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県指定(史跡の部)04

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佐賀県史跡の部 

 

佐賀県史跡 赤坂古墳(あかさかこふん)

昭和62年3月16日指定
鳥栖市永吉町赤坂
古墳 


赤坂古墳
 鳥栖市北東部に拡がる柚比丘陵の南端部に立地する。昭和61年度に鳥栖市教育委員会が確認調査を実施した。推定復元長24mで、前方後方墳である可能性が高い。前方部の墳丘長約8m、後方部の墳丘長約16m。周囲からの高さ約2m。葺石等の外部施設は認められないが、西から南側では周溝が確認できた。内部主体は不明である。遺物は周溝内から土師器の二重口縁壺、小型壺、器台等が出土している。遺物より本古墳は古墳時代前期前半の4世紀に築造されたものと推定される。県内の最古級の古墳の一つである。

 

 

 

佐賀県史跡 姫方前方後円墳(ひめかたぜんぽうこうえんふん)

平成元年3月27日指定
三養基郡みやき町大字蓑原
古墳 


姫方前方後円墳
 中原中学校グラウンド脇に位置する。現存長34m、前方部先端が切られるなど全体に削平が進んでいるが、復元推定すれば全長約40m程度になろう。かつて東から西に幅約4mの周溝が残っていたが、現在は残っていない。主体部は南東方向に開く横穴式石室で、現在は埋没している。副葬品など出土遺物も不明であるが、墳形・石室の特徴から見て6世紀代の古墳と推定できる。

 

 

 

佐賀県史跡 玉島古墳(たましまこふん)

平成2年3月30日指定
武雄市橘町大字大日字玉島
古墳


玉島古墳


 武雄盆地南方の虚空藏山から北東に延びる丘陵裾部に位置する。南北約48m、東西約42mの県下最大級の円墳で高さも約9mと高い。墳丘には葺石が施され、埴輪も立てられていたようである。石室は南西方向に開く横穴式石室で、県下でも数少ない初現的な構造を持つ。遺物は玄室から日本製変形文銅鏡、砥石、碧玉製管玉、ガラス製小玉鉄製釧のほか、武器・武具・工具などが出土した。遺物や石室構造等から6世紀初頭の築造と推定される。

 

 

 

佐賀県史跡 堤土塁跡(つつみどるいあと)

平成3年3月30日指定
三養基郡上峰町大字堤字迎原
土塁


堤土塁跡
 鎮西山から南に延びる八藤丘陵と二塚山丘陵をふさぐように築かれた土塁である。築成当時は両丘陵を東西につないでいたと思われるが、中央を流れる船石川により分断されている。規模は全体で300m。東側で幅10~15m、高さ1~1.5m。西側で幅34~40m、高さ4~5mである。堤体は種類の違う土を交互に積んで叩き締める「版築技法」が用いられている。この土塁の築造時期については、出土遺物が少ないため断定できないが、版築の技法、周辺の遺跡の状況等から、7~8世紀頃と推定されている。築成目的については、灌漑施設説、防衛施設説、道路跡説、併用説などがある。古代における大規模かつ高度な土木技術を示すものとしても重要である。

 

 

 

佐賀県史跡 獅子城跡(ししがじょうあと)

平成3年3月30日指定
唐津市厳木町大字岩屋字獅子城
城跡


獅子城跡
 唐津市厳木町浪瀬地区の北方にそびえる白山(標高228m)に所在する。岸岳城主波多氏の家臣である鶴田氏の居城である。現存する文書資料から永禄~天正年間にかけての獅子城跡のことが知られるが、その前後については不明である。縄張りの基本構成は、西端最高所に主郭となる3つの曲輪を連立して配し、その周囲を帯曲輪が巡る。東の尾根上には竪堀や小規模な帯曲輪を伴う出丸的な曲輪があり、その東端で尾根を断ち切る大きな堀切が城の東限をなす。各曲輪は石垣による構築を基本とし、天然の要害地を更に堅固なものにしている。

 

 

 

佐賀県史跡 茶筅塚古墳(ちゃせんづかこふん) 

平成4年5月27日指定
小城市小城町
古墳


茶筅塚古墳
 桜の名所として知られる小城公園内の桜岡と呼ばれる標高36mの独立丘陵頂部に築かれた前方後円墳である。平成3年に行われた小城町教育委員会の調査で古墳であることが最終的に確認された。全長46m、後円部径約26m、前方部の長さ約20m、前方部の幅約18m、後円部の高さ約5m、前方部の高さ約2mである。葺石や埴輪等は確認できていない。内部主体も不明であるが墳丘くびれ部付近から出土した土師器より4世紀後半に造営されたものと推定される。県内の前方後円墳としては最古級に位置づけられる。

 

 

 

佐賀県史跡 高柳大塚(たかやなぎおおつか) 

平成4年8月21日指定
三養基郡みやき町大字原古賀字二本桜
古墳


高柳大塚
 脊振山系南部の雲取山から南に派生する丘陵上に築造された前方後円墳である。開墾により前方部が削平され従来円墳と考えられていたが、平成3年度の発掘調査で前方後円墳であることが判明した。全長約28m、後円部径約17m、高さ6m、前方部長11m、幅10.5m。内部主体は南東のくびれ部方向に開口する横穴式石室である。出土遺物及び石室構造等から6世紀後半~末の築造と推定される。佐賀平野地域の前方後円墳としては、最も新しい時期に位置づけられる最終段階の前方後円墳である。

 

 

 

佐賀県史跡 権現山前方後円墳及び2号墳(円墳)(ごんげんやまぜんぽうこうえんふんおよび2ごうふん(えんぷん)) 

平成5年3月31日指定
小城市三日月町織島字権現山
古墳


権現山前方後円墳及び2号墳(円墳)
 天山山系の東端、高取山から南東に派生する丘陵頂部に並んで築造される。権現山古墳は自然地形を利用した前方後円墳で、全長約57m、後円部径約40m、前方部長約17m、前方部幅10m。これまで調査が行われておらず内部主体や副葬品等は不明であるが、墳形や立地の特徴から5世紀代の築造と推定される。
 円墳は、権現山から西に約35m離れて位置し、径14m、高さ2.5m。墳丘頂部には横穴式石室の抜き跡らしき大きなくぼみがある。墳丘上から採集された埴輪片、須恵器片から、築造時期は6世紀後半と推定される。

 

 

 

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