所在地
嬉野市塩田町五町田乙4499 0954-66-9130(嬉野市)
遺産にまつわる物語
昭和2年(1927)の上棟で、建設にあたり美野の国有林を払い下げて用材を確保し、美野の大工31名が建築に携わった。一部確認できないものの、棟札裏側には建築に関わった全大工の名前が記されており、現在でも大工が多い当地区の歴史を物語っている。また、地区では分教場の裏山のことを「学校山」と呼び、建設の経緯との関連が窺える。分教場は、美野地区住民の念願で建てられた地元に密着した教育施設といえる。昭和43年(1968)に美野分校が廃止された後は、一時公民館として利用されていた。
特徴
半切妻造妻入りの平屋の学校建築である。教室棟の西側桁行8間分は、地区の公民館として改修された時期に取り壊し、現在は、当時の名称で「唱歌裁縫室」、「校務室」、「教室」の約半室分に相当する部屋が残っている。鬼瓦や桟瓦の軒に用いられているマークは、旧村の「五町(丁)田」を形象としたものと考えられ貴重である。学校建築では佐賀県内でも古いものであり、加えて校舎南側の大銀杏や学校山、熊野権現神社など校舎を取り巻く自然豊かな環境も大きな特色である。
保存や活用の取組
地区住民による清掃や区による周辺の草刈りなどにより維持管理を行っている。また、毎年奉納する風日(8月31日)の浮立の練習場所となっている。秋には校舎南側に立つ大銀杏が色付き、アマチュアカメラマンの撮影スポットとなっている。 現在は市の所有となっている。