臥竜城の傍らに位置する永渓山泰智寺の創立起源は、北鹿島常広に建立された“深立寺”であるが、元和八年(1622年)鹿島藩初代鍋島忠茂公によって現在地に移された。古記録には、慶安三年(1650年)の浜町の大火によりすべてを焼失したと伝えられる。その後、寛保二年(1742年)本堂が再建され、山門・回廊も再建されたようである。しかし、山門も本堂も永い年月を経ているため、両者とも二度の大修理を経ている。當寺は三代直朝公により古枝久保山に建てられた普明寺とともに、鹿島藩歴代藩主の御霊を祭っており、その菩提寺として手厚く処遇されてきた。『鹿島藩日記』には「再御寺」(普明寺・泰智寺の意)という説が散見されるが、この事実を物語る。寺の背景には松岡山が佇み、前面には多々良川が流れ、鹿島市を代表するロケーションである。