遺産にまつわる物語
大町町では、明治初期から開坑していた地域の炭鉱を、明治42年に炭鉱王といわれた高取伊好氏が統合し、昭和4年に大町を拠点に杵島炭礦株式会社が設立された。石炭は、六角川岸から船積みされて住之江港まで運ばれた。鉄道による輸送ができるようになると大町駅からの輸送も多くなった。最盛期には町民の6割が炭鉱関連の人と言われたほど、杵島炭鉱の企業城下町として栄えたが、戦後のエネルギー革命により昭和44年閉山した。現在、炭鉱関連の遺構は少ないものの、炭住街やボタ山など一部に当時の面影が残っており、そのシンボルとして親しまれている。
建物の特徴
赤煉瓦造りでイギリス積み構造。出入り口のまぐさ、窓のまぐさ及び窓台に見付幅の大きい(18cm程)花崗岩を用い、意匠的にも特徴となっている。小屋組は鉄骨トラス構造である。屋根は近年改修されており、スレート葺き。内部は部分的に剥離しているが漆喰が施されている。変電所時の内部関連設備・機器類はすべて撤去されている。側壁に配線用の碍子がわずかに残されている。屋根・外壁・内部にわずかな破損はあるものの保存状態は比較的良好である。
保存や活用の取り組み
杵島炭礦変電所跡活用推進会により平成18年からコンサート、写真展、ワークショップ等に取り組まれている。建物内部は一般開放しており、一年間を通して定期的に学習会やイベントを実施されている。子供たちを対象として大町町の歴史や文化等の学習会、子どもガイド育成等を実施されており学び舎として利用され、活動の拠点となっている。
