常設展示室 「日本列島と朝鮮半島との交流史」
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名護屋城博物館の常設展示では原始・古代から近現代にいたる日本列島と朝鮮半島との交流の歴史をメインテーマとしています。 ここでは、常設展示室の展示資料の中からいくつか代表的なものをご紹介します。(貸出・展示替えによりご覧いただけない場合があります。ご了承ください。)
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常設展示ワークシート (PDFファイル1.9MB) 小学校高学年~中学生向け |
「名護屋城以前」
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朝鮮半島南東部の
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(9世紀)
統一新羅時代後期の小型の金銅仏です。 |
[ (10~14世紀)
同じ文様の銅鏡が中国や日本でも確認されており、アジアにおける活発な交流を想起させます。
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「歴史の中の名護屋城」
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(16世紀末~17世紀初頭)
名護屋城や城下町を中央に描くほか、周囲には軍船や大名の陣屋をみることができます。狩野光信によって描かれたと考えられています。 (佐賀県重要文化財)
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[復元模型]
日朝両国の軍船を10分の1で復元しています。安宅船(あたけぶね)は「肥前名護屋城図屏風」に描かれたものを再現しています。
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(16世紀前半)
戦いの中、たくさんの陶工が日本に連れてこられました。この資料にみられる鉄絵の技法はのちに唐津焼に大いに活かされました。 |
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洪浩然(こう・こうぜん/1582~1657)
洪浩然は文禄の役に際してわずか12歳で佐賀に連行された被擄人です。 鍋島直茂・勝茂に仕え、書家・右筆として活躍しました。明暦3(1657)年3月に勝茂が江戸で死去すると、その報に接した浩然は追い腹を切りました。右の書はその直前に子孫への遺訓として記されたものです。 (洪浩然・洪家関係史料 佐賀県重要文化財)
[洪浩然の遺墨] ・ ・ ・徳善院 鳥居銘(佐賀市) ・英彦山神宮 銅造鳥居銘(福岡県添田町) など |
洪浩然書 「忍」 (明暦3/1657) |
「名護屋城以後」
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(17世紀末~18世紀初頭)
江戸時代、江戸幕府将軍の代替わりごとに朝鮮国から使節団が派遣され、その数はときに500人にのぼる大規模なものでした。 |
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(江戸時代)
日朝貿易で輸入された朝鮮人参は万能の生薬として珍重されました。
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(朝鮮時代後期)
吉祥を意味する松竹梅・ざくろ・桃が美しい螺鈿で描かれています。 |
「特別史跡 名護屋城跡並びに陣跡」
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(桃山時代)
五層の天守閣がそびえていた天守台の周辺からは金箔瓦が出土しています。
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(1590年)
名護屋城の水手曲輪からは、豊臣秀吉がまだ関東の北条氏を攻めている時期の年号をもつ瓦が出土しています。 (佐賀県重要文化財) |
(桃山時代)
秀吉の日常生活を送った山里丸からは茶室跡も発掘されました。 |















