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吉野ケ里遺跡 邪馬台国時代の可能性が高い石棺墓発見!

最終更新日:
  皆さん、今日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。今日の臨時会見は、何と言うんでしょうか、私も今まで経験したことがない不思議な会見となっておりまして、目的は二つあります。

 一つは、この吉野ヶ里遺跡に関して、今、我々は非常に興奮してときめいていて、これからどうなるんだろうという非常な気持ちの高ぶりにあります。これを県政記者の皆さん方と共有しておきたかったということが1点で、もう1点は、これから先起きることということは、まだ分からないわけだけれども、もし、世紀の大発見が出たときには、記者の皆さん方も事前の準備が必要だろうということで、お節介な臨時会見ということであります。それぐらい、今、我々は感情が高ぶっている状況です。私のような知事が説明するということなので、ある部分、私は歴史家ではないので、県民の皆さん、国民の皆さん方に分かりやすい言い方で説明を試みてみたいと思いますが、今日は専門家も二人そこにいますから、何か私の後にいろいろフォローアップをしていただけるのかなと思っています。

 まず、話す大前提として、今、昨年の5月から発掘している現場は、日吉神社(ひよしじんじゃ)の土地でありまして、約4,000平方メートルの土地であります。で、ちょうど平成の初期に吉野ヶ里フィーバーというのが、甕棺墓(かめかんぼ)がいっぱい出て、佐賀県が工業団地化しようと当時していた中で、大変な遺跡が発掘されて、吉野ヶ里フィーバーというのがあったわけでありまして、そのときに、実は日吉神社のところというのは一番高台にあって、ちょうど甕棺墓の延長線上にあったものですから、あそこには何があるかなと思いながらも、やはり日吉神社の境内でありますので、そこは未調査ということで、30年以上の月日が流れているわけでありますが、この度、日吉神社さんのご協力を得て、移設していただいたので、今、一番可能性のあると言われている日吉神社のところを今、発掘調査をしている最中だというのがまず、大前提ですね。皆さん方ご案内のとおりだと思います。

 そして、この弥生時代というのは前期でいいですかね。(県職員:前期です。)前期、中期、後期とすると、前期が大体紀元前5世紀ぐらいですかね。(県職員:5世紀です。)そうすると、中期が前2世紀ぐらいですかね。(県職員:そうです。)ここで…紀元前、後というのがあって、後期がある。まず、ここまで。よかですね。

 ちなみに、参考までに、いわゆるよく言われる邪馬台国、要するに邪馬台国が出たと、出ると言うつもりはありませんが、参考情報として邪馬台国の時代はここですね。この時代、後期の後期なんですね。それで、いわゆる甕棺墓が出てきた、あれ何体ぐらい出てきたっけ。(県職員:3,000基あまり。)甕棺墓というのはこの辺りかな。(県職員:そうですね。前期の終わりから後期の前半までが中心。)この辺が、これがいわゆる甕棺墓というやつですね。これが何体でしたっけ。(県職員:3,000基。)3,000基ぐらい出てきているわけですね。

 今日皆さん方に御説明する──今日の新しいニュース、石棺墓(せっかんぼ)であることが確定しました。今までは石の蓋というところまでは皆さん方に説明していたと思いますし、ただ、それがその周辺も調査をしていくと、完全に石棺墓、石がしっかり棺の形になっている。これはこの時代なんです。だから、今日、こちらの調査でこの石棺墓であることを確定したので、なので、まさに──矢印このへんからかな。ここでいいですか。(県職員:大丈夫です。)

 こういうことなので──ここまで大体分かりましたか。この興奮が伝わっていますかね──ということなんですよ。

 これがいわゆる石棺墓ですね。これ書いちゃいました。邪馬台国時代の可能性が高い。それとの因果関係についてはまだ分からない。ただ、この時代であることについては分かりましたし、そして、今回はこの真ん中と右の2面にわたって、「×」というのか、こういう記号と言うんですかね、これが全面にわたって複数線刻がなされている。こういうのがぱらっと出ていることはあるんですが、こんなに全面に広がった形で、しかも2面にわたってというのはないので、これは、もともとこれは被葬者を封じ込める意味があるという専門家の解釈があるように、非常に何かの大きな意味があるのではないか。そして、先ほどから申し上げているように、日吉神社の境内というのは非常に見晴らしがよい丘陵頂部に位置していて、しかもこちらは単独で埋葬されている。しかも未盗掘、これ未盗掘というのは、結構こういう遺跡っていろんな人たちが結構荒らしたりしていろんなものが盗られたりしているんですが、この境内は非常に、神社であったということもあって未盗掘ですから、何かの副葬品というものが出てくる可能性がそれなりに高いということなのであります。

 もう1点言えば、一般的な石棺墓よりも墓坑の規模が大きいわけですね。一般的には2メール程度なんですが、この幅を見ていただけると分かりますように、3.2メートル、1.7メートルということで、非常に大きいものであることが分かります。

 もう1点だけお伝えしておきたいと思います。

 で、この先ほどから言っている甕棺墓の話もしましたよね、前期~中期。いわゆる弥生時代の前期~中期というところの甕棺墓があって、今、吉野ヶ里遺跡で皆さん方が見ていただいているいわゆる墓地があるわけですね、北墳丘墓があるわけで、そのときの集落というものも平成12年に発見されて、このような形で存在しているわけです。言うなれば、集落、住居と、墳丘墓が両方発見されているわけですね、弥生の前期~中期。そこまでいいですね。まさにこの赤い時代です。

 弥生時代の後期、僕らがいつも親しんでいる物見櫓とか、竪穴住居とか、まさにこの祭殿だとか、よく吉野ヶ里遺跡でイメージがしやすい、よく写真に撮られているあのゾーンがありますよね。あれは弥生後期のものなんです。それは分かっています。

 ところが、墓がないねって。この時代の墓は何で吉野ヶ里集落があったにもかかわらず、何で墓がないんだろうというのはずっと我々の不思議な世界だった。で、今回の日吉神社、ここになるわけですね。ここですから。そうすると、何がこの石棺墓の中に入っているのか、これは我々のほうも分からんね、まだね。(県職員:まだですね、掘っていないので。)もう全然分からないんですよ。分からないんだけれども、僕らの関心の一番まず一つは、いわゆる副葬品、出てきたらかなり色めき立つと思います。だってそれなりの大物だから。誰かは分からないけれども、出てきたものによっては、何が出てくるか。僕は個人的にはもちろん金印なんか出てきたらびっくりしますけど、そこまではちょっとさすがに個人的な見解として、そういうことがあったらすごいなとは思いますが、それがマックスだとすると、ここに何があるのか。もちろん皆さんには申し訳ないけど、何もないのかもしれない。それはあんまりないなと思うけれども、これだけの「×」もついているしとは思うんですけれども、この発掘を6月5日にこの蓋を開けようと思っています。

 少しずつ作業をしたら、大勢が判明するのは1週間ぐらいかな。(県職員:そうですね。天気さえよければ、その週には内容がよく分かるかと思います。)記者の皆さんはよく即日開票をしたがるけど、まあそれは無理ね。幾ら何でもこれまで2000年近く眠っていたわけですから、時間をいただいて、丁寧に1つずつ開けさせていただいて、判明したことがあったら、そこで記者の皆さんにお知らせしましょうか。(県職員:この後、皆様とそういった時間帯についても調整させていただければと思っています。)

 なので、すごい、もう歴史を全て変えるような発見になる可能性もあるけれども、拍子抜けするかもしれないので。ただ、後で怒らないでいただきたいのは、やっぱり僕らはすごくそういった意味で、今の一致について興奮もしているし、本当に何か起きたことに関して、極めて重大な発表になる可能性があるので、そこを親愛なる県政記者の皆さんと共有しておきたかったということなのであります。

 ということで、6月5日の午前10時より、この石蓋を開口する作業をさせていただきたいと思います。世紀の発見を期待しております。本当に世紀の発見になった際には、またしっかりと説明をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 以上です。
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