所在地
鹿島市浜町甲4242 0954-62-3922(泰智寺)
遺産にまつわる物語
臥竜城の傍らに位置する永渓山泰智寺の創立起源は、北鹿島常広に建立された“深立寺”であるが、元和8年(1622)鹿島藩初代鍋島忠茂公によって現在地に移された。古記録には、慶安3年(1650)の浜町の大火によりすべてを焼失したと伝えられる。その後、寛保2年(1742)本堂が再建され、山門・回廊も再建されたようであるが、山門も本堂も二度の大修理を経ている。三代直朝公により古枝久保山に建てられた普明寺とともに、鹿島藩歴代藩主の御霊を祭っており、その菩提寺として手厚く処遇されてきた。寺の背景には松岡山が佇み、前面には多々良川が流れ、鹿島市を代表するロケーションである。
特徴
本堂、山門、墓所から構成される。本堂は、元は草葺寄棟造であったが、平成12年に寄棟造本瓦葺に改修を行った。間取りは方丈型平面で、柱は角柱で内法長押で固められている。山門は、2階建ての門で、2階部分には高欄が設置されている。1階部分に屋根(下屋)を持っておらず、山門の中央部分には、鍋島家家紋が配置されている。墓所は、初代忠茂公~十四代直縄公の墓碑群であり、鍋島家特有の形状をしている。初代の墓は屋根付きで、他の墓石群に比べ格式が高い。
保存や活用の取組
月に一度、仏教婦人会による清掃管理を行っている他、年に2回、檀信徒各家より人手を出していただき、大掃除を実施して維持管理に努めている。肥前浜宿で開催されているスケッチ大会での会場にもなっている。また、花と酒まつりの初期の頃は、酒は酒蔵通り、花は臥竜ヶ岡その途中にある泰智寺にてお茶を出されていた。かつて鹿島鍋島藩の領地があった千葉県香取市とは姉妹都市を提携し現在も香取市から墓参団が年に一度、来寺している。