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2007年冬号 Vol.47「布織りに恋して」

特集:布織りに恋して
日本貴婦人の手芸、鹿島錦と佐賀錦

佐賀錦鹿島錦と佐賀錦。
光の角度によって、色彩が微妙に変わる幾何学模様の織物を、きっと誰もが“美しい”と表現するだろう。
熟練した織り手であっても、一日に数センチほどしか織り上げられないという、精緻な手織りの世界をのぞいてみよう。


鹿島で発祥した和紙と絹糸の錦織り

緯糸として使用する絹糸の色見本。
緯糸として使用する絹糸の色見本。鹿島錦の材料は、すべて誂(あつら)え品のため注文してから手元に届くまで、およそ3か月かかるという。

 きらびやかな美しさの理由は素材にある。一般的な織物は糸だけを使用するものが多いが、経糸(たていと)には金箔や銀、漆を貼って細かく裁断した和紙を、緯糸(よこいと)には染色した絹糸を使っている。まさに佐賀ならではの錦織りといえる。

 その起源は江戸時代。諸説はあるものの、病に伏した鹿島鍋島家9代藩主夫人が、天井の網代組(あじろぐ)みを見て思いついたと伝えられている。当時は和紙を細く切った紙縒(こより)や木綿糸を組んで織っていたが、歴代の藩主夫人により工夫改良され、和紙と絹を組み合わせるという雅びな技法が確立された。

昔は衝立(ついた)てや箪笥(たんす)を彩る装飾としても織られていた。
鹿島錦・佐賀錦といえば、バッグや帯・帯締めなどをイメージするが、昔は衝立(ついた)てや箪笥(たんす)を彩る装飾としても織られていた。

 発祥地の鹿島市にある祐徳博物館には、江戸末期製作といわれる筥迫(はこせこ)や、貴重な文様集、小物類などが展示されている。資料だけでなく、伝統的な手織り技法もしっかりと受け継がれ、昭和43年には「鹿島錦保存会」が発足。会員代表の樋口(ひぐち)ヨシノさんは、「鹿島錦は、武家の子女の手習いとして織り伝えられてきました。発祥地としての伝統を守って、継承していくことが私たちの役割です」と話す。大正5年生まれの樋口さんは、まだまだ現役の織り手であり、指導者としても後継者育成に力を注いでいる。

【 問い合わせ/鹿島錦保存会(祐徳博物館内) 電話0954-62-2151 】

 

貴婦人の製作品として日英大博覧会へ

佐賀錦体験

 鹿島錦には、明治初期に一時中断されるという不遇の時代があった。その危機を救ったのが佐賀出身の大隈重信候で、東京の旧華族の間で再興したところ大変評判になったという。明治43年には、日英大博覧会へ「貴婦人の製作品」として出品され、“日本手芸の極致”と称賛を浴びた。この博覧会出品をきっかけに「佐賀錦」と呼ばれるようになり、一般的にも佐賀錦の名称が使われることが多くなった。

 「東京で再興されたという歴史もあって、東京でも佐賀錦の人気は高く、教室も開かれています。伝統的な技術を引き継ぎながらも、現代的な感覚で斬新な文様や色づかいをしているのが、佐賀錦の特徴といえるでしょう」と語ってくれたのは、佐賀錦振興協議会会長の池田幸子(いけださちこ)さん。実は、池田さんが本格的な指導を受けたのも東京で、戦後しばらくは佐賀よりも東京の方が盛んだったという。現在、同協議会に所属する会員は150名ほどで、後継者たちは順調に育っている。

希望者は手織り体験もできる。
佐賀市歴史民俗館の旧福田家では、佐賀錦の展示販売・制作実演されていて、希望者は手織り体験もできる。(体験は9:30〜16:30 ※月曜日は除く)

 鹿島錦も佐賀錦も、佐賀を代表する伝統工芸ではあるが、もともとは女性たちに愛されてきた手芸である。気品と格調のある美しさに魅せられて、「自分も織ってみたい」と教室に通う人たちも少なくない。文様によっては一日に数センチしか織れず、非常に根気のいる手仕事であるが、織るごとに浮かび上がっていく文様を見れば、嬉しさと達成感が込み上げてくる。手作りの楽しさ、いい作品を作りたいという織り手の想いがあってこそ、伝統はしっかりと受け継がれていくのだ。

【 問い合わせ/佐賀市商工振興課 電話0952-40-7100 】

 

 

 


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