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国指定(美術工芸品の部)03

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国指定重要文化財(美術工芸品)の部 

 

重要文化財 木造広目天立像及び木造多聞天立像(もくぞうこうもくてんりゅうぞうおよびもくぞうたもんてんりゅうぞう)

昭和25年8月29日指定
三養基郡基山町園部 大興善寺
彫刻


木造広目天立像及び木造多聞天立像
 当寺は、養老元年(717)に行基が草創し、承和14年(847)に円仁が再興して大興善寺と改称したとされ、四天王のうち西方守護の廣目天、北方多聞天が伝わる。
 廣目天の像高は149.4cm。頭体部を栴檀の一材から彫出、背中に内刳りを施し、両肩先を寄せる。多聞天の像高は146.2cm、桧材の一木造りで背刳りを施し両肩を寄せる。

 

 

 

重要文化財 木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)

昭和25年8月29日指定
神埼郡吉野ヶ里町田手1728 東妙寺
彫刻


木造聖観音立像
 この聖観音立像は、現在は東妙寺の本堂に安置されているが、以前は妙法寺に本尊として祀られていたと伝えられている。妙法寺は、正嘉年間(1257~59)頃の草創になるとされ、中世には七堂伽藍を備えた尼寺であった。元亀元年(1570)、大友氏の兵火にあい、本像だけは難を逃れて小堂に祀られていたが、明治7年(1874)の佐賀の役で再び罹災、知足庵を焼かれて東妙寺に移安されたという。
 本像は像高108.5cm。桧材による一本造りで、表面は彩色を施さず素木仕上げ、体内に内刳りはない。本像の製作は平安時代前期になるものと考えられる。

 

 

 

重要文化財 木造釈迦如来坐像(もくぞうしゃかにょらいざぞう)

昭和25年8月29日指定
神埼郡吉野ヶ里町田手1728 東妙寺
彫刻


木造釈迦如来坐像
 当寺は、弘安年間(1278~88)、後宇多天皇の勅命を受けた唯円上人が西大寺より西下し、元軍退散の勅願寺として開かれた。
 本像は東妙寺の本尊で、像高は111.0cm、桧材による寄木造で、表面には漆下地に金箔を押す。鎌倉前期の制作と思われる。

 

 

 

重要文化財 木造普賢延命菩薩騎象像(もくぞうふげんえんめいぼさつきぞうぞう)

昭和32年2月19日指定
佐賀市久保泉町大字上和泉 龍田寺
彫刻


木造普賢延命菩薩騎象像
 当寺は、元享年間(1321~1324)、一地上人の開山と伝えられる。
 本像は、4頭の白象上の蓮華座に結跏趺坐する20臂(手)の普賢延命菩薩像で、上下二重の円光背を負う。像高は71.7cm。桧材による寄木造りで、表面には漆箔を施す。
 本像には正中3年(1326)に、奈良の仏師で慶派に属する康俊が造ったことを裏付ける銘文がある。

 

 

 

重要文化財 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)

昭和25年8月29日指定
小城市牛津町上砥川 常福寺
彫刻


木造薬師如来坐像
 佐賀平野西端太平山中腹に、臨済宗南禅寺派に属する常福寺がある。
 像高は82.7cm。頭体根幹部を桧の一材から彫出し、右肘先、両手首先、漆前などを寄せ、体部には像低より内刳りを施す。様式的には、平安時代前期の強さを残しながらも全体に穏やかさを帯び、衣文の処理には平安時代末期的な平行線状の繰り返しの兆しを見て取ることができる。

 

 

 

重要文化財 木造帝釈天立像(もくぞうたいしゃくてんりゅうぞう)

昭和25年8月29日指定
小城市牛津町上砥川 常福寺
彫刻
 


木造帝釈天立像
 像高は110.9cm。頭頂から蓮実にいたるまで、榧の一材から彫出し、内刳りは施さない。表面は彩色を施さず素木仕上げとする。
 本像の製作は平安時代中期と思われる。

 

 

 

重要文化財 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)

昭和25年8月29日指定
東松浦郡玄海町大字有浦下 東光寺
彫刻 


木造薬師如来坐像
 当寺は、中世に東松浦半島に勢力のあった日高氏の一族壱岐守宗任が、自らの祈念仏である薬師如来を本尊として小宇を建立、その後天正20年(1592)、鎮西町赤木の廃寺を有浦に移築し、先の薬師如来を本尊としたことに始まるとされる。
 像高は89.1cm、桧材による寄木造りで、表面に漆箔を施し、体内には内刳りを施す。こうした特徴は、平安時代の仏師定朝の作例に代表されるいわゆる藤原仏に共通するものであり、本像が平安時代末期に、京都を中心に活躍した中央の仏師によって製作されたことを物語っている。

 

 

重要文化財 木造四天王立像(もくぞうしてんのうりゅうぞう)

昭和25年8月29日指定
武雄市武雄町富岡 広福護国禅寺
彫刻 



 武雄市の広福護国禅寺は、仁治3年(1242)、武雄8代領主後藤直明を開基、円爾弁円を開山として草創され、三宝山広福寺と称したが、後に蓬莢山広福寺と改めた。
 当寺に伝わるの四天王は、鎌倉時代中期頃の製作になると考えられる。像高は、邪鬼を除いて四体とも約140cm。桧材による寄木造りで、内刳りがあり、玉眼が施されている。

木造四天王立像木造四天王立像

 

 

 

重要文化財 木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう・もくぞうやくしにょらいざぞう)

昭和25年8月29日指定
鹿島市能古見町大殿分 蓮厳院
彫刻 



 当寺の草創は奈良時代にさかのぼるとされ、平安時代以降は藤津荘内にその壮麗さをほこった金剛勝院の一支院となったと考えられている。中央の阿弥陀如来像は、像高140.3cm。主尊右手の阿弥陀如来は、像高85.1cm。主尊左の薬師如来は、像高84.8cm。
 平安時代末期の制作と思われる特徴がある。

木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来坐像木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来坐像

 

 

 

重要文化財 木造不動明王及二童子像(もくぞうふどうみょうおうおよびにどうじぞう)

昭和25年8月29日指定
嬉野市嬉野町大字吉田字寺辺田 永寿寺
彫刻 


木造不動明王及二童子像
 当寺は、慶長19年(1614)、上吉田地区一帯の邑主鍋島茂教が、その菩提寺とするために開基したと伝えられる。
 この不動三尊は、吉田川対岸の両岩地区に既に廃寺となっていた永洗寺より移坐されたと伝えられている。
 不動明王は、煩悩を断ち、真理を感得させる力をもつとされ、煩悩を打ちくだく忿恕形に表される。像高は88.2cm。矜羯羅童子は合掌し、体を左に傾けて岩座上に立つ。制託迦童子は左肘を曲げて右腹前の衣を把み、右手は垂下して宝剣を執り、岩座上に左寄りに立つ。この三尊は穏やかな表情などから、平安時代末期の製作になると思われる。

 

 

 

重要文化財 木造円鑑禅師坐像(もくぞうえんかんぜんじざぞう)

昭和25年8月29日指定
佐賀市城内1-15-23 県立博物館
彫刻 


木造円鑑禅師坐像
 佐賀平野中央北部で嘉瀬川中流の東方春日山中腹に、春日山高城護国禅寺がある。
 当寺は、文永7年(1270)、久池井の地頭国分忠俊の帰依を受け、蔵山順空が開山した臨済宗東福寺派の寺院である。圓鑑禅師蔵山順空(1233~1308)は、出生地は不明であるが、大和町万寿寺神子栄尊のもとで出家、栄尊に従って上洛、京都東福寺で円爾弁円に師事、鎌倉で蘭渓道隆の門に入った。弘長2年(1262)に中国へ渡り、各地で禅を学ぶ。帰国後、高城寺を開山、正安2年(1300)、東福寺住持となった。像高は85.5cm。

 

 

 

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