  公益財団法人鍋島報效会


     

    小袖地ドレス1小袖地ドレス2

    本作品は、江戸時代後期の武家階級の女性が着用した小袖地を転用して、後ろ腰を膨らませる着装で、19世紀後半に欧米で流行した”バッスル・スタイル”(bustle style)のドレスに仕立てたもので、白紗(しろさ)綾形(やがた)(もん)綸子地(りんずじ)に菊、桜、牡丹、(とう)団扇(うちわ)柄の文様を紫、朱、緑、若草色などの絹糸と金糸の刺繍(ししゅう)と型しぼりで全面に装飾された小袖地を用い、裾や袖口に多色の絹糸と(もく)ビーズによるタッセル飾りで加飾したものである。

    明治という西洋の文化導入期に「鹿鳴館の華」と称され文明開化の一翼を担った鍋島(なべしま)栄子(ながこ)夫人(1855~1941)が着装したと考えられるもので、日本の伝統美を優雅さの中に華やかさを表出した和洋折衷のドレスとして創成した特異な存在である。意匠性にも優れた模様の小袖を巧者の手慣れた技術と凝った手法を用いて巧みに仕立て上げ、ドレスデザインの観点からも優美な感性に裏付けられた優品である。また、小袖地を仕立てたドレスの現存例が極めて少ない中、侯爵家である鍋島家に代々伝えられてきた本作品は、所用者と伝来が判明するものとして希少性が高い。

    さらに、伝統的な和装の小袖形状や模様を生かしながら欧米で流行のスタイルと巧みに融合させている点で優れた作品であり、美術的にはもちろん、服飾史上、また侯爵鍋島家あるいは華族の役割を考える上で歴史的にも注目されるもので、価値が高い。

     

     

    佐賀県重要文化財(考古資料)
    藤木遺跡出土鋳型(ふじのきいせきしゅつどいがた)  4点 

       平成31年4月26日告示
             所在地 鳥栖市宿町1118番地 鳥栖市教育委員会
       所有者 鳥栖市

     

    藤木遺跡出土鋳型1

    藤木遺跡は、鳥栖市藤木(ふじのき)町字北浦(きたうら)に所在し、南流する前川(まえかわ)右岸(うがん)の標高10~20mの低位段丘東南端部に立地する。平成25年度に確認された環濠の一部と考えられる弥生時代後期前半の遺構から出土した(どう)(こう)(どう)(ぞく)2点、銅釧(どうくしろ)の鋳型4点が指定品として答申される。

    これらの鋳型は、いずれも2つの鋳型を合わせて鋳造する複合笵(ふくごうはん)となっており、石材は灰白色の石英(せきえい)長石(ちょうせき)斑岩(はんがん)である。

    銅釦鋳型は、中央の円形の座部と(つば)部の彫り込みが認められ、約1/3が残存する。1面のみの彫り込みで砥石への転用は認められず、背面は蒲鉾形を呈する。鋳型に彫り込まれた銅釦は、(つば)(たん)()に縁を持ち、鍔部と座部間に段を有する。製品の出土は有明海沿岸地域を中心に8遺跡10例が知られるが、鋳型自体の出土は我が国で初例である。なお、当該鋳型から推定される製品の大きさ、形態とも類例は認められない。 

    藤木遺跡出土鋳型2

    銅鏃鋳型1は、(えぐ)()りの(ゆう)(けい)(ぞく)(たん)鋳式(ちゅうしき)鋳型で、切先部に湯口が認められる。背面は蒲鉾形を呈し、中位には鋭利な工具によるV字形と鋳型緊縛用の溝の彫り込みが認められる。

    銅鏃鋳型2は、凹基式(おうきしき)の銅鏃の単鋳式鋳型で、背面は蒲鉾形を呈し、中位には鋳型緊縛用の幅広の溝状彫り込みが認められる。また、鋳型1と同様に、切先部に湯口が認められる。湯口及び刃部周辺は黒変し、実際に使用されたものと考えられる。

    銅釧鋳型は、折損しており、約1/2程度が残存する。銅釧の彫り込み部及び湯口周辺は、黒変し、実際の使用が推察される。背面には湯口や円弧状の彫り込みが認められるが、折損しているうえ砥石として再利用されているため詳細は不明である。

    これら4点の鋳型は、いずれも比較的近い位置からの出土で、廃棄時期が明確であることより資料的価値は極めて高い。銅釦の鋳型は国内初出であり、円環型銅釧の鋳型と共に、これまで製品の製作地が国内か、国外かで意見が分かれていたが、少なくとも一部が国内生産品であることが明らかとなった。銅鏃鋳型は、単鋳式で、背面に鋳型緊縛用と想定される溝状の彫り込みがみられるなどの特徴的な要素も窺え、青銅器生産体制や技術の変遷まで言及できる価値も有している。 

    また、これまで佐賀県内の青銅器生産は、主に中期初頭から中期前半を中心に認められ、中期後半以降は散発的にしか確認できなかった。しかし、この藤木遺跡の鋳型の出土により、鳥栖地域では中期から後期まで継続していたことが明らかとなった。

    以上のように、本鋳型4点は、県内における弥生時代を研究するうえで貴重な資料であることから、佐賀県文化財保護条例第4条第1項の規定に基づき、佐賀県重要文化財(考古資料)に指定し、その保存と活用を図るものである。

     

    佐賀県名勝
    旧武雄邑主鍋島氏別邸庭園(御船山楽園)                                    (きゅうたけおゆうしゅなべしましべっていていえん みふねやまらくえん)  1件  

       平成31年4月26日告示
       所在地  武雄市武雄町大字武雄4241番地 外21筆    
       所有者  小原(こはら) (よし)(ひさ)小原(こはら)()惠子(えこ)(占有者は楽園計画株式会社)
        

     

    御船山楽園(ツツジ谷)

    当庭園は、御船山の断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)南西(なんせい)(ろく)において、弘化(こうか)2年(1845)に武雄邑主鍋島(しげ)(よし)(1800~1862)が京都から狩野派(かのうは)の絵師を招いて造った「(はぎ)()(えん)」という別邸の()(せん)庭園を基礎とする。その後、明治後期~昭和初期にかけて規模拡張、追加植栽をした庭園である。幕末の佐賀藩主鍋島直正(閑叟公(かんそうこう))(1815~1871)が武雄温泉に持病の治療に訪れた際に、「萩の尾園」にも訪れ、あまりにもすばらしい景観を見て、「渓山(けいざん)崖所(がいしょ)」の書を贈っている。

    明治初期には一般に公開されていたが、明治末年には荒廃したため、鍋島家が庭師巌谷(いわや)喜平(きへい)に管理を任せると、巌谷は庭園の区域を拡張しサクラや大量のツツジを植え、遊覧の名所としたという。

     

    御船山楽園(背山臨水)

    現在は、御船山楽園として公開されており、サクラ、ツツジ、紅葉(こうよう)の名所として多くの来園者で賑わっている。入場門を入ると周囲約350mのひょうたん型の池があり、マツの間にサクラやカエデが配されており、点在する巨岩との調和がすばらしい。また、北西(ほくせい)(はん)数寄屋造(すきやづく)りの茶屋が建つ池泉の景観からは往時(おうじ)(しの)ばれる。池の上端を北に約200m上ると、ツツジ谷に面するツツジ園に至る。見上げる者を圧倒する御船山の断崖絶壁の景観は、麓に群植された無数のツツジと調和して、雄大で美しい。

    四季それぞれに(おもむき)があり、春はサクラやツツジ、フジが咲き乱れ、夏はアジサイ、深緑(ふかみどり)、秋は紅葉、冬はツバキが(いろどり)を深めている。特に5万株のツツジの開花期には園内が一面花の絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようになり、背景の断崖絶壁と調和して、背山(はいざん)臨水(りんすい)の見事な景観をみせている。  

       本庭園は、(たぐ)いまれな自然景観を取り込み江戸時代に造られた後、近代以降も発展を遂げるなど芸術上・鑑賞上価値が高く、その立地及び造営の経緯の観点から造園史上も価値が高い。それらを裏付ける文献・資料も豊富に存在しており、現在は国の登録記念物に登録されている。

     

       

    国重要文化財(建造物)
    旧田代家西洋館(きゅうたしろけせいようかん)  1件  

       平成30年12月25日告示
       所在地 西松浦郡有田町幸平一丁目1386番地1
       所有者 有田町

     

    製磁町有田の明治初頭の繁栄を伝える外国人接待施設(近代/住居)

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    旧田代家西洋館は、有田町有田内山伝統的建造物群保存地区内に所在する。有田を代表する貿易商の田代家が、外国人の接待や宿泊のため明治9年に建築し、堂宮大工の丹宗藤左衛門が棟梁を務めた。

    木造2階建、桟瓦葺、外壁は漆喰塗で、正面に円柱を並べて1階をポーチ、2階をベランダとして、窓に色ガラスを用いたアーチ形の欄間を飾るなど洋風の外観とする。内部も洋風意匠を取り入れながら、構造や細部に近世以来の伝統技術を採用し、居室を畳敷とするなど、明治初期に建てられた擬洋風建築の特徴をよく示している。住宅系の擬洋風建築として貴重な現存例であるとともに、製磁業などで繁栄した近代初頭の有田における商取引の様相を知る上で、高い価値を有している。

     
     

    登録有形文化財(建造物)
    香月家住宅主屋(かつきけじゅうたくしゅおく)  1件  

       平成30年11月2日告示
       所在地 嬉野市塩田町大字久間字西山乙3595番1他
       所有者 個人

     

    3

    香月家住宅は、佐賀県の南西部にある嬉野市塩田町に位置している。この一帯は、18世紀初頭に始まったとされる志田焼の生産地として知られる。志田焼は、鍋島本藩領の志田東山と蓮池支藩領の志田西山で製作された焼物のことを指し、香月家 住宅が所在する地域は、この西山地区にあたる。

    香月家住宅は、この志田焼を焼成する大窯主であった浦川家が明治前期に建設したと伝えられる。この浦川家は、陶祖とされる鍋島直澄公の召により諫早から西山に移住し、代々陶器の名工を輩出したといわれる家柄である。

    主屋は、木造二階建、桟瓦葺、妻入で、屋根は正面側を入母屋、背面側を切妻とし、梁間四間の二階建上屋の両側に建ちの高い袖下屋を擁し、間口6間半に及ぶ大型の表構えを成すもので、用材にはケヤキ等の良材を用い、小屋組は和小屋組で太い野物の梁を重ねた上、貫を使用する重厚な構成からなる。

    また、正面下屋を支える持送りや軒や縁を支える繰型付きの腕木、二階正面の縁台手摺欄干に組み込まれた中備など、彫りの深い絵様装飾が外観を豊かに彩っており、内部は仏間と座敷部分に特に力が注がれ、仏壇には「波に蓮」、座敷付書院には「波に亀」、部屋境には「葡萄にリス」の題材を用い、意匠に優れた欄間が見事で、これらの題材は吉祥慶寿に因る動植物の主題を好んで用いた志田焼の絵文様の特色を連想させるものである。また、座敷縁側天井を吹寄せの棹縁とし、庇の軒先を二軒とする手法などは手が込んでおり、座敷と湧水を湛える庭の池を繋ぎ、来客をもてなしていたことが窺える。

    香月家住宅主屋は、良材を用いた重厚な架構からなり、意匠に優れた持送りや欄間装飾等が建物を豊かに彩るなど保存状態も良好であり、志田西山に残る志田焼の窯主の住宅として重要であり、国土の歴史的景観に寄与している。

     
     

    国重要文化財(工芸品)
    色絵椿文大皿 鍋島(いろえつばきもんおおざら なべしま)  1件  

       平成30年10月31日告示
       所在地 佐賀市松原2-5-22
       所有者 公益財団法人鍋島報效会

     

    肥前の色絵磁器の変遷を伝える初代藩主鍋島勝茂の伝世品

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    一尺(30cm)を超える優美な二枚の大皿である。口縁の唐草文様や、見込みの椿文は、黄、黒、茶、赤、二色の緑など多彩な色絵を用いて綿密に描かれている。椿文の輪郭を一方は染付、もう一方は黒の色絵で表している点が特徴である。そのうち、前者の表現は鍋島焼に定着し、後者は民間の柿右衛門様式などに受け継がれたと考えられる。1650年代に有田の岩谷川内の藩窯で製作されたと考えられ、初期の鍋島焼を考える上でも重要な作品である。

    (染付/左側:高9.7cm 口径38.7cm 底径19.5cm)
    (色絵/右側:高9.4cm 口径39.1cm 底径20.3cm)

     

     
     
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