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国指定(考古資料の部)01

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国指定重要文化財(考古資料)の部 

 

重要文化財 佐賀県二塚山遺跡出土品(さがけんふたつかやまいせきしゅつどひん)

平成元年6月12日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


佐賀県二塚山遺跡出土品
 二塚山遺跡は、神埼郡吉野ヶ里町と三養基郡上峰町にまたがる遺跡で、工業団地建設に伴い調査を実施し、弥生時代前期から後期にわたる甕棺墓・土壙墓・箱式石棺墓などの墳墓252基と、その周辺で墓地祭祀関係の遺構6カ所が確認できた。
 墳墓内には多くの副葬品が埋納されており、佐賀平野東部の有力な集団が営んだ墓地と考えられる。
 副葬品としては、前漢から後漢にかけての中国製銅鏡4面、朝鮮半島出土の鏡と同じ鋳型で作られた銅鏡1面、日本製小型鏡2面、南海の貝を使った腕輪、鉄製の刀・剣・矛、ガラス製玉類などがある。
 指定はこれらが出土した甕棺も含めて行っており、その他の貝製腕輪・鉄斧・磨製石剣・磨製石鏃は県重要文化財に指定している。

 

 

 

重要文化財 佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品(さがけんよしのがりいせきふんきゅうぼしゅつどひん)

平成3年6月21日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品
 吉野ヶ里遺跡の弥生時代中期の墳丘墓では、平成元年と4年の2回にわたる調査で、14基の甕棺墓が確認できた。このうち8基の甕棺内から把頭飾付き有柄細形銅剣と細形銅剣6本、中細形銅剣1本、青銅製把頭飾2点、ガラス製管玉79点が人骨とともに出土した。
 有柄銅剣は長さ44.3cmで、剣身から把頭飾までがいくつかの工程を経て一体に仕上げられている。
 細形銅剣4本は、それぞれ現存長が19.7、21.2、28.8、30.6(切先を欠損)cmである。
 ガラス製管玉は、中国湖南省長沙産の原料で、巻抜き技法によって作られたものと考えられ、鮮やかなコバルトブルー色である。風化により白色の螺旋状模様がつくものもある。
 他に、吉野ヶ里遺跡から出土した中国製銅鏡片3点、日本製銅鏡4面、銅剣片1点、銅剣・銅矛・巴形銅器など5点の青銅器鋳型、青銅器の材料である錫片などもあわせて指定されている。

 

 

 

重要文化財 肥前唐津桜馬場出土品(ひぜんからつさくらのばばしゅつどひん)

昭和32年2月19日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


肥前唐津桜馬場出土品
 唐津市桜馬場遺跡は、弥生時代中期から後期の甕棺墓地である。松浦川左岸砂丘上に当たり、戦中防空壕構築中に甕棺が出土し、棺内から後漢鏡2面、銅釧26個、巴形銅器3個、鉄刀片1個、ガラス小玉1個が発見された。昭和30年に発掘調査が行われ、これらの副葬品を納めていた甕棺が後期初頭のものと位置づけられた。
 銅鏡2面は、流雲文縁方格規矩四神鏡と素縁方格規矩渦文鏡でいずれも王莽の新代から後漢初期の鏡である。
 有鉤銅釧は南海産のゴホウラ製貝釧をモデルとしたものである。
巴形銅器は小型で、有鉤と無鉤のものがある。

 

 

 

重要文化財 肥前唐津宇木出土品(ひぜんからつうきしゅつどひん)

昭和35年6月9日指定
唐津市西城内1-1 唐津市教育委員会
考古資料


肥前唐津宇木出土品
 昭和5年(1930)唐津市宇木川上流左岸の水田中の甕棺から、細形銅剣2本、細形銅矛2本、硬玉製勾玉2個、碧玉製管玉2個が出土した。
 弥生時代中期前半のものと推定される。
 銅剣2本のうち1本は全長31.2cm、他の1本は切先を欠き現存長18cm。銅矛は各40.7、32.6cm。
 管玉は、概ね小型のもの、勾玉は縄文時代の形態を残した原初的な特徴をもつ。

 

 

 

重要文化財 銅矛(どうほこ)

昭和61年3月28日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


銅矛
 昭和60年(1985)2月、三養基郡みやき町白壁の通称検見谷でゴルフ場造成に伴う樹木の移植中に12本の銅矛が偶然発見された。出土地点は小さな谷の南に面した斜面の途中で、長方形の穴を掘り込み切先を互い違いにしながら刃の面を立てて納められていた。
 12本はいずれも銅質、仕上がりともよく、すべて完存品である。いずれも中広形式に属するもので、長さ82.2~83.8cm、弥生時代中期から後期前半頃のものと推定される。
 これらは最初から祭器として作られた特徴を有し、また10本には綾杉文様の研ぎ分けが行われている。

 

 

 

重要文化財 佐賀県安永田遺跡出土鎔笵 一括(さがけんやすながたいせきしゅつどようはん いっかつ)

平成5年1月20日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料
 


佐賀県安永田遺跡出土鎔笵 一括
 安永田遺跡は鳥栖市の西北、脊振山地から伸びる丘陵上に営まれた弥生時代の大規模な集落・墓地遺跡である。
 これらの鋳型は昭和54~56年の発掘調査によって出土したものである。
 このうち銅鐸鋳型は九州初の確認例として全国的な注目を集めた。弥生時代後期末の竪穴住居跡等から出土したもので、現在5片に割れているがもともと同一個体と考えられる。形式は「邪視文の横帯文銅鐸」と推定され、下部の破片にはエサをくわえた水鳥が描かれている。
その他、銅矛鋳型3点があり、うち1点は再利用を行おうとした痕跡がある。

 

 

 

重要文化財 舟形石棺(ふながたせっかん)

平成元年6月12日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料 


舟形石棺
 昭和36年(1961)、佐賀市久保泉町川久保の熊本山(標高55.5m)の南側高所から箱式石棺5基と舟形石棺1基が出土した。舟形石棺は径30m余りの円墳と思われる高まりの土中に直接埋められたもので福岡県八女地方の阿蘇熔結凝灰岩を3室にくりぬいた身と蓋からなる。身の長さ4.3mで内面は赤く塗られている。中央室の刳り抜きには2体の人骨があり、鉄剣2口、鉄刀1口が出土した。北側の部屋からは革綴式の短甲1具、四獣鏡1面、鉄剣1口、やりがんな1個、水色のガラス製小玉162個、碧玉製紡錘車2個など多くの副葬品が納められていた。5世紀前半頃のものと思われる。

 

 

 

重要文化財 佐賀県柚比本村遺跡墳丘墓出土品(さがけんゆびほんむらふんきゅうぼしゅつどひん)

平成8年6月27日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


佐賀県柚比本村遺跡墳丘墓出土品
 柚比本村遺跡は、鳥栖市柚比町の脊振山地から伸びる丘陵上に所在する。平成5・6年度の佐賀県教育委員会の調査で弥生時代中期を中心とした集落・墳墓群が確認できた。
 中期初頭の墳墓群は、大型の墓壙をもつ木棺墓を中心に、甕棺8基で構成される。中心の木棺墓には、石製把頭飾を伴う細形銅剣が副葬されていた。この銅剣はほぼ完形で鋳上がりもいい。現存長30.1cm。
 中期前半期の甕棺墓は10基で構成され、内5基に銅剣が副葬されていた。特にそのうちの1基の銅剣は玉飾りの付いた赤漆塗りの鞘を伴う優れたものである。その他青銅製把頭飾も出土した。
 中期後半の墓地には3基の甕棺と1基の石蓋土壙墓が営まれる。このうち1基の甕棺から鉄剣とガラス製勾玉が出土した。

 

 

 

重要文化財 佐賀県築山経塚出土瓦経(さがけんつきやまきょうづかしゅどがきょう)

平成11年6月7日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
考古資料


佐賀県築山経塚出土瓦経
 佐賀市大和町大字尼寺に所在する築山経塚から一括して出土した瓦経である。
 遺跡は脊振山系の南麓から拡がる、発達した扇状地上に立地している。経塚自体は、横穴式石室をもつ前方後円墳、築山古墳の後円部頂部に造営されている。また、周辺には肥前国庁跡、国分寺跡、国分尼寺跡が位置し、奈良時代から平安時代にかけての肥前国の中心地に造営されたことがわかる。
 平成3年に水銀灯設置工事の際に偶然発見され、大和町教育委員会が緊急調査を実施した。
 経塚は、妙法蓮華経167枚、無量義経19枚、観普賢経18枚、阿弥陀経6枚、般若心経2枚、法華懺法10枚、無地瓦経2枚、刻仏瓦経5枚で構成される。鉄刀子3口が共伴した。
 この経塚は、妙法蓮華経第一の奥書に相当する瓦経および法華懺法奥書から、天養元年十月に勧進僧定照并清原氏の発願により、草部貞行を大檀主とし、僧蓮勝ら3名以上の手によって書写事業が行われ、埋納されたことがわかる。

 

 

 

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