牛津は、江戸時代、長崎街道の宿場町および有明海に面した港町佐賀三津のひとつとして、「一(市)は高橋、二(荷)は牛津」、「牛津、津でもち、駅でもち、町の栄えは店でもつ」とうたわれるように、商都として活況を呈した。 牛津赤れんが館は、玉屋デパートの前身である商店の倉庫として明治時代中期~後期に建てられたと考えられている。田中丸商店初代田中丸善蔵は、江戸期から明治期にかけて、呉服商として頭角を現した。戦時中は軍需工場としても利用され、平成6年に旧牛津町に寄贈された。隣接する牛津町会館とあわせて商都牛津を象徴する建物である。