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県指定(考古資料の部)10

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佐賀県重要文化財(考古資料)の部 

 

佐賀県重要文化財 本行遺跡出土青銅器及び鋳型(ほんぎょういせきしゅつどせいどうきおよびいがた

平成9年5月9日指定
鳥栖市宿町(鳥栖市教育委員会)
考古資料 



 本行遺跡は鳥栖市の西南部、江島町字本行に位置する。標高10~20mの舌状台地上に立地する。調査は工場建設に伴い平成3~5年度にかけて行われ、弥生~中世の集落・墓地が確認されている。
 この調査で出土した青銅器鋳造に関わる遺物として、計12個に及ぶ青銅器鋳型の外、中広形銅矛等6点の青銅器がある。
 1号鋳型は中細形銅剣と細形銅矛、2号鋳型は中細形銅剣と銅矛、2点の不明青銅製品、3号は銅矛の切先と細形銅剣、4号鋳型は細形又は中細形銅剣とヤリガンナ又は銅矛、5号鋳型は小片で不明確だが銅剣とヤリガンナ又は銅矛が彫り込まれ、3・4・5鋳型は同一品である可能性がある。6・7号鋳型は同一品で中細形銅矛と見られる袋部を、8号鋳型は中細形銅矛と思われる袋部と耳の部位、9号鋳型は2号鋳型と同様の棒状不明青銅製品2点(完形品)、10号鋳型は銅剣と思われるが砥石に転用されている。11号鋳型も小片ながら銅剣と思われる。12号鋳型は銅鐸の中位部分の身の半分から鰭の部分で文様は斜格子文と重弧文、鰭には斜線文が描かれる。
 青銅器類としては、中広形銅矛1点、小銅鐸1点、鋤先2点、小形ぼう製鏡2面が出土している。
 これらのうち、鋳型は、弥生時代中期後半頃、青銅器類は後期を中心とする時期のものと思われる。

本行遺跡出土青銅器及び鋳型本行遺跡出土青銅器及び鋳型

  

佐賀県重要文化財 一本木遺跡出土湖州鏡(いっぽんぎいせきしゅつどこしゅうきょう

平成10年5月11日指定
佐賀市栄町1-1(佐賀市教育委員会)
考古資料 


一本木遺跡出土湖州鏡
 一本木遺跡は、佐賀市大和町東南部の大字尼寺に位置する。平成6~7年度に旧大和町教育委員会が土地区画整理事業に伴い発掘調査を実施し、弥生時代から鎌倉時代の集落及び墓地を確認した。
 湖州鏡は土壙墓床面直上から出土した。鏡面を上にし、鏡の上に鑷子(せっし、毛抜き)が置かれていた。
 鏡は長径10.5cm、短径9.1cm、厚さ0.2cmで、猪目型の湖州鏡である。素文であるが下部に「湖州石家煉」の文字が陽刻されている。この文字は類例と比べて、方向が異なっている。鑷子は両先端の一部を欠失し、残存長7.0cm。
 これらの遺物の時期は同時に出土した土師器から13世紀前半代のものと思われる。 

 

佐賀県重要文化財 生立ヶ里遺跡出土木製品(うりゅうがりいせきしゅつどもくせいひん

平成10年5月11日指定
小城市牛津町柿樋瀬(小城市教育委員会)
考古資料



 生立ヶ里遺跡は小城市牛津町の東部、大字乙柳字立籠に所在する。遺跡の西側を流れる晴気川及びその支流の氾濫により形成された沖積平野上の標高3~4mの微行地に立地する。平成3年度に実施された調査で弥生時代から古墳時代及び平安時代の集落が確認され、遺存状態が良好な木製品等が多数出土した。
 出土した木製品には、柱・杭・礎板等の建築部材、剣形木製品・槽等の儀器、鍬・鋤・臼・竪杵等の農耕具、杓子・皿・匙形木製品等の農耕具、組合せ式木甲と考えられる短冊形の木製品がある。
 特に槽は、一木を刳り抜き、外面に黒漆と赤漆による直線文と重弧文の文様を描く優れたものである。
 これらの遺物は、共伴する土器から、弥生時代中期前半のものと考えられる。

生立ヶ里遺跡出土木製品生立ヶ里遺跡出土木製品

  

佐賀県重要文化財 石動四本松遺跡甕棺墓出土遺物(いしなりよんほんまついせきかめかんぼしゅつどいぶつ

平成11年5月10日指定
神埼郡吉野ヶ里町三津(吉野ヶ里町教育委員会)・佐賀市城内1-15-23(県立博物館)
考古資料


石動四本松遺跡甕棺墓出土遺物
 石動四本松遺跡は、吉野ヶ里町石動字四本松に所在する。三次の調査が行われ縄文~平安時代の複合遺跡であることが確認できた。弥生時代の墳墓としては、甕棺墓、木棺墓、土壙墓、石棺墓などがあり弥生時代後期のものと思われる。
 副葬品が出土したSJ032甕棺墓は後期前半の単棺で、棺外の口縁付近から連弧文昭明鏡一面が、棺内から硬玉製勾玉。碧玉製管玉が出土した。
 連弧文昭明鏡は8片に割られ、鈕の部分だけが抜かれて集積された状態で発見された。面径12.6cm。銘帯には「内而青而以而昭而明而光而象而日而月而夫而」の20字を配す。

  

佐賀県重要文化財 土生遺跡群出土青銅器鋳型はぶいせきぐんしゅつどせいどうきいがた

平成11年5月10日指定
小城市小城町 小城市立歴史資料館
考古資料


土生遺跡群出土青銅器鋳型
 土生遺跡(はぶいせき)は、佐賀平野西部の標高6~9mの扇状地に立地する弥生時代中期前半を盛期とする集落遺跡で、昭和46年(1971)に発見された。多量の弥生土器とともに鋤や鍬、斧柄などの木製農工具をはじめとする豊富な木製品が発見され、昭和48年に遺跡の一角が国史跡に指定された。平成4年度には銅ヤリガンナ鋳型1点、13年度には青銅器鋳型2点、14年度には青銅器鋳型4点が相次いで出土している。
 仁俣遺跡(ふたまたいせき)は、土生遺跡の北東側に隣接する弥生時代を中心とする集落遺跡である。平成8年の発掘調査で、弥生時代中期前半の土器とともに銅矛鋳型1点が出土している。また、久蘇遺跡(くしょいせき)は、土生遺跡の西側から南西部にかけて展開する弥生時代から近世にかけての複合遺跡であり、平成14年度の発掘調査で銅矛鋳型1点が出土している。
 土生遺跡群(土生、仁俣、久蘇)における青銅器生産は、鋳型と土器の共伴関係から、弥生時代中期前半には本格的に開始されたと推定される。また、朝鮮系無文土器が数多く出土していることから、朝鮮半島から渡ってきた渡来系の人々や、本遺跡に居住していた弥生人たちが、青銅器生産に関わっていたと見られる

  

佐賀県重要文化財 高志神社遺跡甕棺墓出土遺物(たかしじんじゃいせきかめかんぼしゅつどいぶつ) 

平成12年4月28日指定
神埼市神埼町神埼(神埼市教育委員会)
考古資料


高志神社遺跡甕棺墓出土遺物
 高志神社遺跡は、神埼市千代田町の北東部に位置する。調査は平成9・10年度に町教育委員会が重要遺跡確認調査として行い、弥生時代の集落、墓地、貝塚が発見された。
 調査区北側では、弥生時代前期末~中期中頃の甕棺墓38基などが確認され、甕棺墓の内の1基から完全な形の細形銅剣と人骨に刺さった状態の銅剣の切先、石剣や石鏃、サメの歯で作ったやじりなどが出土した。細形銅剣は、絹の布で巻かれた状態で副葬されていた。長さ35.9cm。この甕棺に葬られた人は、30~40代の男性である。

 

 

 

 

佐賀県重要文化財 増田遺跡甕棺墓出土多鈕細文鏡(ますだいせきかめかんぼしゅつどたちゅうさいもんきょう) 

平成13年2月28日指定
佐賀市本庄町大字本庄 佐賀市文化財資料館 (佐賀市教育委員会)
考古資料


増田遺跡甕棺墓出土多鈕細文鏡
 増田遺跡は、佐賀市西部に位置し、脊振山地南麓の洪積台地群南端部に立地する弥生時代から中世にかけての複合遺跡である。特に弥生時代の甕棺墓を主体とする墓地が広範囲に分布し、周辺部の調査では朝鮮半島との関連を示す遺構や遺物が検出されている。
 多鈕細文鏡は、朝鮮半島で発達した鏡で、我が国へは弥生時代前期から中期の限られた期間に輸入された青銅器であるが、県内では唐津市宇木汲田遺跡と大和町本村籠遺跡に続き3例目となる。
 弥生時代前期末に開始される我が国の初期青銅器文化が、朝鮮半島の強い影響によるものであることを如実に示しており、佐賀平野と朝鮮半島との文化交流史を研究する上で貴重である。

 

 

 

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