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県指定(考古資料の部)05

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佐賀県重要文化財(考古資料)の部 

 

佐賀県重要文化財 詫田西分遺跡出土鐸形土製品(たくたにしぶんいせきしゅつどたくがたどせいひん)

昭和59年3月21日指定
神埼市神埼町神埼(神埼市教育委員会)
考古資料


詫田西分遺跡出土鐸形土製品
 詫田西分遺跡は、神埼市千代田町詫田に所在する。この遺物は昭和57年の圃場整備に伴う調査で、弥生時代中期前半の井戸から見つかったものである。半分が欠けているが全体形がわかる。扁平な釣鐘形で高さは6.4cm。
 この鐸形土製品は、全国で見つかっているものの中で最も古い段階のものであり、鈕の形、胴にあけられた孔、側縁の鰭などの特徴から銅鐸との関係も注意される。

 

 

佐賀県重要文化財 船石遺跡一・二・三号墳出土遺物(ふないしいせき1・2・3ごうふんしゅつどいぶつ)

昭和59年3月21日指定
三養基郡上峰町大字坊所(上峰町教育委員会)
考古資料 


船石遺跡一・二・三号墳出土遺物
 船石遺跡は、弥生時代から中世までの複合遺跡である。これらの遺物は、このうち5世紀代中頃から終末にかけて築かれた3基の小円墳から出土したものである。
 1号墳出土遺物には蛇行状鉄剣1口、2号墳出土遺物には蛇行状鉄矛1口、鉄鏃4点、不明鉄器5点、刀子1点、須恵器7点、3号墳出土遺物には鉄剣1口、刀子1点、須恵器7点、土師器3点がある。この蛇行状鉄剣と鉄矛は、その特異な形状からみて、実用的なものではなく、儀礼的用途が考えられる。

 

 

 

佐賀県重要文化財 丸山遺跡一・二・六・七号墳石室及び出土遺物(まるやまいせき1・2・6・7ごうふんせきしつおよびしゅつどいぶつ)

昭和59年3月21日指定
佐賀市金立町大字金立字五本黒木(石室)・佐賀市大財町(佐賀市教育委員会)
考古資料


丸山遺跡一・二・六・七号墳石室及び出土遺物
 久保泉丸山遺跡は縄文時代晩期から弥生時代前期の支石墓群と、5~6世紀の12基の古墳群が小さな台地上にまとまって存在する複合遺跡である。九州横断自動車道建設に伴う調査で発見された。
 1・2・6・7号墳石室は、昭和57年~58年の遺跡移設工事でそっくり切り取って移設されたもので、1・6・7号墳が竪穴式石室、2号墳が横穴式石室である。竪穴式石室で最も規模の大きい1号墳は長さ1.78m、幅0.78mである。
 出土遺物は1号墳から鉄剣2口、刀子1点、2号墳の石室内から鉄剣3口、鉄矛1点、刀子1点、かんす形鉄器1点、鉄斧2点、鉄釧3点、琴柱形石製品4点など、6号墳から刀子1点が出土した。
 これらの出土遺物は5・6世紀の佐賀平野の有力首長の墳墓の変容をよく示すものである。
 移設後は野外博物館として多くの人に利用されている。

 

 

 

佐賀県重要文化財 姉遺跡出土銅矛鋳型・銅剣鋳型(あねいせきしゅつどどうほこいがた・どうけんいがた)

昭和60年3月20日指定
神埼市神埼町神埼(神埼市教育委員会)
考古資料


姉遺跡出土銅矛鋳型・銅剣鋳型
 昭和58年に圃場整備に伴い神埼郡千代田町教育委員会が実施した発掘調査により出土したものである。
 銅剣鋳型(右)は袋状貯蔵穴の底面から、弥生土器(中期初頭~中頃の壺)と重なって出土した。火山岩系の石材を使った鋳型であるが剣先の方を欠いている。この鋳型で製作された銅剣は35~40cmほどの中細形銅剣と推定される。
 銅矛鋳型(左)は土坑の底面から、同じく中期初頭~中頃の土器とともに出土した。下半部を欠いており現存長13.2cm。残存する形態から25~30cmほどの細形銅矛と推定される。
 これらの鋳型は、我が国における青銅器鋳造開始期が弥生時代中期前半までさかのぼることを示す貴重な資料である。

 

 

 

佐賀県重要文化財 三津永田遺跡出土流雲文縁獣帯鏡・素環頭大刀(みつながたいせきしゅつどりゅううんもんえんじゅうたいきょう・そかんとうたち)

昭和61年3月19日指定
鹿島市古枝乙(祐徳博物館)
考古資料


三津永田遺跡出土流雲文縁獣帯鏡・素環頭大刀三津永田遺跡出土流雲文縁獣帯鏡・素環頭大刀三津永田遺跡出土流雲文縁獣帯鏡・素環頭大刀
 三津永田遺跡は、吉野ヶ里町三津字永田に所在する弥生時代の墳墓群である。昭和28年の発掘調査で100基以上の甕棺と人骨・鏡・大刀・銅鏃・貝釧・鉄釧・管玉・小玉などが出土した。
 流雲文獣帯鏡は、第104号甕棺より出土しており、面径は14.3cm。完形品で白銅質の光沢を保っている。文様の表現や銘文から中国の新~後漢代の作と推定される。
 鉄製素環頭大刀も同じ第104号甕棺の合わせ目の粘土中より出土したものである。切先の一部を欠いており、残存長50.25cm。関(まち)はなく、刀身はやや内反りである。刀身部に鞘の木質が、茎には把巻の痕跡が残っている。
 第104号甕棺は弥生時代後期前半から中頃に位置づけられ「三津式」の標準資料であることから、甕棺製作の絶対年代を大陸側の資料によって考えることのできる重要な資料である。

 

 

 

佐賀県重要文化財 下中杖遺跡出土鞍(前輪)・青銅箸(しもなかつえいせきしゅつどくら(まえわ)・せいどうはし) 

昭和61年3月19日指定
佐賀市城内1-1-59(県教育委員会)
考古資料


下中杖遺跡出土鞍(前輪)・青銅箸
 下中杖遺跡は脊振山地南麓に分かれて広がる二塚山丘陵の先端、吉野ヶ里町に所在する。昭和52年から翌年にかけて行った発掘調査で平安時代を中心とする建物、井戸跡が確認できた。特に平安時代代前期の井戸跡2基から貴重な遺物が多数出土した。
 鞍は木製馬鞍の前輪の完形品で、後輪(しずわ)・居木(いぎ)は欠失している。高さ27.8cm、幅35.5cm、最大厚4.4cmで、居木を埋め込むための切り込みは左右二カ所ずつ設けられ、四枚居木鞍であることがわかる。黒漆塗りである。この四枚居木鞍は類例が少なく、正倉院宝物の鞍に類似する。
 青銅箸は2本まとまって出土した。2本とも長さ25.9cm、基部の径0.45cmで先端方向に細くなる丁寧な作りのもので保存状態は良好である。古代の青銅箸の出土例は全国的にも見られない。
 また、鞍や箸に伴って多数の土器・陶磁器が出土した。

 

 

 

佐賀県重要文化財 千塔山遺跡出土青銅鋤先(せんどやまいせきしゅつどせいどうすきさき)

昭和61年3月19日指定
三養基郡基山町大字宮浦(基山町歴史民俗資料館)
考古資料


千塔山遺跡出土青銅鋤先

 

 千塔山遺跡は三養基郡基山町宮浦に所在する。昭和51年に発掘調査が実施され、弥生時代後半から終末にかけての環壕集落を中心とした遺跡が見つかっている。
 鋤先は7個発見されているが、このうち4個は住居跡から、2個は溝跡から、1個は用途不明遺構からみつかった。2個は完形品で、他は破損している。刃の部分は長く使用されたことを示す痕跡が残る。完形品の大きさは、長さが7.1cmと7.6cm、取り付け部分の幅は各8.8cmと9.0cm。
 これらの鋤先は出土した土器から見て環壕集落の時期のものと考えられる。

 

 

 

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