
平成23年2月の推薦書原案
平成23年2月16日~18日に開催された第5回専門家委員会では、前回の専門家委員会で示された「提言書」をベースに、現地視察の結果や各自治体から提出された調査・研究の結果等に基づき、構成資産候補の見直し等が図られ、「推薦書原案」として提示されました。
提言書では、8つの地域が候補地域(候補エリア)として選出されていましたが、推薦書原案では、さらに、韮山反射炉のある静岡県伊豆の国市が候補エリアに加えられる等の修正が加えられました。
佐賀については、引き続き、三重津海軍所跡が候補エリアとして位置づけられています。
※推薦書原案に記載された9つの候補エリア
1 萩の工業化初期の時代の関連資産と徳川時代の文化風景
2 集成館の先駆的工場群
3 佐賀藩の造船所施設
4 橋野鉱山と製鉄遺跡
5 三菱長崎造船所施設、炭坑の島、その他関連資産
6 下関砲台跡
7 三池炭坑、鉄道、港湾
8 八幡製鐵(せいてつ)所
9 韮山反射炉
推薦書原案における9つの候補エリアと30件の構成資産候補
○候補エリア1 萩の工業化初期の時代の関連資産と徳川時代の文化風景
工業化初期の時代の資産は、実験用の反射炉(1856年)と、1856年、1860年に西洋式船の建造に先駆的な役割を果たした造船所跡(これに関連する伝統的たたら製鉄所を含む)から成る。また、こうした資産は、その背景として、萩城を含む徳川時代の城下町など、萩の伝統的かつ封建的な階層を示す社会経済景観の資産がもつ本質的な意味合いによって補完されている。萩(長州)藩は徳川幕府がとった西洋諸国への脅威への対応策に反対する主勢力であった。萩(長州)藩は、薩摩藩や佐賀藩とともに西洋の知識の習得、近代化の先駆者的役割、さらに1868年の王政復古(明治維新)の立役者としての役割を担った。松下村塾も含まれている。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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1 |
山口県 萩市 |
萩反射炉 |
1856年 |
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2 |
山口県 萩市 |
恵美須ヶ鼻造船所跡 |
1856年 |
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3 |
山口県 萩市 |
萩城下町 |
- |
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4 |
山口県 萩市 |
大板山たたら製鉄遺跡 |
1854年 |
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5 |
山口県 萩市 |
松下村塾 |
1857年 |
○候補エリア2 集成館の先駆的工場群
反射炉(1857年)、機械工場(1865年)、紡績所技師館(1867年)を含む集成館事業の先駆的工場群(1854/67年)。他の産業遺跡は、炉までの水を提供した疎水や燃料を作るための炭焼窯などがある。溶鉱炉(1854年)の考古学的遺跡は、島津神社(鶴嶺神社)の地下にある。また、他の考古学的遺跡として、紡績工場の遺構もある(1866年)。これらは、日本で最初の軍事産業工場群(1851年に操業開始)であり、薩摩藩主が所有し開発を行った。ここでの産業としては、造船、大砲鋳造、製鉄、また小銃、陶磁器、織物(船の帆用)、ガラス製品、食料の製造、出版業、医療の分野と多岐に渡り、最盛期には、1,200人が集成館で働いていた。反射炉での使用のため耐火煉瓦が製作され、良質の陶器やガラス製品はさらなる産業発展のための財源の一助となった。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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6 |
鹿児島県 鹿児島市 |
旧集成館 |
1854年 (反射炉は 1857年) |
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7 |
鹿児島県 鹿児島市 |
旧集成館機械工場 |
1865年 |
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8 |
鹿児島県 鹿児島市 |
旧鹿児島紡績所技師館 |
1867年 |
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9 |
鹿児島県 鹿児島市 |
祇園之洲砲台跡 |
1853年 |
○候補エリア3 佐賀藩の造船所施設
三重津海軍所(1858年)。日本で最初の実用的な蒸気船の建造に成功した場所であり、製缶所跡では加熱炉、メインドックでは木造護岸施設が完全な形で確認されていて、高い完全性を持つようである。しかし、真正性に関しては、更なる歴史文献による入念な調査ならびに、2010年度に実施された考古学調査の結果による証明が待たれる。佐賀藩は鍋島家によって260年もの間統治され、現在の佐賀県と長崎県にまたがっていた。佐賀藩は福岡藩とともに、唯一の開港であり、外国との窓口であった長崎港の警護の任を担っていた。このため、佐賀藩は西洋式反射炉の建設を日本で最初に経験することとなり、鉄の大砲製造を初めて成功させた藩である。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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10 |
佐賀県 佐賀市 |
三重津海軍所跡 |
1858年 |
○候補エリア4 橋野鉱山と製鉄遺跡
鉄鉱石の採掘業、製鉄業に関する先駆的産業景観であり、3つの溶鉱炉(1858年)が相当の形で現存している。鉄鉱石(従来のたたら製鉄でつかわれた砂鉄ではなく磁鉄鉱を利用)を使った西洋式の溶鉱炉技術の導入に成功した証拠となるものである。高炉場には、水路、水力動力施設、採石場、種焼窯、山神を祭った神社等の諸施設があり、鉄鉱石(磁鉄鉱)の採掘跡も残っている。また、周辺には木炭の原料共有減となった森林地帯が広がり、当時の一貫した製鉄・鉱業景観が残されている。橋野高炉の起源は、西南雄藩を中心とした西洋技術の導入と強いつながりを持ち、さらに19世紀の終わりの官営八幡製鉄所の完成に至る近代製鉄の流れの発端となっている。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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11 |
岩手県 釜石市 |
橋野高炉跡 |
1858年 |
○候補エリア5 三菱長崎造船所施設、炭坑の島、その他関連資産
日本で最も初期の西洋式修船場のひとつである小菅修船場(1869年)、現在稼動している三菱重工業(株)長崎造船所内の向島第三ドック(1905年)、スコットランド製ハンマーヘッド型起重機(1909年)、長崎造船所初期の現存する木型工場(現三菱史料館、1898年)、西洋式迎賓館(占勝閣、1904年)から構成される。高島炭坑と端島炭坑の炭坑島群と中ノ島も含まれる。高島炭坑は、もともとは佐賀藩とスコットランド人実業家トーマス・グラバーの合弁により1868年に開発されたことを契機としている。海底炭坑もあった高島炭坑は日本で最初に西洋技術を導入した炭坑であり、1881年に三菱の所有になった。端島炭坑(軍艦島)は1890年に三菱の所有となり、1895年に新たな海底炭田の採炭に成功した。旧グラバー住宅とその庭園も含まれる。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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12 |
長崎県 長崎市 |
長崎造船所 向島第三ドック |
1903年 |
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13 |
長崎県 長崎市 |
木型場 (長崎造船所史料館) |
1898年 |
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14 |
長崎県 長崎市 |
長崎造船所 ハンマーヘッド型起重機 |
1909年 |
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15 |
長崎県 長崎市 |
占勝閣 |
1904年 |
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16 |
長崎県 長崎市 |
小菅修船場跡 |
1868年 |
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17 |
長崎県 長崎市 |
高島炭鉱跡 |
1868年 |
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18 |
長崎県 長崎市 |
端島炭坑 |
1890年 |
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19 |
長崎県 長崎市 |
旧グラバー住宅 |
1863年 |
○候補エリア6 下関砲台跡
2つの台場からなる前田砲台跡は、東西文化の交流という点では重要な転機となった、1863年から1864年、下関四国艦隊砲撃事件の際に使われ、工業化を進める刺激となった。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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20 |
山口県 下関市 |
前田砲台跡 |
1864年 |
○候補エリア7 三池炭坑、鉄道、港湾
三池炭鉱は、長崎の高島炭鉱から技術移転された近代西洋技術を導入して開発された2番目の炭鉱である。宮原坑竪坑櫓施設(1901年)、万田坑竪坑櫓や多数の建造物(1909年)が現存する。三井は1891年に三池炭鉱鉄道を開通させ、万田坑と三池港間を結んだ開通当初の鉄道路床(1905年)が現存している。三池港は、1908年に三井によって建設され、もともとの「ハチドリ」計画の多くが残っていて、閘門と水路によって水位が調整される内港などの諸設備が現存している。炭坑、鉄道、港湾は、西側の海外線に沿って一貫した線状の炭鉱産業景観を形成しており、日本で残存状態が最も優れた資産である。
三池炭鉱の石炭を輸出する役目を果たした三池西港は、三池港が開港する以前に作られた港湾である。三角西港とその周辺地域は横に長い波止場地域で、その中を水路が流れており、関連する倉庫(1887年)、運送会社(高田回漕店、1886-1902年)や他の港湾関連建造物が点在している。三角西港は1887年に開港し、政府によって建設された明治三大築港のひとつで、日本の石工技術が利用された。1889年には、石炭、米、小麦、小麦粉、硫黄の特別輸入港に指定され、三池炭鉱の石炭がここから輸出された。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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21 |
福岡県 大牟田市 |
三井石炭鉱業株式会社 三池炭鉱宮原坑施設 |
1901年 |
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22 |
熊本県 荒尾市 |
三井石炭鉱業株式会社 三池炭鉱万田坑施設 |
1909年 |
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23 |
福岡県 大牟田市 |
三池炭鉱鉄道敷 |
1891年 |
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24 |
福岡県 大牟田市 |
三池港 |
1908年 |
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25 |
熊本県 宇城市 |
三角旧港(三角西港)施設 |
1887年 |
○候補エリア8 八幡製鐵(せいてつ)所
現在の新日本製鐵八幡製鐵所内にある、日本で最初の近代的銑鋼一貫製鉄所であり、1901年に操業を開始した官営製鉄所時代の主な建造物を含む。本事務所(1899年)、修繕工場(1901年)、鍛冶工場(1900年)から構成される。水力を供給した遠賀川水源地ポンプ場(1910年)も八幡製鉄所と関連する資産である。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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26 |
福岡県 北九州市 |
官営八幡製鐵所 旧本事務所 |
1899年 |
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27 |
福岡県 北九州市 |
官営八幡製鐵所 旧修繕工場 |
1901年 |
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28 |
福岡県 北九州市 |
官営八幡製鐵所 旧鍛冶工場 |
1900年 |
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29 |
福岡県 北九州市 |
官営八幡製鐵所 遠賀川水源地ポンプ室 |
1910年 |
○候補エリア9 韮山反射炉
韮山反射炉(2基のうちの2つ)は1854年に建設され、1855年の2月に幕府の管轄下で創業した。この反射炉は1850年代に西南日本の藩によって開発された反射炉の技術と密接な関係がある。遺跡の残存状況は極めて良好。
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番号 |
所在 |
資産の名称 |
年代 |
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30 |
静岡県 伊豆の国市 |
韮山反射炉 |
1854年 |
















