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県指定(建造物の部)02

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佐賀県重要文化財(建造物)の部 

 

佐賀県重要文化財 石造肥前鳥居 慶長八年の銘あり(せきぞうひぜんとりい けいちょう8ねんのめいあり)

昭和39年5月23日指定
佐賀市本庄町 本庄神社
建造物


石造肥前鳥居 慶長八年の銘あり
 本庄神社は欽明天皇のころに創始されたとされる古社であるが、その年代は明らかでない。
 この神社には、慶長8年(1603)、慶長11年の銘のある2基の鳥居があるが、慶長8年銘のものは、この神社の二の鳥居とされている。高さ3.8m、笠木の長さ5.15mである。笠木、島木、柱および貫はいずれも3本継である。島木は形式化して笠木と一体となり、木鼻はゆるやかに反る。柱は、上端に台輪があり、下部になるにつれて次第に太くなる。基部は埋め込まれている。
 両柱には次のような銘が陰刻されており、慶長8年に鍋島直茂の奉納になるものであることを示す。「大日本國鎮西肥前州佐賀郡与賀荘本荘淀姫大明神奉建立石鳥居二柱大徳本主鍋嶋加賀守豊臣朝臣直茂慶長八年発卯九月廿八日」。

  

 

佐賀県重要文化財 石造眼鏡橋(せきぞうめがねばし)

昭和40年7月23日指定
嬉野市塩田町大字谷所 八天神社
建造物


石造眼鏡橋
 八天神社は、八天狗社、あるいは唐船権現とも称され、古くは修験の坊として創始されたものと伝えられている。近世には火の神として、肥前国内で篤く信仰されていた。
 この石橋は、八天神社の神橋として、当時在住の石工が、嘉永5年(1852)に着工し、嘉永7年に完成させたものである。一連のアーチ形の眼鏡橋であり、全長11.14m、幅3.69m、高さ4.65m。橋の両側に、高さ0.7mの欄干が付き、舗道にはゆるやかな曲線をえがいている。
 このような眼鏡橋とよばれているアーチ形の石橋は、興福寺の僧黙子如定が、寛永12年(1635)長崎に築いたのが始まりとされており、その後、九州各地に広まった。長崎県や熊本県には現在も数多く残存しているが、佐賀県には大変少なく、江戸時代のものでほぼ原型を保っているのは、この八天神社のものだけである。

 

 

佐賀県重要文化財 星巌寺楼門(せいがんじろうもん)

昭和40年7月23日指定
小城市小城町畑田 星巌寺
建造物


星巌寺楼門
 星厳寺は、貞享元年(1664)、小城支藩2代目藩主鍋島直能が初代の鍋島元茂の菩提を弔うために建立した寺で、以後代々小城支藩の菩提寺とされていた。しかし、現在は荒廃しており、この楼門、渡廊、小堂、御霊所などが残るにすぎない。
 楼門は、いわゆる竜宮門形式である。重層で、中央の通路部分をアーチ形とした下層部に、桁行3間、梁間2間の上層部をのせる。屋根は入母屋造りで本瓦葺、棟の両端に鯱を置く。下層の内部は木造で、これに木の骨組を設け、漆喰を上から塗って外壁をつくる。外壁の下半は、斜格子状のなまこ壁である。上層の両妻部は塗壁であるが、正面と背面には木瓜形の窓を設けており、禅宗様が感じられる。妻部の懸魚は珍しく、鷲形の彫物を用いている。この上層部の周囲には、勾欄付きの縁がめぐる。また、この楼門の両側面には、塗込めした脇門が付いている。
 棟札によると、この楼門は、嘉永5年(1852)に、9代藩主鍋島直堯の命により建立されたものである。当時、佐賀藩は長崎警固を勤めており、そのような背景から中国文化の影響を受けたものであろう。寺の裏手には様々な表情の五百羅漢があり、訪れる人を楽しませている。

 

 

佐賀県重要文化財 銅造明神鳥居 寛永十七年の銘あり(どうぞうみょうじんとりい かんえい17ねんのめいあり)

昭和46年6月23日指定
佐賀市諸富町大字大堂 大堂神社
建造物


銅造明神鳥居 寛永十七年の銘あり
 大堂神社は、弘安2年(1279)、創始と伝えられている。
 この銅造鳥居は、大堂神社の三の鳥居(寄進時は一の鳥居)とされ、寛永17年(1640)の造立銘をもつ県内唯一の鋳銅製の明神鳥居である。
 高さ4.78m、笠木の長さ6.87mである。笠木はゆるやかに反りながら両端で厚みを増す。木鼻は斜めに切れる。柱はほぞのある鋳造円筒を4個積み上げている。2段目までは砂を充めているが、その上部は空洞である。基部は円形の台石に乗る。
 笠木・島木・および貫はいずれも、厚さ約1.5mmの長方形の銅版を鋲止めにした箱状のものを3本継にし、継目に幅広の薄い銅板を巻いて造り上げている。また、笠木と島木の芯には松材が使用されているが、貫は不明である。
 この鳥居は、島原の乱に出陣した小城支藩初代鍋島元茂が、戦勝祈願成就に寄進したもので、左柱には、次のような銘が陰刻されている。「寛永十七年庚辰年二月十五日大願主 従五位下鍋島紀伊守藤原元茂」(以下略)。

 

 

佐賀県重要文化財 祐徳稲荷神社境内社命婦社(ゆうとくいなりじんじゃけいだいしゃみょうぶしゃ) 

昭和52年3月11日指定
鹿島市古枝乙 祐徳稲荷神社
建造物


祐徳稲荷神社境内社命婦社
 祐徳稲荷神社は、鹿島支藩3代藩主鍋島直朝の夫人が、京都の花山院邸の稲荷神社をここに移して祀ったことに始まる。貞享年間(1684~1688)社殿を建立したとき、命婦社を祀っている。
 現在の命婦社の社殿は、棟札から享和4年(1804)の建立と知られ、祐徳稲荷神社が大正15年(1926)に再建されたとき、旧本殿であったこの建物を現在地に移転したものである。
 一間社流造り、正面に一間の向拝をつけ、周囲に縁をめぐらした建物で、屋根は切妻造り、正面に千鳥破風、軒に唐破風を付け、銅板を葺く。基礎は、凝灰岩の布基礎に亀腹を施す。
 後世にいくらかの修理や改造のあとがみられるが、すばらしい数々の彫刻をもち、重量感のある調和のとれたこの社殿は、19世紀初期の代表的建築として価値が高い。

 

 

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