佐賀県 知事室TOP総合トップへ
佐賀県 こちら知事室です佐賀県 こちら知事室です(スマホ版)
背景色
青
黒
白
文字サイズ
拡大
標準

吉野ケ里遺跡における石棺墓(石蓋)の調査に関する知事インタビュー

最終更新日:

発表1 吉野ケ里遺跡における石棺墓(石蓋)の調査に関して

○知事

 皆さん本当にお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。今日は吉野ヶ里遺跡石棺墓関係で2つの点について新たに判明したことがありますので、説明させていただきたいと思います。

 まず最初は、これがまさに石棺墓でありまして、こっちが北西になるわけですが、この3つ、割れた石蓋ですけれども、こちらをいろいろ解析させていただきましたら、この3つの石蓋が接合する、もともとは1枚の石であることが判明しました。報道などではこの2枚が合致するという報道も出ていましたが、実はこの石蓋1、こちらですね。これは裏側に線刻がありましたから、これはひっくり返した裏側をくっつけるとぴったり合致するということが分かりました。この部分(石蓋1)をひっくり返して重ねるとこの1、2、3が1枚の石ということが、ここ、見ていただきますと、そのまま線刻が、石と石をまたいで延長することが分かるわけであります。ということで、全面に多数の線刻があります。

 弥生人がこの石棺に埋葬した人物に対して何かしらの意味を込めて刻んだんだと思いますけれども、報道などでは天体みたいなことも言われていると聞いておりますが、白木原さん、これはどういうことなんでしょうか。

○文化財保護・活用室長

 この2枚をもって天体じゃないかという話だったんですけど、三つつなげてみたらこのようになりました。天体の要素が増えたのか、また、後からつながったこの三つ目は絵のようにも見えなくはないんですよね。ですから、そういうふうなことを考えると天体じゃなくて絵かもしれないし、いろんなことが見えてくると思います。

○知事

 まあ、まだ分かっていないということですね。

○文化財保護・活用室長

 そうです。

○知事

 ぜひいろいろな学者さんをはじめ、皆さん方で研究を進めていただきたいなと思っております。これが1点目の発見です。

 もう1点の発見ですけれども、これは先ほどの石ですが、これはどこから運ばれてきたんだろうかということです。

 専門家、佐賀大学の理学博士、角縁進(かくぶちすすむ)教授に鑑定をいただきまして、先ほどというか、昨日というか、この三つの石材は、カンラン石玄武岩ということで、産地は多良岳で間違いないだろうと見られることが判明しました。まさに多良岳、佐賀県の太良町周辺ですね。これ具体的にどこかは分かっていないわけ。

○文化財保護・活用室長

 この多良岳のどこかです。

○知事

 多良岳のどこかということであります。

 では、400キログラムもある石をどうやって吉野ヶ里まで運んだんだろうということで我々が考えてみますに、これ舟で運んで筑後川から上っていったんではないかというふうな推測でよろしいでしょうか。

○文化財保護・活用室長

 はい、当時は奄美や沖縄産の腕輪、貝輪、吉野ヶ里でも出ていますけど、そういったものを九州とか本州、遠くは北海道まで運ぶようなことがありました。ですから、舟を十分使って行き来はしていたと思います。

○知事

 ということは、当時は奄美辺りから舟があって交易をされていたということですか。

○文化財保護・活用室長

 はい、舟で行き来をしていたということは、もう分かっています。

○知事

 もう弥生後期で、既に1800年前にいろんな交易があったということなんですね。

○文化財保護・活用室長

 そういうことになります。

○知事

 ということで、恐らく舟で有明海を渡っていったのではないかと考えられますが、これ実際どうやって舟まで運んだんですかね。

○文化財保護・活用室長

 そこは分かりません。

○知事

 それは分からない。

○文化財保護・活用室長

 はい、やっぱり舟で、相当重たいものですから、そのまま舟に乗せることができたのか、また船につり下げて、浮力を用いて運んだのか、そういったことは今後研究になると思います。

○知事

 そういうことが分からないのと、あとは、これは三つに割っているわけですけど、どうやって1800年前に割ったのかということですが、これは何か分かりますか。

○文化財保護・活用室長

 そうですね、近世の城郭のように、石を割る技術というのはまた違うと思いますけれども、当時の人たちはやっぱり石をどこに、石の割れ口、石の目と言いますけど、そういう目があるかというのは十分生活の中で知っていたと思いますので、そういった技術はあったろうと思います。

○知事

 あっ、そうですか。ただ、これも割ってから運んだのか、運んでから割ったのかは。

○文化財保護・活用室長

 分かりません。

○知事

 分からないんですね。

○文化財保護・活用室長

 はい、それも今後の研究の課題になります。

○知事

 ということで、まとめますと、今日分かったことは、向こうにありますように、石蓋は三つ合わせると線刻の合成体の一つの絵になっていると。しかも、西北部(石蓋1)のものはひっくり返して接合されているということと、あとは、その石そのものは多良岳から運ばれたと、我々は恐らく舟で運んだのではないかというところが今日の時点で分かったところであります。

 実際、石蓋に刻まれた線刻が何を表しているのか、そして、400キログラムもある石を、これは40キロメートル以上ありますから、40キロメートル以上どうやって運んだんだろうかとか、それから、そもそもこの石棺墓で葬られた方は、特別な人であることは間違いないと思いますけれども、一体どういう人物であったのかというようなことで、様々な想像をかき立てるわけですけれども、謎は深まるばかりです。ぜひ多くの皆さん方に関心を持っていただいて、古代のロマンというものは尽きないわけであります。ぜひ様々なご意見をお寄せいただきたいというふうに思います。

 そして、9月下旬からいよいよ残りの40%の地域も含めて謎のエリアの発掘を行うということですね。9月23日からです。発掘現場は一般公開して、また、発掘体験などのイベントも実施していきたいと思いますが、白木原さん、大発見の可能性はまだ残されていると言って大丈夫ですか。

○文化財保護・活用室長

 はい。40%頑張ります。

○知事

 ということで、ちょっと夏の間は発掘作業もいろいろ困難が伴いますので、この間はお休みさせていただきまして、これから9月23日からまた続けていきたいと思いますし、その間、様々な研究が進むことも期待しておきたいと思います。今後の発掘調査にも期待していただきたいと思います。ありがとうございました。

 

質疑

○NHK

 では幹事社から質問しますが、今回、多良岳からはるばる運んでいったということで、これは石を用意するということであればもっと近くから用意することもできたと思うんですが、なぜ多良岳だったのか、分かりますか。

○文化財保護・活用室長

 正確なことはこれからの研究に委ねるということになりますけれども、やっぱり多良岳の石がブランド品なのか、それとも多良岳に意味があったのか、その辺はこれからの研究に委ねることになると思います。

○知事

 ああ、多良岳が何かのことを示している可能性もあるわけですよね。

○文化財保護・活用室長

 可能性は十分あります。

○知事

 当時は呪術とかいろんなものもあったという可能性があるので、何かの意味があったのかということですね。

○文化財保護・活用室長

 はい。

○NHK

 ちょっと詳しいことは後のレクで伺うので、知事にお伺いしたいんですが、これで新しいことが分かってきているということで、今後の研究にどういうことを期待するか、改めて教えてもらえますか。

○知事

 この3Dもそうですけれども、これから例の赤色顔料とか、あとは土の分析をさらに進めていきますので、この夏の間にも分かることがあれば発表していきたいと思います。我々の願いとすると、皆さんに関心を持ち続けていただいて、様々な学者さんも含めて、いろんな考え方をお述べいただいて、そうした中で古代ロマンへの思いを膨らませていって、そうした中で9月23日を迎えて、新たな石棺墓が出てくるのかどうか、そういったところへの流れができたら、我々日本人のルーツというものもいろいろ分かってくるわけですので、ぜひ楽しみにしております。

○佐賀新聞

 知事、今回、まだ謎の石蓋の部分でまだいろいろ謎は残されていると思うんですが、実際、今回こういうふうに遠い場所から運ばれて、しかも、同じ石であったということに関して、何か印象が変わったことであるとか、当初の印象が変わってきたとか、そういう部分はありますでしょうか。

○知事

 いや、私、1800年前の弥生後期にこんなに交易していると、恥ずかしながらあまりぴんときていなくて、そんな時代にここの石蓋を太良から運んで、しかも、3つにうまく割ったと思いますよね、きれいに。ああやって割って、ここにはめようと思うって、かなりレベル高いなと。当時、文字はないわけですよ。恐らくないんですよね。

○文化財保護・活用室長

 恐らくは。

○知事

 今の時点ではないと言われているので、どうやって伝達とかをやっていたのかなとか、本当に思いは膨らむばかりといったところでしょうか。

○佐賀新聞

 1つ裏返して埋葬されておりましたよね。これは知事としては何が理由だと思われていますか。

○知事

 分からんでしょう、それは。分からんけど、何でなんですかね。白木原さん、要は石蓋1だけがひっくり返されている。

○文化財保護・活用室長

 理由は分からないですね。

○知事

 要はここをどなたかが、複数の人か分かりませんが、線刻というのはいろんな意味があって書いて、並べるときにひっくり返したわけですよね、西北部(石蓋1)だけ。何で。

○文化財保護・活用室長

 分かりませんが、少しそこだけ変化を持たせるとなると、そっちが頭だったから変化を持たせたかもしれませんけど、お棺の幅は全部一緒なので狭いですけど、どっちが頭だったかというヒントがないんですよね。何とも言えませんけれども、例えば、「×」が封じ込めているとか、再生を阻止するような願いがあったとすれば、それを内側に向けるということは相当……

○知事

 やっぱり意味がありますよね。普通だったら同じ方向でいいわけですから、もし頭だとすると、そっちを封じ込める何かの意味が当時あったのかどうか。


発表2 ティーウェイ航空の「佐賀―ソウル線」が運航再開について

 もう一点、昨日、9月6日の水曜日に上海便が復活するという話をさせていただきましたけれども、その2日後の9月8日の金曜日に今度はソウル便が水、金、日の週3回で復活することが今日の午後になってから確認が取れました。ですので、本当に連日のいいニュースということで、これに関して、ティーウェイ航空の鄭(ジョン)代表はじめ、関係の皆さん方、そして、受入れ側の尽力いただいた全ての皆さんに感謝したいと思っております。

 これで九州佐賀国際空港、残りは西安便だけということになりました。こちらはさらに時間がかかるというふうに思われますが、その復活に向けてさらに頑張っていきたいと思います。














このページに関する
お問い合わせは
(ID:97662)
佐賀県 政策部 広報広聴課
電話:0952-25-7219 (直通) FAX:0952-25-7263
県政へのご意見はこちら

Copyright© 2016 Saga Prefecture.All Rights Reserved. 佐賀県