佐賀県立美術館は開館以来、明治から昭和初期にかけて活躍した佐賀県出身の日本近代洋画の巨匠 岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ、1869~1939)の画業と人物を検証してきました。
今回、OKADA-ROOM Vol.25では、岡田が活躍した明治・大正期の息吹を感じることのできる作品を紹介します。日本にふさわしい洋画の姿を探求した岡田は、その試みの一つとして身近な風景や人々の何気ない美しさに着目し、愛着を込めて描きました。さらに人物表現に熟達した岡田は、佐賀出身の実業家である藤山雷太をはじめ、当時を生きた人々の肖像を残したことでも知られています。岡田、そして彼の仲間の洋画家たちが活写したこれらの風景画や肖像画は、明治・大正という時代の息遣いを私たちに伝え、彼らが生きた時代について想像をたくましくしてくれます。
1869年(明治2年)、佐賀県佐賀町(現佐賀市)に旧佐賀藩士石尾孝基(いしお・たかもと)の三男として生まれる。幼時に油絵に関心を持ち、のち洋画を学ぶ。黒田清輝(くろだ・せいき)、久米桂一郎(くめ・けいいちろう)らとともに洋画団体「白馬会」を創立、東京美術学校の西洋画科の助教授に就任する。また文部省の留学生としてフランスに渡り、画家ラファエル・コランから穏やかで明るい色調の作風を学んだ。帰国後は東京美術学校教授として、官展の指導者として、後進の育成に力を注ぎ、1937年(昭和12年)、第1回文化勲章を受章した。
繊細優美な婦人像を多く描き「美人画の岡田」と呼ばれた。