まなざしは世界へ こころざしは未来へ 佐賀の遺跡再発見

佐賀県内での発掘調査等の状況

ここでは、県内で行われた発掘調査の状況等を紹介します。
2012年4月4日

県内での調査の状況

 「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産候補として位置づけられた三重津海軍所跡や関連する幕末佐賀藩関係の遺跡については、佐賀市が主体となって、現在、発掘調査や文献調査が行われています。

 佐賀県では、県教育委員会から発掘調査員を派遣したり、佐賀市とともに文献調査を行うなどして、佐賀市の取組みを支援しています。

 

・発掘調査の状況

   平成21年6月 三重津海軍所跡 (製罐所跡、カマド跡等)

   平成21年8月 築地反射炉跡 (水路跡等)

   平成21年9月 三重津海軍所跡 (造船ドック(北岸)木製護岸構造物)

   平成22年1月 築地反射炉跡 (廃棄土坑等)

   平成22年1月 多布施反射炉跡 (反射炉基礎構造、鋳坪跡)

   平成22年3月 三重津海軍所跡 (造船ドック(南岸)木製護岸構造物)

   平成22年6月 三重津海軍所跡 (造船ドック(北岸)木製護岸構造物)

   平成22年8月 築地反射炉跡 (廃棄土坑等)

   平成23年1月 三重津海軍所跡 (造船ドック 木製護岸構造物、石積み等) 

 

 

○三重津海軍所跡の発掘調査の状況(平成21年6月)

 平成21年6月25日から、三重津海軍所跡(川副町、佐野記念公園)の発掘調査が行われました。

 今回の調査では、過去に行われた発掘調査の結果とあわせて、さらに、三重津海軍所での造船の実績を示す資料を充実させるため、当時の製罐所(蒸気船のボイラー〔汽罐(汽缶)〕製作の場所)の跡、大工小屋(作業所と考えられる建物)の跡、造船ドック跡の3工区に分けて、調査が行われました。

 製罐所のあった第1工区からは、大量の煮沸を行うカマド跡と考えられる遺構が見つかりました。

 

・1工区の調査の様子

 

2009年6月三重津遠景

1工区の遠景です。

 

2009年6月三重津重機作業

河川敷内にある佐野記念公園

に重機が入り、発掘調査が行われました。

 

 

2009年6月三重津製罐所

蒸気船のボイラー部分の製作が行われたと考えられる製罐所跡です。

四角く石組みがされ、中には粘土が敷き詰められています。

 

 

2009年6月三重津出土品

食器のかけら等が出土しました。

 

 

2009年6月三重津かまど跡

大量の煮沸を行うカマド跡と考えられる遺構が見つかりました。

 

 

○築地反射炉跡の発掘調査の状況(平成21年8月)

 築地反射炉があったと考えられる現在の日新小学校の敷地内では、夏休み期間を利用して、発掘調査が行われました。

 発掘調査では、小学校の駐車場付近を3つの工区に分け調査が行われました。

 この調査では、当時の水路跡?と思われる溝のような跡があり、ここから炉壁の一部と考えられる耐火レンガや、鉄さい(鉄を溶解したときに出る不純物等が固まったもの)などが出土しました。

 

築地の発掘現場

発掘調査現場の様子です。

後ろにみえるのが、日新小学校の校舎で、

奥の校舎の壁面には、反射炉を模した装飾が施されています。

 

鉄さい

出土した鉄さいです。

 

耐火レンガ

出土した耐火レンガです。

 

溝の跡

土の色が黒っぽい部分が、当時の水路跡?と思われる溝の跡です。

 

 今回の発掘調査の区域内ではありませんが、日新小学校の敷地内からは、多くの耐火煉瓦が出土しており、21年9月に海外専門家が来日した際に、出土品の現物を持参して見ていただきました。

 

 

○三重津海軍所跡から造船ドックの護岸が発見されました。(平成21年9月)

 

 21年9月上旬に、三重津海軍所跡のうち、船渠(ドック)跡から、木杭や木柱によって組まれた護岸と見られる遺構が確認されました。

 10月15日まで調査が続けられましたが、現在は、保存管理のため、遺構を崩さないように土嚢(どのう)等で保全した上で、埋め戻されています。

 

 

報道機関からの取材の様子

 報道関係者への説明。

多数の取材があり、新聞・テレビなどに取り上げられました。

 

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幕末期の護岸と見られる遺構。

 

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木杭などが組み合わせられた構造であることから、

上部に構造物があった可能性も考えられています。

 

 

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杭付近から出土した石炭。

 

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大工小屋付近から発見された炉の跡で、

金属部品を加工した場所ではないかと考えられます。

 

 

 

画像

炉の近くには、ゴミ捨て場と考えられる穴の跡があり、

そこから、細かい鉄さいなどが多数出土しました。

 

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模様から佐賀藩で使用されたと見られる器の破片も

出土しました。

 

 平成21年4月に行われた海外専門家による視察の時点では、このような発掘調査が行われていなかったこともあり、平成21年10月には、はじめて来佐される方を含めた2名の海外専門家に、三重津海軍所跡の発掘調査現場や県立図書館での関連文献を視察いただきました。

 

  海外専門家等による視察の様子や

  「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会の取り組み

  については、こちらから>>>

 

 

 

 

○築地反射炉跡の発掘調査(平成22年1月)

 21年8月に行われた築地反射炉跡の追加調査として、平成22年1月に冬休み期間を利用して、日新小学校の敷地内の発掘調査が行われました。

 その結果、校舎玄関の東側付近から、反射炉の操業により出てきたと思われる鉄さい(鉄くずなど)がいくつもの層に重なった状態で発見されました。

 

築地反射炉跡 廃棄土坑

日新小学校では、校舎玄関前の東側で調査が行われました。

 

鉄さいの縞模様の層

写真中央には、茶色のしま模様の層が見えます。

茶色に見えるのは、鉄さい等から出たサビです。

これらが斜めの層に重なっていることから、写真左側(北側)から、地面に掘った穴の中へ、操業のたびに捨てられた鉄さい等の廃棄物が堆積したものではないかと考えられます。

 

 

○多布施反射炉跡の発掘調査(平成22年1月)

 

 平成22年1月には、多布施反射炉跡の発掘調査が行われました。

 

 多布施反射炉跡については、大正時代に発掘調査が行われた記録や写真が残っているものの、正確な場所は確認できていませんでした。

 

 現在残っている資料などによると、多布施反射炉は、向かい合う2組(2炉で1組)の反射炉の中央に大砲の鋳型を置き、この鋳型に双方の反射炉で溶解した鉄を流し込み、大砲を鋳造していたと考えられています。

 

多布施反射炉の復元考証図はこちらから>>>

 

 今回の調査では、多布施反射炉跡のうち、下図の(1)、(2)の2箇所について発掘調査が行われ、(1)では、反射炉本体の基礎部分の構造物が、(2)では、大砲の鋳型(いがた)を置いたとされる鋳坪(いつぼ)という反射炉施設の一部が発見されました。

 

多布施反射炉跡 発掘調査図

 

 

【 発掘調査場所(1) の発掘状況 】

 

多布施反射炉 1

溝状に掘られている部分が、大正時代に調査された部分です。

 

 

多布施反射炉基礎構造物

基礎部分には、丁寧に、こぶし大の石が敷き詰められているのが分かります。

 

 

多布施反射炉 基礎

写真中央部には、黒い部分がありますが、これは木材です。

敷き詰めた石の上に、さらに木材を敷き基礎を補強したと考えられます。

 

 

 

【 発掘調査場所(2)の発掘状況 】

 

 

多布施反射炉 発掘現場2

発掘調査場所(1)のやや東側を調査しました。

 

 

多布施反射炉 鋳坪赤石

図に示された赤石ブロックです。

構造上の目的は、はっきりしていません。

 

 

多布施反射炉跡 鋳坪の木材

上記の推定範囲図のうち、鋳坪の内張りの右下の方の写真です。

内張りの構造に使用された木材が見えます。

 

 

 幕府の発注により鋳造された多布施反射炉の大砲50門は、幕府に納品後、現在の東京のお台場に設置されました。

 このように実用炉として貢献した反射炉の地下構造が実際に確認できたのは、全国でも初めてであり、学術的意義の高い遺跡といえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

○三重津海軍所跡から造船ドック南側にも木造護岸構造物が発見されました。(平成22年3月)

 

平成21年9月には、造船ドックの北岸側で木造護岸構造物が出土しましたが、平成22年3月には、南岸側でも木造護岸構造物が出土しました。

 

 

三重津南岸木造護岸構造物

 

三重津木造護岸構造物(ドック南岸側)

 

南側の護岸では、三重津海軍所跡内の他の調査区との地層の連続性が確認できなかったため、時代の特定ができませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

○三重津海軍所跡から造船ドック北側の木造護岸構造物の、より深い層にも、構造物が確認されました。(平成22年6月)

 

平成21年9月に出土した造船ドック北岸側の木造護岸構造物に続く隣接地の発掘調査が平成22年5月から6月にかけて行われました。

 

三重津木造護岸

平成21年9月の調査では、木造護岸構造物は、上から2段目までしか確認できていませんでしたが、更に深い層に、3段目の木造護岸構造物が発見されました。

 

 

三重津木造護岸

報道公開の日には、多くの報道関係者が取材に訪れました。

 

 

三重津木造護岸 出土品

この木造護岸構造物の周辺からは、写真のような、石炭や鉄さい等が出土しました。

 

三重津出土食器

 三重津海軍所でしか見られない「海」の銘や、「波」と「蝶」の紋様が描かれた磁器が、ここでも出土しました。

 平成21年9月の調査では、他の発掘現場との地層の連続性から、木造護岸構造物が三重津海軍所時代の遺構であるということを位置づけていましたが、今回、三重津海軍所でしか出土しないこれらの遺物が木造護岸構造物付近から出土したことで、この位置付けが更に確実になりました。

 

三重津 下駄

この周辺から、下駄も出土しました。

これも、三重津海軍所時代のものと考えられます。

 

 

※三重津海軍所跡は、河川敷にあるため、雨季の発掘調査ができませんが、秋頃から発掘調査を再開し、さらに調査研究が進められる予定です。

 

 

○築地反射炉跡の発掘調査の状況(平成22年8月)

 平成22年度も、日新小学校の敷地内で、夏休み期間を利用した発掘調査が行われました。

 

 築地反射炉跡 廃棄土坑

 この調査でも、大型の廃棄土坑(鉄さいなどの産業廃棄物捨て場)と思われる跡が、2箇所見つかりました。

 

 築地反射炉跡 煉瓦

 一部が熱で溶けて変色している煉瓦。

 

  

 

 大量の鉄さいや煉瓦のほか、大砲鋳造に携わった人たちが使ったお茶碗や下駄などの生活用品も出土しました。

 

 築地反射炉跡 木炭付き鉄さい

 木炭が付着した鉄さいが出土しましたが、のちに、専門家に確認いただいたところ、反射炉の場合、構造上、燃料と鉄が混じり合うことはないため、反射炉から出た鉄さいである可能性は低いとのことでした。

 

 今回の調査では、築地反射炉本体の位置特定には至りませんでしたが、大量の鉄さいなどを含む幕末期の大型廃棄土坑が見つかったことから、関連施設がこの付近まで広がっていた可能性があります。

 

 

 

 

 

○三重津海軍所跡の造船ドック周辺が広範囲に調査されました。(平成23年1月)

 

平成23年1月に造船ドックの護岸構造物の周辺が、広範囲に発掘調査されました。

 

 三重津海軍所跡 造船ドック

 これまでに確認された木造護岸と並ぶように、ほぼ直線上に約30m程の木造護岸が建設されていることが確認されました。

 

 

 三重津海軍所跡 造船ドック

 造船ドックの入り口付近からは、石積み護岸がでてきました。

 木造護岸より新しく、明治以降に作られた護岸のようです。

 

 

 

 2月には、船舶用のロープの一部と思われる出土品も発見されました。

 

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