旧久富家住宅は、白山町で履物商を営んでいた久富亀一が、大正10年にこの柳町に移転し、「履物問屋 久富商店」として建てたものである。明治元年生まれ、現有田町出身の亀一は、建物裏に作業所を造り下駄の製造も行い、県内中を手広く営んでいた。跡を継いだ息子である二代目の吉二は、大分県日田市にも下駄の製造所を設け、朝鮮半島へ販路を広げるなど事業を拡大し、「履物問屋 久富商店」は県下でも有数の大きな履物問屋であった。営業は、昭和55年頃まで続けられ、現在は住宅として使用されているが、土間奥には「履物問屋」と右から左に横書きされた木製の看板が今も掲げられ、当時の面影を残している。