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国指定(史跡の部)03

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国指定史跡の部

 

史跡 大川内鍋島窯跡(おおかわちなべしまかまあと)

平成15年9月16日指定
伊万里市大川内町字二本柳
窯跡


大川内鍋島窯跡  佐賀鍋島藩は、1610年代に肥前有田で、国産初の磁器生産に成功し、同40年代には、色絵磁器の生産も成し遂げている。
 その後、藩は磁器生産を重要な殖産事業として育成し、同70年代には肥前磁器の製作技術の粋を結集して、大川内山に御道具山(御用窯)を開設する。
 大川内山でつくられる焼物(色鍋島・鍋島青磁・鍋島染付)は、将軍や諸大名への献上や贈答等を目的とした特別誂えのものであることから、市場へ出回ることはなかった。鍋島は、その精緻な造形美と優雅な風韻から天下の名品とされ、美術史的な評価が高い。
 現在、大川内山には、御用窯関連の登り窯跡、細工屋敷跡、物原、藩役宅跡等が広範囲に残っている。

  

 

史跡 勝尾城筑紫氏遺跡(かつのおじょうちくししいせき)

平成18年1月26日指定

* 平成22年2月22日・平成24年1月24日 追加指定
佐賀県鳥栖市牛原町・河内町・山浦町
戦国末期の城館跡(城下町を含む。)


勝尾城筑紫氏遺跡  鳥栖市北西部は肥前国が筑前・筑後に接する交通の要衝にあたり、城山(じょうやま)とその山麓の谷筋を中心に、戦国大名・筑紫氏の城館跡(城下町を含む。)が広がっている。
 筑紫氏は、少弐氏から分かれたとされ、明応年間(1492~1501)に入城したとされる。その後、筑紫氏は、周辺の戦国大名と同盟あるいは敵対し、めまぐるしく活動するが、天正14年(1586)島津氏に攻められ勝尾城は落城する。翌15年、筑紫氏が豊臣秀吉により転封されたことにより、廃城となる。
 勝尾城跡は、城山山頂にあり、東西約300m、南北約250mに及ぶ。東側には小規模な石材を積み上げた石垣塁線と横堀が見られ、南山麓には瓦葺の建物と庭園を伴う館跡が配置されていた。また、5つの支城に防備された谷部には城下町があり、長大な堀と土塁によって画された4つの空間には、家臣団屋敷跡、寺社、町屋跡などが所在する。

  

 

史跡 姉川城跡(あねがわじょうあと)

平成22年2月22日指定(一部に県史跡を含む)
神埼市神埼町姉川
中世の城館跡と周囲の集落跡


姉川城跡

 南北朝期にこの地に土着した、菊池氏の分族を称する姉川氏が構えた城とされ、戦国末期までその居城となっていた。

 1570~80年代頃、龍造寺隆信が姉川氏を服属させた後は、龍造寺氏の神埼郡支配の要衝とされた。天正15年(1587)の豊臣秀吉による九州統一後は、国内の城郭の統廃合政策に伴い廃城となったと推察される。

 遺跡規模は東西最長600m、南北最長800mに及び、その中核となる姉川城本体が遺跡全体の東半域を占めている。城の中心部は平面台形状の半町ほどの曲輪(くるわ)で、内部に大型建物や門を備えていたことが過去の試掘調査で判明している。

 その周囲には小規模な曲輪群や家臣屋敷跡、寺社跡などが付属し、さらにその西側外縁の中地江川沿いに、一般住人や下級武士層の小規模な屋敷群が並んでいる。各空間は大型の濠で細分され浮島状をなしており、中世以来の「水辺」の村落景観が広範かつ良質な状態で、現在もなお保たれている。

 

史跡 三重津海軍所跡(みえつかいぐんしょあと) 

平成25年3月27日指定、平成26年10月6日追加指定
佐賀市川副町大字早津江・諸富町大字為重
産業遺産


 写真:三重津海軍所跡三重津海軍所跡は、幕末に佐賀藩が洋式船による海軍教育を行い、藩の艦船の根拠地として、さらに修船・造船を行う場として経営された施設の遺跡である。遺跡は、筑後川の支流早津江川の標高約3mの西岸河川敷に立地する。佐賀藩が藩内の船手に洋式船の運用技術を教育するため、安政5年(1858)、三重津にあった藩の船屋を拡張し、御船手稽古所を設けたことに始まる。

 その後、海軍の養成及び艦船の運用が本格的に行われるようになり、船屋の一角を海軍稽古場として拡張し、役所の出張所に続き稽古人の宿舎や稽古場が整備された。また、早津江川河口の沖合が藩所有艦船の係留地に定められ、三重津は艦船運用の根拠地としても整備された。

 さらに、洋式艦船の修理のため部品の補修や製造を行う「製作場」や、修船や造船の際に船を引き入れる「御修覆場」等の修船施設が整備され、国内最初期の実用蒸気船である凌風丸が建造された。平成13年度~平成24年度の発掘調査により、海軍所時代の金属加工遺構、木杭と板を組み合わせた在来の土木工法による船渠側壁の護岸施設等が見つかっている。

 

 

国史跡 東名遺跡(ひがしみょういせき) 

   平成28年10月3日告示
   所在地 佐賀市金立町大字千布
   所有者 佐賀市


 

東名遺跡は、標高3mに立地する167基の集石遺構と8体分の埋葬人骨が集中する墓域から成る居住域、標高-0.5mから-2mの斜面部に広がる6か所の貝塚、さらには標高-2mから-3mの低湿地に築かれた155基の貯蔵穴群によって構成される、集落構造の全体が明らかな縄文時代早期末葉(約7,000年前)の遺跡である。また、生活用具や食料残滓の遺存状態も極めて良好であることから、当時の生活を復元可能にする遺跡であり、当該期では九州や西日本はもちろん日本列島全体を見渡しても類例がない。特に、貝塚から出土する骨角製品や貯蔵穴群から出土する700点を超える編み籠(かご)からは、当時の造形的に優れた文様の実態を知ることができ、さらにこれらが国内では最古級に属することから、その製作技術を含め系譜についても注目されるところである。このように東名遺跡は、日本列島の縄文時代早期末葉の生活を忠実に伝える遺跡として重要である。

 

東名1amikago

 

 

 

 

 

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