遺産にまつわる物語
旧佐賀城の北東部に位置し、柳町を含む長崎街道に沿う町並みは寛永3年(1626)から17世紀半ばまでに形成されたと推定される。旧馬場家住宅は、幕末から明治初期にかけては、馬場家の祖先にあたる鍋島藩の藩医を務めた漢方医の高宗弘堂が居住し、この家で開業したと伝えられるが、嘉永7年(1854)『佐嘉城下町竃帳』には、岡部杢之助組侍の古賀元恭が居住していたとある。
特徴
18世紀末から19世紀初期の建築と推定され、表の腕木門も同時期と考えられる。表構えは土蔵造りで、開口部がなかった点や腕木門を構える点を除き、他の町家とさして変わらない。平面には、表口から裏口に抜ける通り庭を持たないなど、むしろ武家屋敷に近い間取りを示している。 医者の住んだ町屋として、また町地の武家屋敷として貴重な存在である。
保存や活用の取組
現在の柳町周辺には各時代を代表する歴史遺産が集積する地区となっており、佐賀市景観条例に基づき、柳町地区の一部が「長崎街道・柳町景観形成地区」に指定されている。
住民を中心に柳町まちづくり協議会も組織されており、「佐賀城下ひなまつり」では案内所として利用される。このイベントには県内外から10万人を越える観光客が訪れ賑わいを見せている。現在は佐賀市の所有となり、当建物の活用策が検討されている。